ピティナ調査・研究

前奏曲集第2巻より第7曲「月光の降りそそぐ謁見のテラス」

ドビュッシー探求
前奏曲集第2巻より第7曲「月光の降りそそぐ謁見のテラス」
4m48s/YouTube

 この作品は、前奏曲集第2巻の中でも屈指の傑作です。それどころか、ドビュッシーの全ピアノ作品、ひいてはおよそすべての時代のピアノ作品の中でも光り輝く傑作だと思います。12曲中で唯一、とても詩的な題名がついています。題名の元は、フランス人ジャーナリストのルネ・ポーが書いた記事の一部にあるようで、これにドビュッシーが霊感を得て作曲されたといわれています。舞台はインドのようですが、この作品は描写的なものだけを我々に提供しているわけではありません。もちろん、月の光が降りそそぐさまは、曲中の至る所に散見されますが、退廃的で官能的な香りがあり、また、ゆったりとしたテンポのワルツ、そして、戴冠の場のもつ堂々とした雰囲気などが渾然一体となっています。舞台のイメージは多少異なるかもしれませんが、私がオペラを観ていて連想させられたものとして、1987年のメトロポリタン歌劇場のライブビデオがあります。レヴァイン指揮、ドミンゴがカラフ役、マルトンがトゥーランドット役、ゼフィレッリが演出です。この第1幕の後半、ペルシャ王子が処刑される場面に現れる月明かりのバルコニーがあるのですが、ここのイメージがとてもこの作品を連想させるものでした。

ドビュッシーの他の作品もそうですが、映像的なイメージはほどほどにして、実際の表現について徹底的に考えなければいけません。非常に多層的な対位法がふんだんに盛り込まれているからです。

演奏上の問題について

曲全体にいえることですが、拍子をとても正確にとらなければいけません。この作品に限りませんが、ゆっくりとした作品では拍子がわからなくなりやすいからです。ルバートはなるべく避けるべきでしょう。1小節目ですが、弱拍から始まり、まずは4拍目に収束するように、そして6拍目のC-dur V7はfis-mollのドミナントの5音下方変位した和音の異名同音です。このfの音は、それまでのeisの音よりもしっかりしたイメージです。この和音全体が、それまでのシャープ系の柔らかい響きよりもはっきりしています。そして、その響きが2小節目の最後まで残るように、2小節目の他の声部との響きのバランスが必要です。そして、2小節目は中段、下段が全音階和音になっています。上段の32分音符は高音なのでキラキラ弾きたくなるところですが、ドビュッシーはフラットをたくさん使って書いています。しかもpppと指定していますから中段、下段の響きの上に、遠くで響いているように弾くべきでしょう。さて、このcisを根音とした和音は、fis-mollまたはFis-durのドミナントですから、当然トニックに解決するべきですが、何度もはぐらかされ、結局、34小節に初めて緩やかにですがトニックが現れます。しかし、ここのV→Iのカデンツはあまり連結が強くなく、結局38から39小節の部分で、多少連結が強くなります。しかし、ここでもIの根音が第5音なので本当に安定的に解決したようには感じられません。V→Iを本当の意味で感じさせる部分は、最後の2小節の下段のcis→fisの進行です。ここまでの間、1、2小節のfis-mollのドミナントは解決しないのです。

3、4小節ではEs-dur、Des-dur、Fis-dur、H-dur、B-durのV7が交替し、並進行しています。そういった細かな揺れを起こしながら5小節目でまたFis-durのドミナントになりますが、7小節では結局VIの和音となって解決をはぐらかされ、突如遠隔調のB-durに転調します。この部分、シャープ系からフラット系への転調でより曇った感じにするように、ドビュッシーは強弱記号で指示しています。また、7小節の5、6拍目の細かな強弱指示も同様に理由によります。強弱というよりも音色を変えるイメージの方が大切だと思います。

10~12小節は、比較的VとIの交替を感じやすく、リズミカルです。この部分は前後のゆったりとした感じとのコントラストをつけたいところです。しかし、あくまでもフラット系のB-durなので、あまり明る過ぎない表現が必要です。12小節後半から異名同音を用いて、またFis-durに転調します。13~15小節はドミナントですが、dとdisによってドミナントが借用和音と交替します。そういった微妙な陰影をこの2音の響きの違いで表現したいところです。

16~18小節の部分は曲中で最も困難な部分の1つです。基本的にはFis-durのV系の和音が揺れを起こしていると考えて良いと思います。まず、上段、中段、下段ともに、cisのオルゲルプンクトが響いています。問題なのは、このオルゲルプンクトで、16、18小節は4分の3拍子、17小節は8分の6拍子でリズムを刻んでいますから、その違いを出さなければいけません。下段には半音階で上昇するメロディーがありますが、これらはすべて8分の6拍子です。また、中段と上段でオクターブで揺れ動くメロディーがありますがこれも同じ拍子です。つまり、オルゲルプンクトの拍子とメロディーの拍子が異なる部分があるので、それを表現しなければいけないことが困難さの1つ目です。それをしながら、更に、上段、中段のメロディーと下段のメロディーは反行したり並進行したりしていますから、その微妙な2声の揺らぎを表現しなければいけません。これが困難さの2つ目です。更に、楽譜通りに弾けば、中段と下段を左手が担当するのですが、これが幅広い和音のために表現が困難であるということです。手が小さい人は、16、18小節の中段の16分音符のうち、6番目以外のものを右でとり、17小節の中段の上声もすべて右でとると表現がしやすいと思います。もちろん、こういったことをするときは、声部の滑らかな表現に細心の注意をするべきです。そして、何よりも多層的な響きになるようにしなければいけません。19小節はVI的な響きで、前後に比べ、少し明るく活動的な色合いで表現すると良いでしょう。

20小節ではsubito でppにします。ここから24小節目までは大きなクレッシェンドを感じるところです。しかし、決して音量的なクレシェンドをしてはいけないところです。ドビュッシーは31小節目をピークと考えているからです。この部分ではpとppに少しだけ小さなクレッシェンドがあるだけです。強弱の指示を守らないと野太い音楽になってしまいます。この範囲は、中段がV7系の和音が半音階に並進行しているために和音の機能は薄められていますが、大きくみれば、fis-mollのII→ドッペルドミナント→V(5音下方変位)という流れになっています。また、中段は和音の半音階並進行で上行していることと、21小節からは上段が揺れ動きながら上行していることから、普通に演奏するだけで十分animantの感じは表現できます。21~24小節の部分は全音階のニュアンスも含まれています。また、バスはgisのオルゲルプンクトがgに変化しますから、この部分の色を明確に変える必要があります。

結局、25小節ではfis-mollのトニックには行かず、Es-durに転調しています。最初のテンポに戻り、ppになります。ここからの部分は異なる調の和音が並進行していますが、27小節まではEs-durと考えて良いでしょう。上段と下段が和音として並進行しています。その響きの中に中段と下段上声の和音が響きますから、この部分は多層的に響くように表現するべきです。また、25小節の2拍目は両手の跳躍がありますが、間を絶対に開け過ぎてはいけません。跳躍した先の16分音符の和音が柔らかいピアニシモになるように、細心の注意を払って打鍵するべきです。28~31小節はクライマックスでテンポも上がります。C-durを感じるところで、荘厳な盛り上がりをみせますが、フォルティシモではないところに注意したいところです。28、30小節も多層的に響くようにしなければいけません。29、31小節はV7系の和音の並進行ですが、メロディーだけで音楽をひっぱらないようにしたいところです。それぞれがすべて異なる調の和音の連結ですから、その響きの違いをしっかりと表現するべきで、それがテヌート記号に現れていると思います。細かな松葉はすべて正確に守らなければいけません。

32、33小節は13、14小節の再現ですから、基本的には上段と中段の反進行を考えて、これらを同格の響きとして扱うべきでしょう。そして、バスにあるeisのオルゲルプンクトは、響き全体を支配し、このeisが34小節のバスにあるfisに解決します。つまり、これら2小節が大きなドミナントで、34小節で、曲中で初めてfis-mollのトニックに解決するのです。さて、32、33小節には困難な場所が3カ所あります。それは、中、下段にあるアルペジオです。これは、13、14小節と同様のニュアンスで表現されるべきですから、可能な限り拍の中で表現しなければいけません。つまり、これらのアルペジオで拍が不自然にあいてしまってはいけないと思います。しかし、前述の通り、バスのeisも響きとしては残さなければいけないのでとても困難なところです。そして、何よりもこれらのアルペジオは軽く、ピアニシモでなければいけないのです。楽譜に記載の通りに演奏することが困難であれば、例えば、32小節の最初のeis、hの2音を右手の2,5でとり、4拍目のアルペジオの最初の2音、33小節の最初の2音を同様に右手でとる方法が考えられます。これによって、中段のラインを左手のポジションを変更せずに演奏することができます。

ここまでも、この作品は天才のみが発見できる、信じられないような響きの連続でした。そこには、バッハなどの対位法の大家を彷彿とさせるほどの多層的な世界がありました。しかし、主調であるfis-mollのトニックに初めて戻った34小節からの美しさには、それまで誰も書き得なかった世界が広がります。しかも、書式は極めてシンプルなのです。

34小節は、fis-mollのトニックと、第5音下方変位のV7が全後半で交替します。バスはIの根音がオルゲルプンクトとして響いています。しかし、よく見ると4、5、6拍では、本来あるべきV7の第3音eisは異名同音でfに置き換えられ、結果として、C-durのV7の響きがオルゲルプンクトのfisと上段のcisのオクターブの響きの中に散らばっているように聞こえます。同じような繰り返しが35小節で起こり、36小節ではそのC-durのV7の構成音が余韻として分散和音になります。しかし、37、38小節では、このfが異名同音でeisに戻っていて、結果としてまたfis-mollのドミナントになっています。そして39小節でピカルディー終止で+Iに解決するのです。つまり、音色としては、34、35小節の後半はC-dur特有のはっきりした響きで演奏しますが、37、38小節は、シャープ系固有の、暖かい響きで、39小節のfis-mollの+Iを予見させるような響きで演奏すべきであると思います。その違いをドビュッシーは37小節のsempre ppで表しているのではないかと思います。

39小節からはコーダです。ここからはFis-durと考えた方が説明しやすいのでそうします。39~41小節は長3和音の第2展開形が並進行しています。不思議な揺れと静的な感じを表出しています。ここで第2展開形は、当然のことですが本当の安定した世界ではありません。しかも、40、41小節では上段にcisのオクターブ、これは、Fis-durの第5音がメロディーの響きの上に重ね合わせられています。そして、42小節下段のfisでトニックとして安定し、最後にV→Iの進行の典型であるcis→fisが下段に現れて終わります。40、41小節のcisのオクターブは、あくまでも他のメロディーと独立して、メロディーを消さないように演奏されるべきです。そして、39小節以降、41小節の4つ目の16分音符の和音だけがフラットを用いて表現されています。この響きを、細かな強弱のピークですが曇った響きにすることが大切です。41小節の最後の8分音符は、Fis-durのV9の根音省略、第5音下方変位でトニックに向かいますが、ここまでの3小節の間の第2展開形の並進行がここで初めて崩れ、長3和音になり次のトニックに、並進行のような形で向かいます。とても重要な長3和音と考えて演奏するべきです。

42小節からの部分は、ドビュッシーがほとんど神の領域に入ったと思われるほどの完璧な美しさをもつカデンツです。分析することが馬鹿馬鹿しくなるほど美しいところです。私がこの美しさを味わうとき、「月光の降りそそぐ謁見のテラス」という標題は意識からまったく消え去ります。ただ音楽の美しさ、それだけが存在しています。これが、ドビュッシーが、「私の音楽は絵はがきではない」と言っている意味ではないかと思います。

しかし、そうは言っても、演奏する以上、感覚だけで話をすることはできませんから、多少分析してみましょう。中段、上段は空5度の並進行ですが、私は微妙にロクリア旋法を感じます。静かです。それは、この教会旋法が用いられていることと、39小節から低音域がずっと用いられていないことが理由の一部でしょう。この第2の理由から考えて、高音の美しさを強調するべきでしょう。そして、42、43小節は、下段のfisと上段の4分音符cisの響きの中に付点16分音符を重ねるべきです。そして、41小節と42小節で音価が変化しないように、細心の注意を払って音の長さを決めるべきです。44小節からはrit。としなくても音符が長くなりますから十分その効果は現れますので、テンポを変えると間延びしてしまいます。音が消え去る瞬間に、すべての神経を集中できなければいけないと思います。