第33話『鹿と福耳―ヒラー氏の肖像(Ⅱ)♪』
パリ・サロンデビューをめざしてオリジナル曲を創る事となった鍵一は、作曲に集中するため、1838年の大晦日にひとり船旅へ出た。ル・アーヴル港ゆきの船内にて、オリジナル曲『夢の浮橋変奏曲』※1の構想は着々と進む。パリ滞在中に書き溜めた備忘メモを整理しながら、鍵一は19世紀の旅で出会った芸術家たちの肖像画を、変奏曲の形式で表そうと試行錯誤する。変奏曲の1つ、『ヒラー氏の肖像』の構想を練りつつ、ドイツの音楽家フェルディナント・ヒラー氏がパリへ戻って来た日の出来事が、あざやかに思い出された。
――回想 フェルディナント・ヒラー氏の肖像(1838年6月)
音楽家は気持ちよさそうに眠っていた。
そっと覗き込んで鍵一は、相手の福耳に気づいた。モチのようにふっくらとした耳たぶ。もし自分の身体が天道虫(てんとうむし)ほどのミニ・サイズであれば、この耳たぶにちんまりと寝転がっていたい……と、しばらく眺めて、
(でも、これから出掛ける用事があると仰っていた)
と思いなおした。
鍵一が「もし、もし」と声をかけると、音楽家は眠りながらにっこりと笑った。「もし、ヒラーさん」と耳元で呼びかけても、起きない。焦ってウロウロと見回して、ピアノが目に入る。駆け寄って、ベートーヴェンの交響曲第五番『運命』の冒頭のモチーフを、
♪たたたたーん
大音量で弾き鳴らしたつもりが、かよわい四つの音にしかならない。それでもヒラー氏の大きな目はぱっちりひらいた。両腕を突き上げて「ああ、よく寝た!」のそりと起き上がりながら、
「いい夢を見てたよ。小春日和のワイマールの墓地で、鹿の群がおれの後を追っ掛けてくるんだ。これは幸先が良いぞ」
というようなことを言って、腕をぐるぐるとふりまわした。
ホッとしながら鍵一は、
(本当は、だだだだーん!と鳴らしたいところだけど)
やわらかな鍵盤の感触がもどかしい。……と、ヒラー氏が伸びをしながらピアノの傍へ寄って来た。
「そういえばケンイチ君。サロン・デビュー修業は順調?」
ひそかに熱望していた話題を、あまりにもまっすぐに撃ち込まれて、鍵一はのけぞった。ピアノ椅子に座ったまま、金魚のように口をぱくぱくさせたすえ、
「いいえ」
と、かろうじてひとことを発した。音楽家は手近な椅子を取って座りながら「オヤッ。どうしたの」と、身を乗り出した。
……その一ヵ月余の間に溜め込んだフランス語が底を尽くまで、鍵一は話しに話した。行きつ戻りつ、だんだらと続く話に、ヒラー氏はうなづきながら、じっと耳を傾けていた。フランツ・リストが伯爵夫人の迎えの馬車に大慌てでレストランを飛び出して行ったというくだりでは大笑いして、
「そういえばリスト君が、そんなことを言っていたような。今年の夏はイタリアでヴァカンスだとか。まア、ヴァカンスといっても、結局は現地で作曲やら演奏会やら社交行事やらでスケジュールが埋まるんだろうけど」
「えッ、ではしばらく、リストさんにレッスンはみていただけないのですね……」
「忙しい人だからねえ、まだまだ、弟子を取っている余裕はなさそうだ。でも秋になればパリに戻ってくるだろうから、教えを受ける機会はきっとあるよ」
励まして、続きを促した。
……話しながら鍵一は、いつか叔父に連れられて拝観した京都の東寺講堂の、あの大日如来像の前に座しているような、静かな明るさを感じていた。この福耳の音楽家に話を聴いてもらっていると、心に風が通るのだった。
「ぼく、自分が一年後にサロン・デビューができるとは思えないのです」
と、言葉にするのをずっとためらっていたことを、とうとうすんなりと打ち明けた。
「いいんじゃない?」
間髪入れず返されて、鍵一は言葉につまる。
「よくはないです」
「まだパリに来たばかりなんだし。ケンイチ君、一年後にどうしても日本に帰らないといけない?」
「そういうわけでもないのですが……」
「じゃ、今は焦らず、少しずつ音楽活動を開拓してゆけばいいと思うよ。
たしかにあのとき、リスト君は『一年間パリに居座る方法を考えるように』というお題を出したけれど。あれは、きみが生活を自分で組み立ててゆける人間なのかどうかを少し……試したんだよねえ。※2
実際は、一年間という期間にそんなにこだわらなくてもいいと思うんだ。『外国人クラブ』のシェフだって、ここに居て良いと言ってくれてるんだから」
と、ジャガイモをさくさくと剥くような調子で音楽家は話した。「はい」と答えて、たしかにこのヴィルトゥオーゾに言われると、そのとおりだという感じがする。
「ヒラーさんはぼくくらいの歳ごろで、パリへいらしたんですよね……」
「うん、最初の数ヵ月はドッと疲れたなア。なんだかこう、大都会の活気にアテられちゃって。意気込みは充分なんだけれど、空回りしている感覚があって、時間だけどんどん過ぎてゆくような。気晴らしに遊ぶといってもさ、まず土地勘がないし、たいして金も持ってないし。実家では湯水のように飲んでいたあのカートッフェルズッペが、パリのレストランだと高いし」
「でも早々にパリ・サロンデビューなさったわけでしょう」
「ワイマールの恩師、フンメル先生の薫陶を胸に……ね。同年代の仲間がちょうどパリに居たことも、いま思えば幸運だったかな」
「リストさんやアルカンさん、ですよね」
「ショパン君がパリに到着してからは、ショパン君ともよく一緒に居たよ。一時期はメンデルスゾーン君もパリに居て、あのとき彼はコレラに罹っちゃったんだよねえ。あ、知ってる? フェリックス・メンデルスゾーン君」
「ええ、『弦楽八重奏』や『フィンガルの洞窟』で有名な、あの……!今はメンデルスゾーンさん、お元気なのでしょうか」
「うん、今はライプツィヒで活躍中、かつ、音楽院設立の準備中。
なつかしいなア。皆でよくこのレストランで落ち合っては、芸術の使命や未来について語り明かしたもんだよ。お互いに作曲中の楽譜を見せ合ったりさ。32年には、ローマ賞受賞後のベルリオーズ先輩がイタリアから帰って来て、また刺激を受けて。そういうおれたちの姿を、ドラクロワさんがずっとスケッチしていて、にぎやかだったなア。※3
で、途中でリスト君が言い出したんだよな。このレストランにピアノを置いたらどうかと」
「このプレイエルのピアノですか?」
「そう! で、ショパン君が持ってきたの、このピアノ」
「えッ、ショパンさんが……!」
「彼、当時からプレイエル社の広告塔だったから。最新式のグランド・ピアノをさ、カミーユ・プレイエル氏に相談して、ちょっと安く手に入れてくれて。おれたちレストランの常連が500フランずつ出して、このピアノを共同購入したんだよ。発起人がリスト君だったから、リスト君の名義で。
まア、プレイエル社のピアノが1台売れるごとに、ショパン君の懐には売上の10%が入るわけだから、間接的に、おれたちはショパン君にカンパしたことになったんだけれど」
おおらかに笑ってヒラー氏は、店内に飾られた音楽家たちの肖像画を仰いだ。うなづきながら鍵一は、『夢の浮橋』のことを考えていた。
(ショパンさんが下さったキーワード、『夢の浮橋』……『手袋の秘密について話す気になったら、その場所へ来たまえ』か……
ヒラーさんに尋ねてみようかしら? パリにそういう名前の橋があるのか、どうか。ショパンさんと親しい間柄なら、なにかご存じかもしれない)
「ショパンさんも、このレストランには時々いらっしゃいますか?」
「いや。最近は、ポーランド・コミュニティとジョルジュ・サンド殿のアパルトマンに入りびたりで、このレストランには顔を出さなくなっちゃったねえ。
ちなみに、『白身魚のポトフ』は、ショパン君の好物だよ。さっき見せてもらったレシピ集の中にあった」
「ああ!」と了解のひざを打って、
(でも、ショパンさんは『秘密』という言い方をした。あれが、ぼくだけに渡してくれた暗号だとしたら)
考えを巡らせているうち、鍵一はとうとう聞きそびれてしまった。
「ケンイチ君。よければ練習の成果を、ちょっと聴かせてもらえるかな?」
と、ヒラー氏がピアノへ促したからである。
つづく
19世紀の音楽家・チェルニー氏から贈られたモチーフを活かし、鍵一が作曲するオリジナル曲。19世紀の旅で出会った芸術家たちの肖像画を、変奏曲の形式で表した作品です。
実際には、作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいます。オーディオドラマやコンサート等でお聴きいただけるよう、現在準備中です。
神山 奈々さん(作曲家)
片山 柊さん(ピアニスト)
第5話『Twinkle Twinkle Little Start(きらきら光る小さなスタート)♪』をご参照ください。
リストは1823年、ヒラーは1828年、ショパンは1831年にパリに到着し、親しく交流しました。