ピティナ調査・研究

12の練習曲より第8曲:装飾音のために

ドビュッシー探求
12の練習曲より第8曲:装飾音のために
5m32s/YouTube

 12曲の練習曲の中でこの作品が一番最後に完成されました。さまざまな装飾音が複雑に入り組み、しかもシャープ系の響き、フラット系の響きが頻繁に交替するなど、一時も単純な部分がありません。ドビュッシーの繊細な趣味が隅々まで行き渡った傑作です。装飾音については、クープランラモーなどのバロック時代の壮麗な装飾音をふまえて現代風に再現していると思います。また、スペインの近代ピアノ曲の最高峰、アルベニス組曲「イベリア」がこの練習曲より5年ほど前に作曲され、極限まで装飾音の技法をつきつめています。ドビュッシーは組曲「イベリア」を崇拝し、彼の作曲技法をかなり研究したようですが、できあがった結果は全く異なる趣味のものになっているのはさすがです。さらにドビュッシーは、この作品で装飾音の定義を拡張しています。すなわち、もともと、鍵盤楽器の装飾音は、音の減衰が速く、可変的な強弱を付けられないチェンバロなどで演奏するときに、和音やメロディーを強調するためのものとして発達した経緯があります。つまり、装飾音の定義は、音の強調やヴァリアントなど、補助的な役割として考えられていました。つまり、装飾音にはさまざまな自由度があるということが、音楽の根幹の部分としての意味合いは薄いということを意味していました。しかし、ドビュッシーは、この作品で、そのような、いわば刺身のつまのように考えられていた装飾音に、転調や明暗を作るという本質的な意味を同時に持たせてしまいました。そのために、その独創的な美しさを一度わかってしまった人にとって、この作品は極めて特別な意味をもつと思います。演奏上の問題は、更に様々な問題を含んでいて、この1曲だけで小冊子が作れるほどだと思います。

 

演奏上の問題について

 この作品は細かく見ていくと非常に複雑な世界が展開されています。他の作品も単純な部分が決して長く続きませんが、この作品はそういう意味で頻繁な「不連続」状態が起こります。その意味がわからないと、断片的なメロディーだけが印象として残るようなとりとめのないものになりかねません。構造は他の作品に比べ見えにくいですが、一応、A(1~11)→(B(12~32)→C(33~41))→A(42~53)といった一種の3部形式で、Aはヘ長調が基調、Bはハ長調が基調、そしてCは変イ長調が基調となっています。また、BはAの属調になっていますが、それぞれの節で頻繁な転調などが起こるので、あまりそういった構造的なことは問題にならないように思います。楽譜を読めば読むほど、ドビュッシーがこだわったことがらの多さに驚かされます。複雑さにおいて、全12曲中随一だと思います。

 まず最初の2小節からドビュッシーの音楽すべてに要求される非常に難しい部分が始まります。和音としてはヘ長調トニックの響きが基調となり、バスにオルゲルプンクトのfがあるなかで、和音が並進行しているという、それほど複雑ではない形なのですが、問題はバスのfです。これは小節全体で響かなければならないのでペダルを使わないといけないのですが、踏みっぱなしだと濁りすぎて汚くなります。しかし、踏み変えるとfが消えてしまい、1,2小節が響きとしてはヘ長調のトニックであるというよりどころがなくなってしまいます。それでも、1小節目は左手のテノールに出てくる和音を右手でとれば、バスのfを左で押し続けられるので問題の解決はできます。2小節目はデリケートなペダルの浅い踏み換えが必要になります。バスのfの響きを2小節目の最後まで聴きながら他の声部の響きのバランスをとることになります。3小節目の最初では、和音がホ長調のドミナントになっていて、半ずれしています。調としては下に半音下がりますが、シャープ系なので、この部分だけが明るく暖かいニュアンスにして、その意外な効果が欲しいところです。そして3小節目の後半では気を取り直してヘ長調のドミナントになり、4小節目でトニックに解決するニュアンスを強調し、4小節目のはぐらかしで疑終止的な響きに向かう感じを表現したいところです。5小節から今度こそヘ長調のドミナントで解決を期待させますが、2拍目のdesが準固有和音のV9として響き、カデンツァのようになってニ長調のドミナントと和音が交替しながら、結局半ずれして9小節で変ト長調に転調するのです。この和音の交替部分も、上行音型のときに比べ、下降音型のときは明るい色調で演奏したいところです。そして10小節でまた半ずれして11小節でやっとヘ長調のトニックに戻ります。この1~11小節の、へ長調としての和声のゆらぎをさまざまな装飾音を伴った響きで表現するのですから、デリケートな音楽的質感と相まって、単純な技術練習ではどうにもならないことがわかります。解決延引の意外性や、シャープ系の明るい響きとフラット系の曇った響きをうまく弾き分けたいところです。

 12~14小節はハ長調の経過的な部分ですが、バスにはハ長調の基音cがないので、浮遊したニュアンスの中でトニックとドミナントの揺らぎを表現することになります。また、バスの32分音符にもドビュッシーは細かいこだわりをもっているようで、12小節のdisはdに向かい、14小節のesはdに向かうので、その質感を表現することは同じですが、これらのdisとesについて、前者は明るく、後者は曇った響きを考えて表現を変えている可能性があります。そのesを先取的に考えて、15小節のバスは、メロディーはハ長調のまま、上に半ずれしています。つまり、バスは、本来cとdのトリルからgとaのトリルになることでハ長調のトニックとドミナントになるのですが、それを半ずれさせることで、さらに浮遊し、曇った感じを演出しています。もちろん、15小節の最後のクレッシェンドは、擬似的なドミナントから16小節のトニックへ向かう意識をもつようにという指示に読めます。16小節のバスのdisは、17小節からのホ長調の導音としての先取として響きます。

 このように、この作品では、本来の非和声音としての役割だけを持っていた装飾音に、更に転調や明暗を作る役割を与えているところに素晴らしさがあります。結局、記譜上、メロディーと伴奏の2声にしか見えないところでも、多声的なイメージをもって演奏することが要求されていると思います。

 17~19小節は、イ長調で、和声的には様々な付加音があるにせよ比較的シンプルなところですが、ソプラノ、バスの2声に中声部の和声とリズムをバランスよく表現することを求められます。18,19小節の中声部の和音は左でとっても右でとっても良いと思いますが、ぼくは左でとります。特に、この和音は、cis→d→cisという横の流れを綺麗に出さないといけません。17小節のバスは12小節のソプラノの反行型のようです。また、19小節のバスは17,18小節のバスをまとめて縮節にしたように思えます。そのために松葉がついているとぼくは考えています。

 20~23小節は挿入部のようにみえます。20小節は、最初、ぼくには非常にわかりにくい音楽でしたが、4拍目まではfisを根音とするフリギア調、5拍目からは変ホ長調だと考えることでほぼ解決しました。いずれにしても、鋭敏な感性が必要なところです。21~23小節はリズミカルに演奏するところです。特にこの作品はリズミカルな部分が少ないので、ここで少し生き生きとした感じを出して曲を引き締めたいところです。24~29小節は、12~23小節の縮節です。同じように見えるところでも注意深く比較しましょう。ドビュッシーは同じ繰り返しをすることの方が極めて少ないのです。例えば、16、26小節の違いを確認しましょう。また、17~18小節の中声部の流れは、cis→his→cisですが、27~28小節はcis→d→cisです。しかし、違いだけでなく、モチーフの表現の統一感も欲しいところです。たとえば、18小節のソプラノの歌い方と29小節のバスの歌い方、そして響きのバランスは同じようにするべきだと思います。

 30~32小節はカデンツァ的な挿入部です。全音階、5音階のニュアンスを経て付加音をもつハ長調トニックに解決します。31小節の2拍目の右手のパッセージを弾きにくいと思う場合は、c, as, b, cを左でとる方法が考えられます。ただし、そうすると左手のラインが2拍目から3拍目にかけて途切れる可能性があるので注意する必要があります。

 33~41小節はこれまでに加えて更に複雑な音楽が展開されています。まず、和声の変化から見てみましょう。

38小節がピークになっていますが、そこに向かうに従って和音交替のスピードが上がっていき、和声変化が一種の縮節的な効果をあげています。流れとしては、33小節がロ長調のIV度上のV7和音から、その第7音を上方変位した和音に揺れ、34小節でまた同じ和音に戻ってからIV度和音、そして35小節前半でV11となり、後半でトニックに解決すると思わせて、全音階的な不安定なニュアンスに回避し、36小節前半でまた35小節と同じV11を少し装飾して使って今度こそトニックに解決するかと思わせて、aisとcisをそれぞれbとdesで読みかえて異名同音的な転調で変イ長調に転調します。37小節から38小節1拍まではI→IV→V→Iという単純な進行でエネルギーを保存し、38小節では頻繁な半ずれ和音で極めて複雑な盛り上がりをみせ、結局39小節でホ長調トニックに解決します。ここから41小節までは35小節からの部分の余韻ですが、ここでも頻繁に半ずれ和音を使ってさりげない複雑さを表現しています。

 次に表現上の問題ですが、これらの和声や調性の変化を認識してその揺らぎを表現した上で、響きのバランスを考えます。例えば33~34小節は中声部の響きを最小限にしてソプラノとバスで響きのバランスをとるべきですが、中声部の音量をおさえにくく難しいところです。解決のヒントとしては、中声部の5個セットの32分音符の2番目のfisを右手でとることでしょうか。35小節からの右手の3和音並行移動はレガートで弾くというよりもソプラノの粒を揃えるということを意識するとうまくいきそうです。指使いもいろいろ考えられますが、ぼくは35、39小節についてはソプラノが5,4,3という指になるように考えます。36小節のソプラノは4,5,4,3,5,4,3,5,4,3となるように考えています。38小節は複雑ですが、和音が変化したときに半音の関係でずれる音を意識するとうまく弾けることがあります。35,36,39小節は右手が難しいのですが、左手のバスの保続音、32分音符の滑らかさ、テヌートの付いた音の横の流れなど、可能な限り意識して表現するべきです。

 42小節からは1~8小節の再現で、そのままカデンツァとなって曲が終わります。50小節4拍目からの分散和音は、右手の指の担当をfes, ges, as, b,desとして、他の音をすべて左手でとるようにすると弾きやすいと思います。

 長くなりましたが、この作品はこれら以外にも様々な特徴を持っています。自分の感性とドビュッシーが楽譜に著したものをうまくすり合わせて、まずは音楽づくりを考え、それからテクニックの問題に移るべきではないかと思います。機械的な練習がほとんど役に立たない練習曲という意味でも特異な作品だと思います。