ピティナ調査・研究

第58話『幻の系譜(Ⅰ)―マイセン・日本宮殿♪』

SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』
前回までのあらすじ
悩める18歳のピアニスト・鍵一は恩師より謎めいたミッションを授けられ、1838年のパリへとワープする。19世紀パリの人々との交流から、鍵一は多くを学ぶ。リストの勧めでサロン・デビューをめざす最中、チェルニーから贈られたのは、幻の名曲『夢の浮橋』の楽譜の一部であった。数千年にわたり受け継がれて来たという幻の名曲の謎を探りつつ、鍵一は『夢の浮橋変奏曲』※1の作曲に取り組む。現代日本に一時帰国した鍵一は、京都貴船※2の叔父のアトリエに身を寄せた。古都の風景に19世紀パリの思い出を重ねつつ、創作の日々が始まる。
幻の系譜(Ⅰ)―マイセン・日本宮殿♪

あくまで真偽不明の伝説ですよ、と断ってから、調律師は Andantino ※3で話し出した。
「『猿の楽隊』※4というマイセン人形をご覧になったことは」
「いいえ」
「18世紀半ばにマイセンで造られたユーモラスな作品です。宮廷音楽家を模したサンジュリー※5の傑作ですよ。高貴な衣装の猿たちが、手に手に楽器を持って音楽を奏でます。演奏曲目は……」
「幻の名曲『夢の浮橋』ですか……!」
「ええ。猿たちの楽譜には、ごく微細な筆で『夢の浮橋』のフレーズが書かれているとか」
その説は鍵一の腑に落ちた。19世紀のピアノ製作者、ピエール・エラール氏によれば、幻の名曲『夢の浮橋』の楽譜は古今東西に散らばる。古代ギリシャの天球音楽説※6から芽吹いたその曲が18世紀ドイツに現れることもまた、有り得るかもしれない。鍵一は強く興味を惹かれた。
「『猿の楽隊』の製作者は、どんな方だったのでしょうか」
「原型を造ったのはヨハン・ヨアヒム・ケンドラー、アウグスト強王に仕えた彫刻家です」
「ということは、製作を命じたのはアウグスト強王なのですね?」
「ええ、間接的には」
疑問を浮かべた鍵一に、調律師はドイツ・アンティークの玉手箱をひらいてみせた。

「アウグスト強王は、17世紀末から約40年間に亘りドイツ・ザクセン州の選帝侯であり、かつ、ポーランド・リトアニア共和国の王でもあった人物です。当時の王侯貴族の例に漏れず、東洋磁器の蒐集に熱中しました。大航海時代を経て東インド会社が、中国の青花※7や日本の古伊万里※8を輸入しておりましたから……」
「ちょっと待って下さい、メモを取らせて下さい」
「私の知識は素人ゆえ浅薄でございますので、聞き流してくださいますよう。あなたの叔父様のほうがよほど詳しいと存じます」
「ここへ呼ぶのは止しておきます、話がややこしくなりますから」
ほんのりと笑って、調律師は紅茶を啜った。鍵一は急いで席を立って、居間の箪笥の上から手近な紙(京都画廊連合の会報誌、個展の招待状、ファックスの裏紙)と万年筆を取って戻った。
「失礼しました、青花に古伊万里……ですよね」
「アウグスト強王は東洋の磁器に魅せられ、それらに匹敵する品を自国で造ろうと躍起になりました。錬金術師のヨハン・フリートリヒ・ベトガーをマイセンの城に閉じ込めて、柿右衛門※9を随分研究させたようです」
「その研究成果が、マイセン磁器ですか」
「そのとおりです。白磁の製法が判明したことから、1710年にはマイセンの地に国立磁器工房が開かれました。ヨーロッパで最初の磁器窯です」
「錬金術師のベトガーさんは命拾いしたわけですね」
「10数年に及ぶ幽閉生活で疲弊し、彼は若くして亡くなりました。……一方、アウグスト強王の望みは磁器工房の設立に留まりませんでした。王は磁器のコレクションを陳列するため、巨大な日本宮殿※10の建設を計画しました」
「建物のなかにコレクションを入れるのではなくて、コレクションのために建物を造るのですね……!」
「王の構想では、あくまで主役は磁器だったようです。日本や中国の磁器をはじめ、膨大な量のコレクションを陳列すべく、王宮の近く……エルベ川の対岸に新たな離宮が建設されました。それぞれの磁器の文化背景に適した陳列室を造り、大広間をマイセンの動物人形で埋め尽くす計画だったようです。……実際には王の死によって建設計画は縮小され、当初の構想は幻に終わりました」
淡々と続く調律師の声に、鍵一は凪いだ海を思い浮かべた。眺めるままに、海上に幻の日本宮殿が滲み出る。外観はなぜか京都の平等院に似て、頂には鳳凰が羽ばたく。海面に映るその黄金色が、ふいに溶け拡がった。宮殿のなかから湧き出した音楽が、景色をざわめかせる。……鍵一は理解した。

「『猿の楽隊』は、日本宮殿に飾るための品だったのですね?」
「アイディアの源はそうでしょうね。ケンドラーは王の命により、日本宮殿の大広間に飾る動物彫刻、いわゆるマイセン人形を多数製作しました。
ただ、ケンドラーの手帖に『猿の楽隊』のスケッチが表れるのは1753年、王の死から20年後です。さらにヨーロッパの七年戦争※11を挟みまして、完成は1765年頃でした。先ほど『間接的には王が製作を指示した作品』と申し上げたのはそのためです」
「では、もし『猿の楽隊』が完成するまでアウグスト強王が生きておられたら……」
「猿たちは日本宮殿の大広間に飾られた事でしょう。新たな鍵盤楽器を加えてさらなる大編成の『楽隊』を造るよう、王はケンドラーに指示したかもしれません。ヨーロッパではチェンバロからピアノへの過渡期。ロンドンではヨハン・クリストフ・ツンペがスクエア・ピアノの製作に励んでいたころですから」
さて、猿たちの奏でる『夢の浮橋』に思いを巡らせて、しかし鍵一の脳裏に浮かんだのは、18世紀の宮廷に響いたであろうクラヴィーアの音色。ブルー・オニオン※12のティーカップのなめらかな表面へ、ドイツ舞曲が照り映えた。

♪ハイドン作曲:12の新ドイツ舞曲

つづく

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