前奏曲集第1巻より第9曲「とだえたセレナード」
ドビュッシーが好んだ、スペイン風のセレナード。楽譜の冒頭に「ギターのように」という指示があります。技術上の問題でもわかることですが、ピアノで同音を連打することは、ギターのそれに比べ、決して易しくありません。この作品では、あたかもギターの同音反復のニュアンスをピアノで模すことを要求しています。決して、派手な速い同音連打ではなく、あくまでもギターの、響きの余韻をたっぷり含んだ同音反復です。曲には、ぼくは嫌いですが、いろいろなお話しを作ることができそうです。例えば、ロッシーニの傑作オペラ「セヴィリアの理髪師」の第1幕第1場で、アルマヴィーヴァ伯爵が美しい娘ロジーナのいるバルコニーに向かって、さまざまな障害の中でフィガロや辻音楽師達にギターなどで伴奏をさせながら恋の歌を歌う場面などを思い出させます。もちろん、この作品は、道化師のもつもの悲しさのようなものが漂いますから、このオペラのもつ底抜けの明るさとは異なりますが。話は逸れますが、このオペラの、ジャン・ピエール・ポネル演出のビデオは、とても素晴らしいものです。
今述べた、もの悲しさのようなものは、教会旋法によるところが大きいですが、それは後述します。
1~2小節は、「ギターのように」、スタッカートのあとに、音の残響がはっきりと感じ取れるようなものにするべきで、ほんの少しのペダルと耳でそれをコントロールするべきです。特に、2小節の3拍目は他の音よりも少し響かせて、その、「音のない余韻」を3,4小節で表現するべきです。従って、これらのことを勘案すると、「中庸の速さで生き生きと」とはありますが、「生き生きと」はvivaceのいみではなく、速すぎない必要があります。18小節までを見てみると、主音と感じられるのはfです。音階の中でasだけがありませんが、これを補って考えれば、f→ges→(as→)b→ces→des→es→fとなり、教会旋法のロクリア旋法となります。ロクリア旋法は人為的な旋法で、ドビュッシーもあまり用いていませんが、例えば、前奏曲集第2巻の最高傑作と言われることの多い、第7曲「月光のふりそそぐ謁見のテラス」の中の、この世のものとは思えないほどの美しい響きをもつ42,43小節などにあります。さて、この部分に異国情緒を感じるのは、このasが存在しないことにも理由があります。このロクリア旋法からf→ges→b→cesを取り出すと、沖縄の5音階、すなわち、c→e→f→g→h→cの一部と一致するからです。また、asを除いていることで、例えば、9,10,15~18小節で空5度の響きになっています。この空5度の響きは、そのまま第10曲「沈める寺」に重点的に用いられることになります。subitomfや細かい強弱の変化は、和声的な変化によるものではありませんから、人為的に、効果的に表出するべきでしょう。
19~23小節は、和声的に第8曲と同様のものが用いられています。ただし、通常の和声法でロクリア旋法のメロディーが装飾されていて、微妙な味わいを醸し出しています。和声としては、全体にf-mollで、19小節はIV度上のV7、20小節I拍目はIV、2,3拍は第5音下方変位の根音省略V9、21小節は+I、22、23小節は、上下は逆ですが、前曲でもあった和音で、バスにIV和音がオルゲルプンクトであり、上声部にV和音が配置されたものです。そして24小節が空5度のIです。19~24小節では、22,23小節のバスの分散和音b,f,desを除いた16分音符がメロディーですが、これがfを主音とするロクリア旋法で歌われています。特徴の最も強い音はgesです。これをgに変えると普通に聞こえます。古い教会旋法をヒントに、たった1音を半音ずらしただけでそれまでの音楽が表現したことのない複雑に曇ったもの悲しさを表現しているところがドビュッシーの天才性を表しています。演奏時に意識したい別のポイントとして、バスのラインがあります。19小節のI和音ともIV度上のV度ともとれる根音fと20小節の最初のbなど、24小節までのI拍目の左の冒頭のfとbでつながれるラインは、大きく見ればトニックとサブドミナントの揺れを最も表すものなので響きの意識をもつことはとても大切です。
ここまでくると、冒頭の2小節のfとgesの交替が、fを主音とするロクリア旋法の予出とみることができます。もちろん、gesはf-mollのVの第5音下方変位とみることもできます。こういうことを考えていくと、和声における下方変位や上方変位という概念の根底にあるのが、教会旋法と長短音階をつなぐ役割をしているようにも思えてきます。25~40小節は、1,2小節のモチーフに5度上の音をつけた空5度の並進行が伴奏になっています。24小節の最後にある小さなdim.はとても表現が難しいですが、それまでの部分を少し明るめに、その後をとても湿って曇った雰囲気にしたいところです。ペダルは、勿論、ソフトペダルは使いますが、右ペダルは非常に浅く踏んで表現するべきだと思います。
32~41小節の頭までのソプラノのメロディーは、何とf-mollの主音と導音の2音しかありませんが、非常に雄弁です。これは、それまでのロクリア旋法の第7音がesであったために、eが非常に引き立つからだと思われます。左手の伴奏は今述べたとおり非常に「おぼろげに」表現するべきで、ソプラノのメロディーは、主音と導音の力関係を正しく表現するべきです。そうすると「哀願するように」というニュアンスが表現できます。40小節のメロディーのeは、結局41小節でfに解決しないでfの属音cに向かいます。従って、この32小節からのメロディーは、40小節で終わるのではなく、42小節まで伸びていて、一方41小節からのバスが19小節からのメロディーを奏でるので、41,42小節はこれら2声が重なっている状態で演奏しなければいけません。41~45小節は19~23小節と同じですが、細かい強弱、アーティキュレーションが例によって全面的に異なっています。よく確認して表現するべきです。
なお、左右の手の配分ですが、20小節2,3拍の右手の4つの16分音符は左でとった方が旋律線が綺麗にでる場合があります。試してみる価値はあると思います。42小節も同様です。
46~49小節では、突如、a-mollのドミナント和音がつんざくような鋭さで挿入されます。和音を詳しく見ると、a-mollのV13があったり、A-durのV9の下方変位根音省略形があったりしますが、バスのeと、その9度上のfや13音のcなどの響きを注意深く表現すると良いでしょう。これは、実は、本来のあるべき和音より、半音下にずれています。すべて半音上げてしまえば、前から続いているIV度上のV9と説明できます。つまり、これは、晩年の最高傑作、前奏曲集第2巻や12の練習曲などで盛んに用いられる半ずれ調です。
50~60小節は、またロクリア調の響きの中に、ソプラノでa→gesの増2度音程が特徴的なメロディーが奏でられます。55小節3拍のaは、56小節のトニックの第3音の先取音と解釈できます。バスのラインは、特に55小節の3拍目のg→ges(→f)や57~60小節の空5度並進行などを大切に表現したいところです。当然ですが、ドビュッシーはここに細かい強弱指示を書いています。61、62小節は空5度に第2,3音が付加されて、並進行します。63小節ではsubitoでピアノになり、Des-durのドッペルドミナント、そしてその借用和音が続きますが、素直にドミナントに移行せず、67,68小節でII7を経てから69~72小節でドミナントになり、珍しく導音も第7音も第9音もあるドミナントで73小節のトニックに解決します。74小節では2拍目にbbがありますが、これは借用のドミナントの第9音ですから大切に響かせるべきです。77~79小節はDes-durのIVのようですが、asが上方変位してaになっているために、もの悲しさが加わります。当然、これをサブドミナントと考えれば、80小節はDes-durのトニックですが、ここでも上に半ずれしてD-durのトニックになっています。シャープ系なので、それまでよりも、「遠くで」どこかから楽しげな宴が聞こえてくるような感じで、明るめのニュアンスで弾きたいところです。85,86小節は19小節からの部分を46小節の効果と同様に突然響かせ、fを主音とするロクリア調に再現しようとしますが、87小節で、VI和音に疑終止するところがまた上に半ずれしてD-durのトニックになっています。このあたり、突然、大きく表情を変えるべきです。90小節で同様に転調しますが、90~93小節はバスがfのオルゲルプンクトになっていること、小節の最初で常にsubitoでフォルテに戻ることに注意して表現すると良いでしょう。94~112小節は、bを主音とするエオリア旋法で、バスはbがオルゲルプンクトになっています。113~116小節はAs-durのV9、117~120小節はその借用和音のV9と読めます。112小節の和音をAs-durのIIと感じることで滑らかにつながっていますが、113,117小節はsubitoで弱くしてニュアンスを変えるべきです。楽譜に書いてあるように、音量で調整するよりも「柔らかさ」で調整した方が表現しやすいと思います。また、116~117小節についてはf→fesのライン、120~121小節はfes→esのラインを大切にしたいところです。
指使いですが、113~116小節の左の最初のfとgを1でとるのはお勧めしません。明らかにfの方を響かせなければいけないからです。120小節の和音の構成音の一部をb-mollの+IVと感じれば、121~124小節のb-mollのII7に滑らかにつながり、125小節でV9、126小節のI拍目でI、126小節2,3拍目でドッペルドミナントの根音省略、下方変位、そしてまた127小節から同じ繰り返しとなるカデンツの常道のラインが読めます。
129小節は冒頭と同じfを主音とするロクリア旋法ですが、冒頭の下降音型のみに縮節されていて、131~135小節は、b-mollのV音のオルゲルプンクトの上に、VI、IV、VIの和音のゆれ、そして、132小節はgesをgとすることで一瞬As-durのV7が偶成和音として挿入され、意外な展開を予測させますが、133小節でまたb-mollのVIに戻ります。その意外さをsfzで表し、そのまま通常のカデンツで曲を閉じます。
125小節の最後の16分音符の一番下の音aは、メロディーラインの一部ですから、左手でとっても良いでしょう。126~128小節も同様です。
全体に、スペイン音楽のニュアンスに満ちあふれていますが、やはり、あくまでもフランスの作曲家ドビュッシーのもので、スペインのものほど鋭く強烈なわけではありません。乱暴にならない、デリケートな「疑似スペイン」を表現したいものです。