ピティナ調査・研究

12の練習曲より第12曲:和音のために

ドビュッシー探求
12の練習曲より第12曲:和音のために
4m48s/YouTube

教会旋法や並行和音を多用しているとはいえ、明白に調性がとらえられるという点で、第9曲の「反復音のために」と同様に、早い段階で着想されたのではないかと思います。和音の練習曲といえば、我々は、普通、リストラフマニノフプロコフィエフなどの豪壮なものをイメージしますが、ここでドビュッシーは全く異なる方法で和音を扱っています。曲の始めに、「決然と、リズミカルに、重くなく」と指示があるのです。この指示がなければ、音型からしても、みんな豪快に弾くでしょう。この発想は第5曲「オクターブのために」と同じです。ドビュッシーは、ワーグナーなどの後期ロマン派から作風を出発させましたが、すぐに反旗を翻し、重厚なもの、豪快なものを死ぬまでずっと好みませんでした。

 リズミカルな前後半と、静かで極めてデリケートな和音の連結で表現された中間部の3部形式で書かれています。この作品は、両手が両端に飛ぶ跳躍が多く、ミスタッチなしで演奏することが難しいところです。しかし、それ以上に困難なのが、その中で響きの質感をも微妙に替えることをドビュッシーが要求していることです。

 最後は彼が若い頃からずっと用いてきた教会旋法の終止の代表、ピカルディ終止で、しかし従来の落ち着いた用いられ方ではなく、極めて輝かしく、明るく全曲を締めくくります。

演奏上の問題について

両手が反行形で跳躍することをどう考えるかですが、実は、左右とも和音部分とオクターブ部分を別の声部と考えると演奏が容易になります。たとえば、1小節目の右手ならば、a cis e aの和音の響きの中に1オクターブ上のaのオクターブが響くといった感じで、このa cis e aの和音は3拍目のas c fの和音に連結するといった感じです。具体的にはaがasに、cisがcに、eがfに連結する、即ち、和音の揺れを認識することです。左手も同様です。

 11~12小節は揺れがg→as→gとフラット系に揺れ、12~13小節はg→fis→gとシャープ系に揺れるので、前者は暗め、後者は明るめにします。以下、同様に判断して音色や強弱を決めます。

 調性は比較的はっきりしているので、たとえば31~33小節などのようにカデンツァが明確な場合、それを意識して表現すると良いと思います。51~53小節は、特に内声の音がどう連結されるかに注意を払うと良いでしょう。また、和音が並進行しているのか、カデンツァ的な進行をしているのかを区別すると演奏しやすくなります。

 80小節からの中間部分も本質的には変わらず、和声の揺れを声部ごとに認識すること、シャープ系とフラット系の音色を使い分けることで音楽的になります。92~93小節は、バスとソプラノが反行形になって同時にふくらんでしぼむ感じを強調したいところです。特に93小節は1回目よりも大きな揺れにしたいところですが、ロマン派のように思いっきりやるのではなく、さりげなく表現するようにドビュッシーは指示しています。95小節はその前から異名同音的な転調をして、しかもcisのオクターブが嬰へ長調のVのオルゲルプンクトとなり、5拍目でハ長調のV9をドミナントのように用いています。96小節からの部分は、嬰へ長調ですが、微妙にリディア調の響きがします。103~104小節はドビュッシー特有の、もったいぶったドミナントですから、当然、解決しません。その意外なニュアンスを105小節に表現したいところです。126小節3拍目の再現部に向かうクレッシェンドは直前まで我慢に我慢を重ねます。また、再現部はフォルティシモで弾きそうになりますが、フォルテです。これは54小節も同様で、「決然と、リズミカルに、重くなく」を思い出さなければいけないところです。あとは多少の短縮はありますがほぼ忠実な再現です。最後の177~179小節の跳躍も、多声的な感覚で弾くと表現しやすいと思います。179小節の3拍目にやっと2回目のフォルティシモが出てきて、最後のオクターブも重くなく切れ味鋭く終えます。盛り上がるところはアッチェレランドもせず、我慢のクレッシェンドが随所に必要で、これがドビュッシーの好んだ質感になるのです。

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