ピティナ調査・研究

総説その2:一千名を超える作曲家たちとの対峙

生誕二百年を迎える音楽家群像
総説 その2:一千名を超える作曲家たちとの対峙

結果的に私は19世紀と20世紀、厳密には自分の出生から200年を遡る世代までを対象に、仏・独・伊の三国を中心とした延べ一千名を超える作曲家と向き合うことになる。
 毎日一冊の初見演奏を日課とするピアノ曲だけでも、少なくとも数千点にはなろうし、ピアノ以外の譜読みの総数は恐らくそれを上回る。私がこのペースを確立できたのは、21世紀を迎えた40代に入ってからである。

既に40年以上にわたり、私は一貫して「音楽史の闇」を探り続けてきた。それはマイナー・コンポーザーの発掘といったレベルを超えて、歴史の総体を眺望する試みへとシフトしてきたのだった。
事の発端は作曲家を志して15歳でパリへ渡った折、音楽家の知名度とその価値はどうやら別物らしい、と気付いたことによる。
私を感動させたのは、あまり知名度の高くない作曲家や作品が多かった。メジャーな音楽家としてリアルタイムで社会の評価を得るためには、時流を読む力、セルフ・プロデュース能力が不可欠なのだろう。そうした才能に長けた人たちの作品に、私はしばしば恣意的な気配を感じ取った。
ともかく前衛の最先端に同調していた当時の私には、クラシック音楽自体が興味の対象外となっていた。ピアノの指導を受けることが苦痛になっていたのを思い出す。

聴取・読譜・演奏では、それぞれ音楽の体感レベルが異なる。特にピアノ曲の場合、弾いてみないと解らないことが多い。それは作曲家がピアノを弾きながら曲を書くからで、オーケストラ・スコアは純粋にイメージで書いている分、読み取り易いところがある。
 ピアノ曲でも、当然初見と公開演奏では事情が違ってくる。殆どが少人数の集いとはいえ、私はほぼ毎月、時には月に2回、特定の作曲家をテーマとして新たなプログラムを弾き続けてきた。

その中にはH.ラヴィーナ、E.シラス、アントン・ルビンシテイン、C.キュイ、C.サン=サーンス、アントナン・マルモンテルらの全曲演奏が含まれる。8割以上の作品を披露したものでは、F.ヒラー、C.V.アルカン、M.モシュコフスキ、F.ブゾーニ、M.レーガー、G.F.マリピエロ、A.カゼッラ、L.フェラーリ=トレカーテその他がある。これらのコンサートにおいて、決して作品の時系列を逆行させない、というのが私のルールとなっている。

こうして作曲家を調べ、優先順位に従って作品を収集し、譜読みを行い、選曲してプログラムを組み、プログラムノートを書く。並行して日々の初見演奏を行い、時に作曲する。

勿論、読書や音楽鑑賞もかなりの量にのぼる。このペースでコンサートを行うと、大抵の場合、初見を含めて10回弾かないうちに「本番」となる。オーケストラならともかく、ピアニストの常識からは気違い沙汰であろう。アバウトな演奏にしかならない不満や反省は多かったが、音楽史の主要情報を〝体得〟していく上でこの作業は必須だった。これでも厳選した最小限の曲目だったのである。

そしてやっとある程度の見通しがつけられた今、私はこの「量」を「質」へと転換する時期に至ったことを実感している。最終的に、原作者の表現レベルに達しなくては、紹介にはなり得ない。演奏が違うということは、曲が違うということを意味するのであるから。

ルーツを辿る長い道のりの先に姿を現した著名作曲家たちは、それまでの「クラシックの大作曲家」のイメージとはまるで違うものだった。「クラシック」とされている音楽と、それが「クラシック」でなかった当初の音楽は全く別の物なのだ。この違いは衝撃的である。一体、音楽はいつ「クラシック」に化けるのか。ここには〝人知れぬうちに〟という、怪しげなプロセスが介在する。曲が仕上がった時点でクラシックでなかったことが確かであるなら、作曲家とクラシックは永遠に無関係である。この事実に多くの人が気付かないのはなぜだろう。

それ程までに〝クラシック〟という言葉の魔力は強く、それに魅入られる後代の人間たちは、そこにさまざまな憧れや思い入れ、思い込みを積み重ね、揺るぎない伝統や権威として固めていく。皮肉にもそうした様こそ、反芸術的な営みの最たるものではあるまいか。

「総説 その3」へ続く