総説その6:音楽遺産「乱掘」の成り行き
知名度を信じる余り、作曲家の評価への極端な格差を生み、有能な演奏家のレパートリーを画一化させるようなことは、音楽芸術にとって大きな損失である。クラシック関係者にはごく当たり前とされる状況が、私のように音楽家が周囲に全くいない状況でやってきた者には、恐るべき洗脳体制に映るのである。
多分私は、20世紀の受験戦争や音楽学校教育に一切与しなかった音楽家がどうなるのか、という稀少な例証とされるだろう。私の学校嫌いは、かつて暴力をもって学習・規律を強要し、規格品のように人間を統制しようとした、中学校教師たちへの激しい憤りに端を発したものだった。この経験は、人の指導を受けることそれ自体への不快感をもたらした。私にとって「進学」という選択肢は無かったのである。自分を押さえつけようとする不条理な力への反発は、理想への猛烈な推進力となって、不条理にも埋もれた作曲家たちの許へとレールを敷き、「山手線」を遠く離れた絶景の秘境へと私を運び続けたのだ。
日本が昭和から平成へと移った頃、デジタル社会の到来によって、国際的に音楽をめぐる状況は一変する。利便性とテクノロジーへの盲信は、従来のレコードを全廃してCDのみに一本化するという、後先見ずの暴挙に出る。連動するかのように、音楽への向き合い方も、演奏家の感性も大きく変化した。国内外の音楽コンクールが急増しだしたのも、この時期のことだ。
他方、デジタルによる録音の簡易化に伴い、それまで音源のなかった、知られざる作曲家のCDが大量に市場に出回るようになった。
そのこと自体は歓迎してよいのだが、問題はその内容である。私自身も「アルカン選集」その他をかなりのペースで出していた時期に当たる。それらも含め、その多くは不本意で聴くに耐えないものだった。私は過労と失望から心身に再起し難い程のダメージを受け、活動を休止。回復の兆しが見えない状態が数年にわたって続くことになる。
格安の演奏料で若手演奏家を次々に起用、〝知られざる名曲〟の量産体制を推進していた当時のレコード業界の背景には、「世界初録音」の肩書が一定数の需要を生じ、なまじの有名曲より販売数を延ばせる事情があった。
しかし、こうした音楽遺産の〝乱掘〟が、結果的に作曲家をさらなる闇へと葬るようなケースも相次いだ。
何が問題だったのか?──答えは明白である。かつて往年の巨匠たちによって引き継がれ、磨かれてきた名曲のありようを弁えず、経験も知識も乏しい奏者が、音符を音にするだけで、未知の名作が〝名演〟たり得るかのように浅はかにも考えてしまったことだ。それが20世紀における楽譜観だったからである。19世紀の表現感覚を会得できるまでには、かなりの時間を要したのだった。