第85話『フランス・フランの顔♪』
まずは、『夢の浮橋』のモチーフを活かしてピアノ曲を制作する事とした。静寂と集中を求めて現代へ戻ると、叔父のすむ京都貴船※1に身を寄せた。恩師の著書を紐解きつつ、『夢の浮橋変奏曲』※2の作曲は徐々に進む。2月初旬、鍵一は河井寛次郎記念館※3で陶芸家に出会った。
「また会えて良かった。河井寛次郎記念館であなたとフェルマータを見たとき、ずっと昔から知り合いだったような気がしたの」
タクシーで鴨川沿いを走りながら※4、陶芸家は年始の京都駅の出来事を楽しそうに話した。※5鍵一の演奏を聴いたのはまったくの偶然であったこと。海外の仕事から帰ってきたばかりで、日本円の持ち合わせが少なかったこと。……聴きながらふと、鍵一に思い当たる事があった。
「もしかして、あのとき十円玉をくださったのは登与子さんでしたか?」
真あたらしい十円玉を出してみせると、陶芸家は「あら」と目を輝かせた。フェルマータが鼻を近づけて、令和元年の匂いを確かめている。
「ありがとう、持っていてくれて。それはね、わたしのコレクションのひとつ」
「コレクションですか?」
「いろんな国の紙幣や硬貨を集めてるの。現金は普段ほとんど使わないけど、モノとして美しいなあと思って」
信号待ちでタクシーは一時停止して、四条大橋※6が賑わしい。早春を行き交う人々。八ツ橋の広告を携えたバス。歌舞伎座の屋根にふっくらと居並ぶ鳩の集団。午後の陽を映して流れる鴨川を、鍵一はセーヌ川に似ていると思った。そう言おうとした矢先、車は
Lento
※7で動き出した。
「見て。これはパリの骨董市で集めたの」と、陶芸家は宝探しの成果を見せてくれた。古い紙幣※8に刷られた肖像画は皆、色褪せない顔をしている。20フラン紙幣のクロード=ドビュッシー※9。50フラン紙幣のサン・テグジュペリ※10。100フラン紙幣のウジェーヌ・ドラクロワ※11。
見知った顔がちらほらあるなかで、「この人は確か……音楽家?」と渡されたのが、ベルリオーズの肖像画の10フラン紙幣であった。
つづく
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鍵一が作曲するピアノ独奏曲。幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、12の変奏から構成されます。変奏曲はそれぞれ、19世紀の旅で出会った人々(と猫)の肖像を表しています。実際には作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。2022年、本作の音楽劇とともに改訂初演されます。
♪『夢の浮橋変奏曲』&音楽劇が聴けるピアノリサイタル(2022年)
京都・パリ 2つの古都のための片山柊ピアノリサイタル ―音楽劇『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』他―
陶工、河井寛次郎(1890-1966)の住居兼アトリエを基とした私設美術館。2023年に開館50周年を迎えます。
京都市内を流れる一級河川。
第47話『そうだ、京都ゆこう(Ⅱ)♪』をご参照ください。
音楽用語で「ゆるやかなテンポで、ゆったりと」の意。
フランスでは、フランス革命以前は「リーブル」、1795年以降は「フラン」という通貨単位が使われていました。1993年発効の欧州連合条約(マーストリヒト条約)により、EU(ヨーロッパ連合)の共通通貨「ユーロ」の導入が決定。2002年2月に「フラン」は廃止されました。