第74話『名もなきシェフの肖像(Ⅷ)♪』
まずは、『夢の浮橋』のモチーフを活かしてピアノ曲を制作する事とした。静寂と集中を求めて現代へ戻り、叔父のすむ京都貴船※1に身を寄せると、『夢の浮橋変奏曲』※2の制作が徐々に進んだ。
雪深き1月下旬、裏庭に煉瓦のかまどを見つけた鍵一はクロワッサンを焼く事にした。パン生地をこねながら、19世紀パリのレストラン『外国人クラブ』でのひとときが思い出される。
――回想 シェフの肖像(1838年4月)
「その日はすぐにやって来た」
シェフは楽しそうに続けた。鍵一はピアノ椅子に座ったまま、うなづいて耳を傾けた。
「1810年の、ミモザ※3が咲き初めのころだ。カレーム先生に会うために、ラ・ペ通りのパティスリーを訪ねた。店は休みで、厨房だけ灯りがついていた。覗いてびっくり仰天だ。親父の厨房も、あんなに広くはなかった。設備も一流だ。パティスリーにしちゃア大き過ぎるほどの、最新式の鉄製のかまど。回転式の炙り機。当時まだ珍しかったワイン用の空気コック※4。厨房の奥には横長のカウンターが延々と続いて、それぞれに巨大な建築模型が置かれていた。そのなかに……あの人がいた」
「一目見て、なんてきれいな料理人だろうと思った。かたちの好い白い帽子※5を斜めにかむって、襟元にはあざやかなミモザ色のネクタイ。きりッとたくしあげたエプロンに長方形のナプキン。……料理人てのは元来、泥臭くてむさくるしいもんだ。でもカレーム先生は違った。正真正銘、新しい時代の料理人なんだと思った。
俺の顔を見ると、あの人は微笑んで『やあ、名無しのシェフ君』と言った。毎日顔を合わせてるような、何でもない調子で。拍子抜けしながら俺も、何でもない調子で付き合う事にした。
『今日は店を閉めてるんですね』
『ちょうど今、ナポレオン閣下の祝宴のために試作品を創っていたところだ』と、背の高さほどもあるピエスモンテ(大型装飾菓子)を俺に見せた。ウエディング・ケーキだ。五段重ねのケーキの一番上に、ホワイト・チョコレートで作られた教会。婚礼の鐘の上空に、飴細工の虹が掛かってた。ぜんたいに砂糖菓子の花や小鳥がちりばめられて、ひとつひとつの装飾が細かい。すごいですね、と俺はすなおに言った。
『ウィーンのアウグスティーナ教会の建築を参考にした』とカレーム先生は説明してくれた。ハプスブルク家が代々儀式を行なう教会で、かのマリー・アントワネット様も式を挙げた建物だ、と。
それを聞いて、俺のなかで妙な感じに記憶が混ざった。オーストリア皇女で、名門ハプスブルクの出身。政略結婚でフランスに嫁いで来たお姫様……アントワネット様と、マリー・ルイーズ様が、なんだか同じ人のように思えたんだ」
言われて鍵一も、ふたりの姫君の印象が重なった。
「マリー・ルイーズ様も音楽がお好きだったんでしょうか」
「どうだろな。セバスチャン・エラールが楽器を差し上げたという話は聞いてないが」※6
ふたりして同時に宙を仰いで、
elegante
※7に響く音色を思い浮かべた。
「次にカレーム先生は、厨房の奥から大きなバットを持ってきた」と、シェフは続けた。
「なかにたくさんのプティフール(小さな菓子)が見えた。カレーム先生はこう言った。
『4月の婚礼に合わせて、テュイルリー宮殿で大規模な祝宴がひらかれる。私が指揮を執り、約300名の来賓にフルコースを提供する。晩餐会の後は夜通し舞踏会だ。舞踏会の間も、ウエディング・ケーキとプティフールは常に大広間へ置いておく。これが図面だ』と、大広間の図面が出た。俺が覗き込むと、カレーム先生は指さしながら説明した。
『晩餐会の間、ウエディング・ケーキは北側の壇上にある。舞踏会に移行する際、庭園に面した西側の一角にケーキを移動させる。太陽の周りを無数の星が巡るように、ウエディング・ケーキを中心として無数のプティフールを並べる。このプティフールのために円形のテーブルを特注した。当日はメートル・ドテル※9が2人付いて給仕を行なう。
すでに50種類を用意したが、タレーラン公※10はもっとヴァリエーションが必要だと仰った』と、外交官の名前が出た。
『きみならどんなプティフールを追加する』
聞かれて困った。俺は菓子については門外漢でさ。しょうがないから思い付きを言った。
『甘くて小さけりゃいいんでしたら、魚介を使うのはどうですか。先生もご存じのとおり、魚介から甘みを引き出すやりかたなら色々あるでしょう』
『例えば?』と来た。
『小さなホタテをオランデーズ・ソースに漬け込んでから軽く炙って、薄いビスケットで挟むんです。ホタテは温めると甘味が出ますし、見た目も春らしくていいでしょう』
『他には?』と間髪入れず返された。
『海老と苺のタルタル仕立て。これも小さなビスケットに載せます。苺の代わりにフランボワーズを使ってもいいかもしれません』
一拍おいてまた『他には?』と来た。
『ムール貝と洋梨のパイ包み焼きはどうです。仕上げに甘いロゼ・ワインのジュレを掛けます』
するとまた『他には?』……俺は少しむきになった」
『砂糖漬けのセロリを詰めたマカロニ。ブランダードとブルーベリーの甘いピエロギ※11。サーモン・クリームのミルフィーユ。これは全部、食通年鑑※12でコケにされた料理ですが、客の評判は上々でした』とね。
……『食通年鑑』ッてのは、当時幅を利かせてた食通のグリモ※13の雑誌だ。レストランの批評や審査をする雑誌で人気があったんだが、どうにも辛口で、俺の作ったメニューもこっぴどくやられた。色々と問題のある雑誌で、訴訟がもとで1812年に発行取りやめになったんだが……まア、それはさておき。
カレーム先生はしばらく腕組みして考えていた。それから俺にこう言った。
『先ほど述べたように、ウエディング・ケーキとともにプティフールは舞踏会の間中、テュイルリー宮殿の大広間に置かれる。厨房で作ってから、すぐに食べてもらえるとは限らない。汁気の多い菓子は時間が経てば風味も美観も損なわれるだろう。我が国の春の夜は涼しく、すべての食材に火を通してあるとはいえ、魚介類を長時間放置するのは衛生的ではない』
俺は絶望的な気持ちでうなづいた。レストランと宴会では、必要とされるメニューの条件やサーブの仕方が違うんだ。それをよく考えていなかった。こりゃア、厨房の採用試験に落ちたかなと思って、悔しくなった。
『半日くれませんか』と頼んでみた。『100種類の新メニューを作ってみせます。フリットやタルトをベースにしたものなら、崩れず腐らないプティフールが作れます』
『どうやってレシピを作る』
『L.S.Rの《巧みに饗応する術》※14、ムノンの《宮廷の夜食》※15、それにラ・シャペルの《現代の料理人》※16あたりを参照すれば、何らかアイディアを掘り起こせると思います』
そしたら、カレーム先生は太陽みたいに笑ってこう言った。
『いや、充分だ。魚介を使うアイディアはとてもいい。我が国の漁獲の豊かさを証明する事にもなる。……きみの言うとおり、フリットやタルトを中心にプティフールを追加するのは賛成だ。パイ包み焼き、マカロニの詰め物についてもさまざまなヴァリエーションが考えられる。塩味や酸味を強調した菓子があっても面白い。焼き上がりの時間を厳密に計算し、一定のタイミングでプティフールのメニューを入れ替えれば……』
『衛生面も解決ですね』と俺は言った。カレーム先生はゆったりとうなづいた。
『きみをポワソニエ(魚料理部門)の責任者に任命する。祝宴にふさわしく、フランスを象徴し、新規な趣向があり、素材が入手しやすく、大皿に盛りつけても小分けにしてもサーブがしやすい。そういった魚料理を考えてほしい』
『セーヌ川の巨大ナマズでも食わせますか』
カレーム先生は戸棚から真あたらしい帽子を取り出して、俺に手渡してくれた。そして言った。『エレガントな仕上がりであれば』。
……まア、そんなわけで俺はどうにか、『皇帝』の厨房に合格した。パティスリーを出ると日が暮れていた。帰る道すがら考えていた。まずは、コック帽にアイロンをかけなきゃな、と」
つづく
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鍵一が作曲するピアノ独奏曲。幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、12の変奏から構成されます。変奏曲はそれぞれ、19世紀の旅で出会った人々(と猫)の肖像を表しています。実際には作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。2022年、本作の音楽劇とともに改訂初演されます。
♪『夢の浮橋変奏曲』&音楽劇が聴けるピアノリサイタル(2022年)
京都・パリ 2つの古都のための片山柊ピアノリサイタル ―音楽劇『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』他―
マメ科アカシア属の植物。早春に黄色い花を咲かせます。南フランスのコート・ダジュールにて毎年「ミモザ祭り」が開催されるなど、フランスの人々に愛されています。
ワインボトルの底に溜まった澱(渋みの元となる沈殿物)を混ぜることなく、ワインを別のボトルに移し替えることができる道具。
自身の発案により、カレームはお洒落なコック帽を被っていました。のちに、自著『フランスのメートル・ドテル』(1822刊行)にて、カレームは「ウィーンで英国大使のスチュワート卿に仕えた折に、この新しい帽子がスチュワート卿に気に入られた。以来、この帽子をいつも着用するようになった」旨を回想しています。
第44話『エラール・ピアノの歴史♪』をご参照ください。
音楽用語で「優美に、優雅な」の意。
ドイツ・バイエルン出身の作曲家、音楽家。1754年、オーストリアの女帝マリア・テレジアの下で宮廷楽長の地位に就き、皇女マリー・アントワネットに音楽を教えました。その後、マリー・アントワネットの結婚に際してフランスへ同行し、パリで新作オペラの制作等に力を注ぎました。
レストランの給仕係の責任者。
フランス出身の貴族、政治家。ルイ16世の治世に於いてブルゴーニュの聖務職に就任。フランス革命を生き延びたのちは、ナポレオン・ボナパルトの政権下で外務大臣として活躍しました。画家のドラクロワの父親がタレーランである、という説がありますが、真偽は定かではありません。
餃子に似たかたちの、ポーランドの伝統料理。
19世紀の文筆家・美食家、グリモ・ドゥ・ラ・レニエール(1758年-1837年)の刊行したレストラン批評雑誌。1803年創刊。パリのレストランや食料品店の批評を行なうほか、独自の鑑定委員会がメニューの審査を行ないました。しかしその内容からレストラン関係者とのトラブルが絶えず、1812年に刊行終了となりました。
19世紀の文筆家・美食家。
L.S.R(エル・エス・エール)は17世紀フランスで活躍した料理人。料理指南書『巧みに饗応する術』(1674年刊行)の著者。その生涯や本名は謎に包まれていますが、名のある宮廷料理人であったといわれています。著書では王侯貴族へ供する食事の料理法、調理器具、庭や水辺で昼食会を開催する場合の設え等について詳しく解説し、のちのフランス料理界に大きな影響を与えました。
ムノンは18世紀後半のフランスで活躍した料理人。料理指南書『宮廷の夜食』全5巻(1746年)の著者。戸籍、職歴などの資料が残っておらず、料理史における謎の人物です。調理の実践のみならず理論を重視した著書『宮廷の夜食』は18世紀末に版を重ね、フランスの料理人に広く読まれました。
ヴァンサン・ドゥ・ラ・シャペル(1690年-1746年頃)は、ルイ15世の宮廷などで活躍した料理人。イギリス、オランダ、ドイツ、ポルトガル、東インド等の各国を旅しながら貴族に仕えました。「旅する料理人」としての経験から、のちに「海上で作る料理」と題したレシピ集を著しました。著書『現代の料理人』は1742年にフランスで自費出版され、アントナン・カレームなど19世紀の料理人にも長く読み継がれました。