ピティナ調査・研究

前奏曲集第1巻より第10曲「沈める寺」

ドビュッシー探求
前奏曲集第1巻より第10曲「沈める寺」
7m15s/YouTube

前後の作品に比べ、ゆったりとしたリズム、息の長いフレーズがとても印象的でコントラストを生んでいます。この作品は、ブルターニュ地方に古くから伝わる伝説からインスピレーションを得たと言われています。海底に沈んでいた町の大聖堂が、聖歌や鐘の音とともにもやの中からゆっくりと現れ、また次第に海に沈んでいき、姿を消していく、そういった巨大な情景が一筆書きのように描き出されていくスケールの大きな作品です。立体的な響き、重くなく、しかし豊かな響き、透明な響きと不透明な響き、光と影、そういったさまざまな響きの世界を我々に楽しませてくれます。また、作曲語法も、並進行和音が中心で、並行オルガヌムの魅力を近現代に違った方法で復活させています。恐らく、この作品は前奏曲集第1巻の全12曲のなかで、題名との関連を最も強く感じさせるものだと思います。しかし、あくまでも標題は作品の末尾に、「・・・のようなもの」と添えられているだけです。情景描写だけでなく、響きそのものの美しさを求めるべきだと思います。

演奏上の問題について

この作品は和声の流れが非常に大きく作られていて、そのクレッシェンドの長さと大きさはブルックナーマーラーのシンフォニーのそれを連想させるほどです。大きく見れば、1小節からの音楽は、28小節のバスのcに向かって徐々に進行していると考えることができます。この作品は調性としてはC-durです。その中心軸からの揺れを常に考えるべきだと思います。また、教会旋法と通常の長短音階の違いも認識することで曲の微妙なニュアンスの違いがなぜ起こるのかがわかります。

1~15小節では、バスがg(1小節目)→f(3小節目)→e(5小節目)→d(13小節目)→c(14小節目)と進行して16小節目のhまで順次下降しています。従って、16小節の冒頭が、音楽的には前半部分の最下部だと考えて良いでしょう。

1~6小節ですが、3,4小節のバスのf,c,fの和音を経過音と考えて除外すれば、この間の響きはG-durの2,6音付加のI和音ととらえることが可能です。しかし、1,3,5小節の4分音符の動きを追えば、eを主音とするフリギア旋法と考えることも可能でしょう。また、響きは4度や5度の積み重ねで構成されていますから、やはり、後者のニュアンスを大切にするべきだと思います。また、この部分に限りませんが、高音部、低音部にある付点全音符の響きの中に他の音符の響きを重ねることが大切で、例えば、冒頭の付点全音符と4分音符は響きの質が全く異なります。2小節でもバスの、スタッカートやテヌートの付いたd,g,dは、g,d,e,aの響きの中に重ねるように表現しなければいけません。要するに、立体的に響きを作らなければいけないので、ペダルと耳をよく使う必要があります。そういったことを含めつつ、それでも1~6小節を大きな1つのフレーズとして作らなければいけません。6小節では、ペダルを徐々に浅くしていって、eのオクターブの音が他の音の中から浮かび上がり、最後の音の時にはeだけになるようにする方法もありますし、6小節の最初でペダルを踏み変えてしまう方法もあるでしょう。いずれにしても、ここでeが主音であることがテヌートによって強調されます。また、5小節目の最後から、このeは、四分音符が2,3,4個分の長さとなって順に長くなっていますが、これは自然なリタルダンドを表しています。従って、ここでは正しくテンポを守るべきです。この表現は83小節や、この曲集の第3曲の55~58小節などでも用いられています。このオクターブの音は、まるで鐘の音のように執拗に、規則的に響きます。

7~13小節ですが、そこに、やはりユニゾンでeを主音とするリディア旋法に則ったメロディーが歌われます。鐘の音をイメージさせるeのオクターブを硬質な音で、メロディーを「柔らかく、流れるように」表現します。9小節目の3拍目のように、鐘の音eとメロディーのgisを同時に演奏するところなどは、そういった異なる音質を片手で演奏するためにとても難しいところですが、タッチやポジションや重力などをよく工夫して表現したいところです。5小節の冒頭のバスにあるeは、見えない形で13小節のバスのeに連結され、dを経て14小節のcに収束します。メロディーは、47小節からの部分と同じですが、ここでは、なるべく無機的に歌うべきですが、理由は後述します。

14,15小節では、中間部やコーダのC-durの予出になっています。ぼくは、14小節のバスのc,g,cはそうとらえていますが、15小節のバスのc,g,cは16小節のH-durのトニックへ向かう、サブドミナント的なニュアンスでとらえているので異なる響きだと思っていますが、解釈は別れるところでしょう。また、14,15小節では、「ニュアンスをつけずに」とありますが、イメージとしては、弦楽の、弱音器をつけたビブラートなしの響きが近いと思います。僕には、バルトークのピアノ協奏曲第2番の第2楽章の冒頭のオーケストラの響きが最も近いイメージです。5度や4度の積み重ねの和音のニュアンスがとても大切なので、すべての音のバランスをなるべく均等にして、決して上声部だけ響かせるとか、そういうことのないように演奏すべきだと思います。絶対にしてはいけないことは、15小節の最初の音にテヌートをかけることでしょう。その段階でドビュッシーが嫌った、ロマン派のべたついた表現に成り下がってしまいますから注意が必要です。

16~18小節はH-durの、2,6音付加のI和音の響きが繰り返されます。この、シャープ系の明るさや暖かさが最も強い調を、semprePPで表現することで「だんだんと霞から出てくるよう」なニュアンスになります。実は、この右手最上声部分にあるライン、fis→gis→disは、曲全体を統一するモチーフです。1小節目の四分音符の最上声、d→e→hなどです。このモチーフは、長2度、完全5度で連結されていますが、長2度、完全4度に変形した形でも出現します。たとえば、7~8小節のメロディーcis→dis→gisや22小節から2倍に拡大されたg→a→dなどです。こういったモチーフの統一性とオスティナートについて、ドビュッシーははっきりと語法を使い分けています。すなわち、この曲や、この曲集のだい2,3,6曲のように、全く同じ形で繰り返す場合とそうでない場合です。メロディーとして扱う場合は出てくるたびに形を変えますが、動機として扱う場合はなるべく同じ形にしています。

ついでに拍子のことに触れておきましょう。最初にドビュッシーは4分の6拍子と2分の3拍子を併記しています。1~6小節は4分の6拍子、7~15小節は2分の3拍子、16~21小節は4分の6拍子、22~83小節は2分の3拍子、84,85小節は4分の6拍子、86~89小節は2分の3拍子になっています。

話を元に戻します。この16~18小節は湖の水面が少し揺れ動き始めて、寺院が少しずつ浮かび上がってくるように感じるところです。始めて8分音符が出てきて、右手の四分音符の揺れと一緒になって、異なる水面の揺れが幾重にも重なっているような雰囲気です。そこに、17,18小節の冒頭の付点4分音符、これは最高音がトニックの第6音になっていますが、鐘の音のようです。しかし、6~13小節で鳴っていた冷たい響きではなく、暖かい響きです。これは、長和音や長音階によるものです。18小節の四分音符は3つ目と4つ目の間でスラーが切れています。これは忠実に守るべきです。それは、モチーフとして19小節の冒頭の音に向かって、fis→gis→esとなり、これは異名同音で読めば長2度、完全5度の音程を守っているのですが、それ以外にも理由があります。それは、18小節最後の和音のうち、hをces、gisをas、disをesと読みかえることでこれらの3音でEs-durの借用IV和音になり、サブドミナントとして19小節冒頭のトニックに解決するからです。21~22小節の部分も同じです。つまり、16,17,18小節の最後の四分音符の和音のうち、18小節の和音だけが機能的に異なるからです。

19~21小節は、長2度+完全4度のモチーフと長2度+完全5度のモチーフが最初は交互に現れていますが、18小節からわかるように、縮節がかかっています。1~6小節や14~15小節は2小節ごとにこのモチーフが出てきていて、16,17小節では1小節ごと、18小節から21小節では版小節ごととなっています。これも徐々に盛り上がっていく効果の一端を担っています。21小節では長2度+完全5度のモチーフだけをオスティナートとして、更に縮節感を出しています。左手に目を移すと、19小節の4番目の四分音符の部分に、d→c→bという16分音符を用いた短いリズムモチーフが出てきます。これは形を少し変えながら20,21小節で計4回出てきます。左手は21小節でオクターブとなり、自然なクレシェンドを形作ります。

22小節では、突然目の前に草原が現れたような開放感が表現されます。ただし、G-durとわざと認識できないようにトニックの第3音hを省いて空5度和音にしています。そして3拍目から27小節の4分音符4つ目までC-durのII7和音の響きになり、27小節の最後でドミナントとなり、28小節でトニックに解決します。しかし、導音などを用いないのでロマン派的な質感はないところが独特です。22~27小節では、先ほどからのモチーフが2倍に拡大されたものがオスティナートで響き、一種のアラルガンドとしての効果をあげます。このオスティナートは常に一定の響きで演奏したいところです。また、音域の異なる部分ごとに音色を変えると良いでしょう。たとえば、23小節の途中から高音部で出てくる四分音符のメロディーはとても輝かしく、同じメロディーが25小節途中から低音部に出てきますが、これは深みをもって演奏します。

ここで注意したいのは、ここではフォルティシモではなく、フォルテだということです。あくまでも28小節がピークですから、そこまで余力をもって表現したいところです。いずれにしても、27小節のsffのついたgは28小節のcに向かって、古典和声での代表的なV→Iの進行として表現します。

28~40小節は、ぼくが不勉強なので良く知りませんが、恐らく、何らかのグレゴリオ聖歌かもしれません。並行オルガヌムで堂々と、「硬くなく、響かせて」演奏される荘重な歌を表現します。可能な限り腕の重さを利用して弾きたい部分です。28~32小節まではC-dur、33~38小節まではaを主音とするフリギア旋法にも聞こえるし、単純なF-durにも聞こえます。そして38~41小節でまたC-durに戻ります。メロディーには、主となるモチーフがいたるところで用いられています。そして40~42小節冒頭まででこのモチーフが2回繰り返されてそれが42~46小節で和音となります。この部分は徐々に弱くなっていきますが、とても難しい部分です。42小節をあまり弱くし過ぎないこと、42,43小節はソフトペダルを使わず、44小節以降に使うことなどを一例として工夫して表現したいところです。なお、42,43小節では、モチーフと33小節からの部分の固有音bを使って和音を作っていますが、44~46小節は、gを除けば全音階和音的なニュアンスになって陰りが強くなります。ここでasを異名同音でgisと読みかえて、cis-mollに転調します。

47小節からの部分は、7小節からの部分と同じメロディーですが、オルゲルプンクトが異なります。ここはgisですが、7小節からの部分はeです。この部分はcis-mollのVがオルゲルプンクトであると考える(50~54小節はgis-mollのIとして機能)ことで、この部分が7小節からの部分よりもより感情を伴っているといえます。それが47小節にある「表情豊かに、集中力をもって」の意味だと思います。しかし、導音hisは全く用いられないので、過度なロマンティシズムはありません。また、その警笛として「あまり遅くならないように」という指示があります。このgisが、本来収束すべきC-durのV音であるgの半ずれした状態でオルゲルプンクトになっていて、これが72小節のI音Cに向かうのだと思います。47~49小節はcis-mollのI→V→Iで、49小節のcis-mollのIをgis-mollのIVと読みかえて50小節はgis-mollのV、51小節はVIからV9となって52小節になり、53,54小節はその繰り返しとなっています。このVI和音で擬終止するところが、祈りに似た救いニュアンスを作っています。11小節は空5度ですからそういったニュアンスはなく、その原因となっているのはgisです。55~62小節の2拍目まではcis-mollのII7がずっと続きます。60,62小節のhは非和声音と考えて良いでしょう。そして、62小節の3拍目がドッペルドミナントになり、V→Iと向かうcis-mollのカデンツァを予想させますが、ここでこのドッペルドミナントを意外にも63小節で並進行させて64小節のドミナント(V7)に向かいます。67小節まではこのドッペルドミナントとドミナントの揺れが2回起こり、68小節でトニックに解決することを予想させますが、解決せず、hisを異名同音でcに読みかえて71小節まで全音階和音として響かせ、そこからC-durの固有音c,dを残してC-durに解決しています。fisとgisを長2度で重ねた和音が、まるでC-durのV音のような役割をしていることも面白いところです。この47~71小節では、頻繁にsubitoの音量変化が現れます。53,57,64,65小節は特にそれを守るべきです。また、この間の頂点は61小節ですから、そこから逆算して57~60小節が大きくなりすぎないようにしたいところです。また、あくまでもテンポは一定で弾くべきで、58と59小節の間、60と61小節の間はあけないように弾くべきです。

72~83小節は28小節からの部分とほぼ同様に再現しています。左手はc,g,dという5度音程の積み重ねの分散和音でオルゲルプンクトを作っています。もちろん、すべてをはっきりと弾くのではなく、「漂うように、そして聞こえないくらいに」表現します。また、右の並行オルガヌムは、28小節からの部分の一種のエコーとして、つまり、「始めに聞こえたフレーズがこだまするように」表現します。

84小節からは同じオルゲルプンクトの上に4度ずつ積み重ねた和音をほぼ並進行しながら、「はじめの響きのように」C-durを確保して終わります。ここでも、立体的に響くように、音域ごとに音色や音の質を変えて表現すると良いのではないかと思います。

前奏曲集第1巻の全12曲の中で、わかりやすく、しかも奥の深いこの作品は、ドビュッシーの響きの質や歌いまわしを習得する上でとても勉強になる作品だと思います。