第12回:特別インタビュー「譜読みマイスターに聞く!」第3回 三ッ石潤司 先生・前編

"譜読み"のエキスパートである先生方を「譜読みマイスター」とお呼びし、皆さまからお寄せいただいた疑問やお悩みをお尋ねするインタビューを行う「譜読みマイスターに聞く!」久しぶりの掲載です。今回はアンサンブルピアニスト、コレペティートル、作曲家、そして教育者...と幅広いお顔をお持ちの三ッ石潤司先生にお話を伺いました。

楽譜を読むことは、言葉を読むのと似ていると思います。例えば古文を読んだり現代文を読んだりするときに、古文ではその文法を知らなければならないし、現代との文化の違いを理解しないといけないですよね。新聞を読むときも、常用漢字を知らなければもちろん読めません。音楽についても、基礎知識を持っていないと読むことは当然困難、もしくは不可能だと思うのです。
もちろんソルフェージュには演奏のために必要なことをたくさん学ぶことができますし基本的なこともたくさん含まれていますが、できない人にとっては"基礎"にはなりませんよね。あくまでもこれは"便法"として生まれたものだということを前提にしなくてはなり ません。ヨーロッパの人たちが自分たちのよく知っているヨーロッパ音楽をどのように早く学べるか、楽譜をいかに早く音楽にしていくかということを学ぶためのものなのです。日本人にはその前提がないのに、とりあえずソルフェージュをやれば最終的に音楽的な演奏ができるよう になる、という考え方で進めようとしていることが多いように思えます。
「何をやりたい、どういう音楽をやるためには何を克服するか、という目的意識をもって取り組まなければ意味がありませんよね。たとえばクラリネットとピアノの作品をやる時にただクレ読みできるようになっておけば便利、みたいな考えではだめだと思います。ソルフェージュの学び方はここが誤解されがちで、それだけやっても決して演奏にはつながりません。どんなに文法を精確にやっても正しい言葉を話すことができないのと同じです。
ただ音を並べるだけでは全く意味がないんですよね。音楽を「演奏すること」は詩の朗読のようなものだ と思います。韻律が正しく読めること、文節をどう分けるかということ、そしてそれをどう表現するという1ランク上の話があります。最低限の話が"てにをは"を間違えない、漢字を間違えない、言っている内容をそのまま伝えられるか、ということで、音をとる、だけということではないんです。あくまでも"文章として成り立つかどうか"だと思うんです。
その作品の"前提"が何か、読む前に何がわかっていなければなりません。例えばバッハの≪インヴェンション》だって、彼がどういうつもりで書いているか、音型の動きの一つ一つにどんな意味があるかということを考えないと、ただの音のつながりになってしまいます。
もちろん自分も子供時代にこういうものをやったときはわかりませんでした。例えばバッハの《平均律クラヴィーア曲集》第1巻の第1番をみるとハ長調の音階でほとんどが 構成されていますよね。《インヴェンション》も《シンフォニア》もそうです。それが曲集の最初に来る、ということがとても興味深い。作曲の勉強をして、カンタータやオラトリオなどを伴奏するようになってからバッハは"音で語る"んだな、そういうものを重ねて書いているんだなということがわかってきたんです。
楽譜を"読む"ということについて改めてよく考える必要があることがわかりました。次回はさらにくわしいお話を伺い、楽譜を通して私たちが読み解いていくべきことについて考えていきたいと思います。

