ピティナ調査・研究

前奏曲集第2巻より第1曲「霧」

ドビュッシー探求
前奏曲集第2巻より第1曲「霧」
3m38s/YouTube

前奏曲集第1巻が1910年に、たった3ヶ月の期間で書き上げられたのに対し、この第2巻は、それから全12曲の完成までに3年がかかっています。これは、他にバレエ音楽や劇音楽を作曲していたことや、多忙な演奏活動によるもので、作曲するのに苦労したというわけではなさそうです。第2巻の音楽は、第1巻に比べると、ポリリズムや複調など、より斬新な響きが増えています。楽譜も、ほとんどの場所で3段譜になっていることから、1巻に比べ、より立体的な響きをもつ作品が増えています。また、音楽の不連続性も第1巻に増しています。外向的な演奏効果を全く意図していないと思われる作品も多く存在します。これらの理由により、第12曲の「・・・花火」などを除き、作品の価値の割に演奏機会が少ないのが現状だと思います。

 曲想は、第1巻と同様に曲の最後にイメージとしての標題がつけられています。それらは自然現象、伝説の場所、非現実な妖精、滑稽な人物の描写などです。しかし、作曲技法は第1巻よりも更に抽象度が高まっているので、演奏にあたっては、これらのイメージは曲想を理解する補助にはなるかもしれませんが、本質的には描写音楽としてというよりも絶対音楽としてのあらゆる表現が必要となります。いわば、この第2巻は、前奏曲集第1巻から1915年に作曲された練習曲集へ向かう、高度な抽象性への過渡期ということができるでしょう。

前奏曲集第2巻より第1曲「霧」
どういう質の「霧」なのかを考えることはある程度興味深いところでしょう。われわれが「霧」からイメージするものはさまざまなものがあるでしょうが、まず、「映像がはっきりしない」ことでしょう。これは曲の冒頭の響きを聴けば誰でもわかります。更に、現象としては「濃淡が変化する」ことが挙げられます。つまり、ある対象があって、それを視覚的にさまざまな程度でぼかすという現象が音に現れていると考えてよいでしょう。対象は、建物や樹など具体的な事物でもあるでしょうし、太陽の光でもあるでしょう。

 明るさはどうでしょうか。山あいの村に立ちこめる朝霧は、明るく、心をなごませるものです。しかし、森の奥に入り込んだときに立ちこめる霧は、昼間でも不気味なものです。また、深く立ちこめた霧は、視界が悪く、しかも身体が知らないうちに、ひんやりと、じっとりと濡れて、言い知れぬ孤独感をもたらすでしょう。曲の全体は、霧という視覚的なイメージだけではなく、そこから我々が感じられるある種の不安までもが表現されています。

演奏上の問題について

 この作品の響きはとても前衛的ですから、今述べたさまざまなイメージは曲の理解への手助けにはなるでしょう。しかし、具体的にどういう部分がどういう理由でイメージを想起させるかについてある程度は考えないと実際の演奏にはなかなか結びつきません。

 1~9小節全体を見ると、まず中声部に並進行する3和音があり、これは全体としては部分的にト長調への揺れが感じられますがほぼハ長調と認識できます。他の声部は変ト長調のI6の和音や変ハ長調のV9(根音省略)などが聞こえますが、機能和声としての意味が全くないどころか、左手の3和音のハ長調の遠隔調で複調として見ることもできるでしょう。だいたいこの32分音符の5連符は変ト長調、変ハ長調の和音と見なせますが、それよりも、フラット系の響き、つまり、曇ってぼやけた響きを持っています。一方、左手の3和音はハ長調ではっきりとした響きです。つまり、この3和音の並進行というはっきりとした対象に、変ト長調、変ハ長調のアルペジオという霧がぼかしているといえるのではないでしょうか。また、拍子は8分音符が単位となっています。これも、3和音を比較的はっきりとしたニュアンスで弾くための指示と考えられるのではないでしょうか。この範囲では、特に5、6小節目の1、2拍目、ハ長調のI(3音省略)、変ト長調のV(3音省略)の5度の並進行が、第2主題ともいえる18小節からの不気味な響きを予出しています。不安なニュアンスのコントラストをつけたいところです。

 10~17小節を見てみましょう。まず、明らかに目につくのは、フラット系がシャープ系に変わったということです。響きは突如明るくなるべきです。特に9小節から10小節にかけては、突然、細くて明るい響き音色のアルペジオに変えたいところです。全体に高めの音程を意識したいところです。楽譜には特に指示はありませんが、わたしは、14~15小節は、アルペジオの「霧」が晴れて、徐々に3和音が浮かび上がって16小節ではすっかりあらわになるように弾いています。

 18~24小節はいわば、第2主題とでも言うべき素材と冒頭の響きが交替する部分です。18~20小節を見てみましょう。高音部分と低音部分に遠く離れたオクターブのユニゾンが出てきます。非常に不気味なニュアンスを出したいところです。調は嬰ハ短調と考えて良いでしょう。18小節の最初から2番目の16分音符のdをfisに置き換えると、4度の半音階並進行と考えられます。細かなアーティキュレーションと強弱を正しく守ると美しい響きになります。20小節後半などで挿入される冒頭部分はフラット系なので、交替するときに響きの明るさをsubitoで変えたいところです。ドビュッシーは、21小節の後半の3連符32分音符を第2小節のdesでなくcisで書いています。響きの違いを考えたいところです。また、20、21小節などでは激しく跳躍していますが、間は絶対にあけない方がいいでしょう。曲に締まりがなくなります。

 24~31小節は展開部的な部分ですが、冒頭部分が少し拡張される程度です。しかし、29小節で突如、鋭い光のようなアルペジオが出現します。響きはまた全体的にシャープ系に移り、経過的な32~37小節に入ります。ここでは、珍しく息の長い旋律が歌われます。左手の旋律部分はミクソリディア調などの教会旋法でしょうか。右手は、とても軽く、ピアニシモで弾かれるアルペジオです。とても難しいところだと思います。36小節からはフラット系に転調するので、突如低めの響きにするとよいでしょう。それをドビュッシーはpiu PPで表しています。

 38小節からは再現部と考えて良いですが、先に第2主題がバスに現れます。また、ここでは響きがシャープ系に移っていますから音色を変えたいところです。41、42小節では、第2主題が縮小されて現れています。少しスケルツァンドに弾くと良いかもしれません。43小節からは下2段がハ長調となり、Cのオルゲルプンクトが鳴り響きます。47、48小節ではまた第2主題が出てきていますが、これはフラット系で書かれています。あまりきらびやかな音で弾くべきではないのでしょう。あとは断片がエコーのように繰り返されて終わります。

 結局、一度も調を明確にするカデンツがないまま、浮遊して終わります。とても印象的な音楽だと思います。