12の練習曲より第3曲:4度のために
機能和声と呼ばれるルネッサンスから近代までの和音とその構造は3度とよばれる音程の積み重ねが基本になっていますが、ドビュッシーは、この作品でそれをうち破り、何と、4度の積み重ねによる作品を創りました。そもそも、ドビュッシーの練習曲集は、練習して他の作品がうまく弾けるようになるようなものではなく、題名をモチーフとした抽象的な音楽ですが、この作品は、特に斬新で透明、かつ複雑な響きをもっていて、傑作揃いの練習曲全12曲の中でも極めて高く評価されています。曲中の至る所で速度の変化に関する標語が書かれていますが、これは、極めて自由に演奏するようにというドビュッシーの指示です。しかし、ドビュッシーの標語は多くの場合、複雑な意味を持っていて、これを守らないと陳腐で過度にロマンティックになり、求める質感にならないという警告をしているのですが、ただ表面的に守っても、その意味が分からないとなかなか良い表現に結びつかないところが難しいところです。
曲は、5音階で始まりますが、曲中は古風な教会旋法や全音階を多用しています。それは音楽史をちょっと考えると当然かもしれません。そもそも4度音程の並進行は、グレゴリオ聖歌ではよく使われた表現で、9-13世紀あたりでは4度の並行オルガヌムという名のもとに、最も一般的な多声音楽だったからです。それをドビュッシーは現代のピアノという楽器で現代的に加工して再現したと考えられます。最後はそれを裏付けるかのように、アーメン終止的な響きで平和に終わります。
第10曲の「対比音のために」と並び、響き(ソノリテ)の多様さと美しさにおいて傑作だと思います。
6小節目のピウ・ピアノですが、付点2分音符の和音はフラット系なのでクラリネットなどの木管楽器の音色と考えると、前の小節と明らかに響きのニュアンスが変わって表現しやすいと思います。また、cの同音連打はそういう意味ではフラット系でない音なので、弦楽器や打楽器の響きを考えると和音とのコントラストが出やすいと思います。例えば7、10、37,40小節に代表されるようなパッセージですが、ぼくはドビュッシーが書いたとおりの左右の手の配分で弾きます。これは非常に困難ですが、うまくはまれば響きはこちらの方が美しいからです。また、これはフォルティッシモでなくフォルテで、しかもフラット系なので、その質感を守るとうまく響かせやすいです。指使いはここでは煩雑になるので書けませんが、鍵盤の前後の長さをうまく利用して、ポジションをうまくとれるものを考えると良いと思います。鍵盤の前後のポジション移動は、54小節目から始まる右手の32分音符の4度パッセージでも大切です。61から62小節にかけての右手の跳躍ですが、62小節の右手の付点二分音符は左手でとれるとしても、右手で、間をあけずにsubito Pでとると緊張感が出て良いと思います。65小節からの部分ですが、速い4度パッセージがないところで和音を音を出さずにおさえ直してペダルを踏み変える演奏法もありますが、ぼくはすべての弦に共鳴している響きを消したくないのでそうしません。そのかわり、音の長い音符の響きをよく聴きながら速いパッセージを弾き、滑らかに息の長い中低音域の声部が流れるようにします。