ピティナ調査・研究

ドビュッシーのピアノ作品とのかかわり

ドビュッシー探求

私は、会社員の父が音楽好きであったために、幼少時から様々な音楽が聴ける環境にありました。父は、当時の一般的な家庭には珍しいレコードをいろいろなところから買ってきました。主なジャンルは、ドイツ音楽、東南アジアや中近東やアフリカなどの民族音楽、現代音楽などでした。父は、もちろん、私の教育的なことも少しは考えていたのかも知れませんが、純粋に自分の興味の沸くものを求め、また、家で聴くときには私に聴かせるのではなく、自分で聴きたいときに聴いていました。

私の家は狭く、父がレコードをかけ始めると、物音をたてたら怒られるので、父がレコードをかけることは、子供心に決して有難いことではありませんでした。中には私が好きな作品のレコードもありましたが、父は決して私にはさわらせませんでした。まあ、大切なものですから、当然ですが、今の時代の、特に子供に音楽教育をしっかり受けさせたいと思う保護者の方々には違和感があるかもしれませんね。

というわけで、中学を卒業する頃までは、ドビュッシーと自分との関わりはほとんどありませんでした。高校になって、様々な友人や先輩に出会い、父以外から様々な音楽を教わることになりました。しかし、やはり、私の好みの中心はバッハやベートーヴェンを中心とした、精神性の深いといわれる音楽でした。中でも、私はベートーヴェンの後期の作品、つまり、ピアノソナタや弦楽四重奏曲などが大好きで、中学の頃から無謀にもこれらをすべて独学でピアノで弾こうとしていました。

しかし、どうしても音色や音量のコントロールを含めた技術に行き詰まりを感じてしまいました。そこでそういう訓練のできる作品を探していくうちに、ショパンやブラームスと出会い、ついにはフランス近代のピアノ作品に出会ったのです。しかし、最初の目的とは裏腹に、ドビュッシーやラヴェルやフォーレといったフランス近代の作品の面白さを知り、興味はロマン派後期から現代までの諸作品にすっかり移行してしまいました。

自分のピアノ技術の変遷を考えてみるとき、自分の技術を作ってくれた作曲家の作品は、バッハ、ベートーヴェン、ショパン、ブラームス、ドビュッシー、ラヴェルが中心でした。その中でも、特に音色や音質について最も勉強になった作曲家はドビュッシーでした。

そろそろそういう意味で自分の表現について一度まとめておきたいと思い、まわりの様々な方々の協力もあり、2007年8月のリサイタルから4回でドビュッシーの全ピアノ作品を演奏することになりました。また、それに伴い、有難いことにこの場で私の演奏の録音が公開していただける機会に恵まれました。ただし、ドビュッシーの音楽は、ピアニシモの範囲の幅が音量、音色ともに広いので、繊細なブルゴーニュのワインが輸送によってその味わいを失うのと同じで、果たしてどの程度ウェブ上で表現できるか心配ではありますが。また、同時に、わたしが敬愛するピアニスト、前山仁美さんの素晴らしいハイドンの音源が連載されていることや、他にもたくさんの素晴らしいピアニストの方々の音源が多数掲載されているピティナのホームページで私のドビュッシーの演奏は余りにも力不足と言えますが、何とか自分なりの音楽を表現できるように頑張る所存でございます。

私は音楽史をみるたびに、ドビュッシーは20世紀最高の作曲家だと思っています。ドビュッシーのピアノ作品は素晴らしい世界があり、また、日本人の繊細な感性に共通するものを多く含みます。また、多様な世界が拡がっているため、様々な演奏があります。また、ショパンの作品のようにある程度年数が経っているものは、様々な考察がなされ、具体的な練習方法や表現方法に関する書物も多数ありますが、ドビュッシーの作品についてはまだまだ少ないのが現状です。そうしたことも含め、演奏と自分の考えた様々な作品へのアプローチの仕方も含めて連載したいと思っております。