第87話『無銘の煌めき♪』
まずは、『夢の浮橋』のモチーフを活かしてピアノ曲を制作する事とした。静寂と集中を求めて現代へ戻ると、叔父のすむ京都貴船※1に身を寄せた。恩師の著書を紐解きつつ、『夢の浮橋変奏曲』※2の作曲は徐々に進む。2月初旬、鍵一は河井寛次郎記念館※3で陶芸家に出会った。
「で、用件を言わずに帰って来たのか」
貴船の家に帰ると、叔父は七輪で八ツ橋を炙っていた。立春を過ぎてなお貴船山には雪が降り、暮れてはみるみるうちに暗くなった。コタツにもぐりこんで、「でも良い人でしたよ」鍵一は今日の首尾に満足していた。
「元旦に京都駅で十円玉をくれた人でした※4」
「ホウ」
「パリにも行かれた事があるそうです。骨董市で古銭を集めたり……河井寛次郎の壺も見たと仰ってました」
「登与子は河井寛次郎の孫弟子だ。パリ万博にちなんだ美術展でも見たんだろう※5」というので、諸々合点が行った。
「そもそも叔父さんは何をきっかけに、登与子さんと知り合ったんですか」
「おまえがいつも楽譜を入れてる、桜の木彫りの文箱だよ」と、離れの座敷のほうをちょっと見遣った。
「あれは河井寛次郎が晩年に彫った逸品……」
「そうなんですか……!」
「というふれこみが本当かどうか、鑑定の手助けを登与子に頼んだ」
叔父さんでも分からない物があるんですね、と言い掛けたのを鍵一は吞み込んで、しかし「俺にも分からない物があるんだよなア」と、古美術商は頓着しなかった。
「河井寛次郎は自分の信念のために、途中から作品に銘を入れなくなったんだ※6。いち陶工として無位無冠を貫いたのは立派なんだが」
「贋作が多いということですか」
うなづいて、箸がひらりと八ツ橋をひっくり返す。香ばしい匂いは陶芸家の声にも似ていた。
「……それで、孫弟子の登与子さんには分かったんですか」
「いや」と叔父は笑った。「登与子も分からないと言うんで、あの文箱は今でもうちにあるんだ。真贋のはっきりしない商品は客に出せないからな」
「なるほど。まア、河井寛次郎の作でなくとも、ぼくは気に入っていますが」と、昼間に見た登り窯※7の様子が浮かんでいた。
登与子の話によれば、その巨大な窯はかつて共同で使われたという。河井寛次郎も、無名の陶工も、皆で火を焚いて窯を高温にして、一気に大量の作品を焼き上げた。銘のないそれら作品が、あるいは取り違えられたり、人から人へ渡されたりして、もはや誰の創ったものかは誰にも分からず、けれども美しさや使いやすさを現代にも重宝されている……
その印象は、古代ギリシャ時代より歌い継がれてきた巨大な名曲『夢の浮橋』に重なった。作者不詳の名曲は、21世紀に生きる鍵一をも惹きつけて止まないのだった。
ぼんやりしていると、「そういやこれ。速達で届いた」と、分厚い茶封筒を渡された。
「B先生からですか……!」
いそいでひらけば手紙は無かった。代わりに、自分の書き送った『夢の浮橋変奏曲』の楽譜が入っていた。懐かしい師の筆跡が和声進行を検め、ぎこちない半音階的転調※8に疑問を呈し、対位法※9を効果的につかった箇所には花丸を記している。その筆圧が、むかしより
pp
※10になったように見えた。
コタツの中でフェルマータが小さく鳴いた。
つづく
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鍵一が作曲するピアノ独奏曲。幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、12の変奏から構成されます。変奏曲はそれぞれ、19世紀の旅で出会った人々(と猫)の肖像を表しています。実際には作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。2022年、本作の音楽劇とともに改訂初演されました。
陶工、河井寛次郎(1890-1966)の住居兼アトリエを基とした私設美術館。2023年に開館50周年を迎えます。
第47話『そうだ、京都ゆこう(Ⅱ)♪』をご参照ください。
陶工・河井寛次郎(1890-1966)は1937年に「鉄辰砂草花図壺(てつしんしゃくさばなずつぼ)」を制作。同年、友人の川勝堅一がこの作品を(河井に相談なく)パリ万国博覧会に出品すると、グランプリを獲得しました。河井自身は受賞歴や勲章の類に興味がなく、生涯無位無冠を貫きました。
陶工の河井寛次郎は当初、東洋古陶磁に学んだ華やかな作風で好評を博しました。しかし、思想家の柳宗悦と親交を深めるうち、無名の陶工による簡素な作品に惹かれ、日々の暮らしに溶け込む「用の美」を重視するようになりました。大正15年(1926)頃からは「民藝運動」に参加し、作風を大きく変えるとともに、自身の作品に銘を入れなくなりました。
陶磁器を焼成するための窯。傾斜地に複数の窯が連なっており、高温を保ちながら大量の作品を焼くことができます。江戸時代に朝鮮の窯に倣って造られ、全国に広まりました。
京都市では京都府公害防止条例(1967年)により、登り窯から排出される煙が規制され、窯は操業停止となりました。窯跡は景観重要建造物として、製陶業の歴史を今に伝えています。
音を半音階的に変化させ、それを足掛かりとして転調すること。
2つ以上のメロディを、音程の厳格な規則に基づいて組み合わせる技法。
音楽用語で「ごく弱く」の意。