ピティナ調査・研究

第19話『前略 旅するあなたへ(Ⅲ)♪』

SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』
前回までのあらすじ
18歳の新星ピアニスト・鍵一は『過去の時代にワープし、音楽史を完成させる』という極秘ミッションを携え、1838年のパリへとワープする。リストのすすめでサロン・デビューを目指すさなか、チェルニー氏から贈られたのは、幻の名曲『夢の浮橋』の一節であった。パリ・サロンデビュー修業の一環として、鍵一は『夢の浮橋 変奏曲』の作曲に挑む決心をする。そんな鍵一のもとへ届いたのは、女流作家ジョルジュ・サンドからの手紙だった……!
前略 旅するあなたへ(Ⅲ)♪

♪ショパン作曲:ヘクサメロン変奏曲より 第6変奏 KK.IIb/2 CT230 ホ長調

階下でピアノの音に陽気な笑い声が混じって、どうやら弾き手が変わった。
(ヒラーさんだな)
と鍵一には、踊るようにひらめくヒラーの肉厚の手と、おもしろそうに覗き込むリストの表情が、見なくともわかる。ふたりのヴィルトゥオーゾは「ショパン病弱だからなア」「ここはアレンジしてもええんちゃう?プレイエルのピアノの中に巨大ナマズが隠れてて、ショパンが蓋開けた途端にスポポーン!みたいなイメージ♪」あれやこれや言い合いながら、ショパンの曲を即興で彩り、12月らしくミサ曲で盛り付け、あるいはメロディを大胆にブッた斬って自作に繋げてみては楽しんでいる。そのまるで呼吸をするようにちからのぬけた音楽が、
(名調子!)
思わず鍵一の心が合いの手を入れた。
(即興と作曲に強いピアニスト……!結局は自分がそう成らなきゃ、19世紀パリのサロンにデビューすることは出来ないんだ。
そうだ、やっぱりぼくは、ヴィルトゥオーゾたちの使いッ走りで終わっちゃいけない。ジョルジュ・サンドさんが手紙でアドバイスをくれたとおりだ)※1
鍵一はふたたび、サンド宛の返信を書き始めようとして、しかし階下のピアノの gioviale ※2な音色にどうしても、耳が吸い寄せられた。
(……ぼくは弾くより聴くほうが、もしやダンゼン、好きなのかもしれない)
階下のヴィルトゥオーゾ同士の遊びは、もはや変奏曲のアレンジにとどまらなかった。ピアノの音は転調をくりかえしながら、まるで音楽史のおさらいをするようにグレゴリオ聖歌の単旋律で祈り、リズムをだんだんに変えて中世の野山を駆けめぐり、不協和音の雨に降られたかと思えば対位法の大河へ漕ぎ出し、ソナタ形式を手のひらで転がしながら『フロイデ!(Freude)』と叫ぶや、さて曲は現代へ戻り来て、この年の瀬に『1838年のヴィルトゥオーゾ・メドレー※3』を展開する様子。

♪アルカン, シャルル=ヴァランタン作曲 :12か月集:12の性格的小品 セレナードよりOp.74-5

♪メンデルスゾーン作曲 :幻想曲 (スコットランド・ソナタ) Op.28 U 92 嬰ヘ短調

♪ショパン :マズルカ風ロンド Op.5 CT193 ヘ長調

♪カルクブレンナー作曲 :2つのロマンス「エオリアン・ハープの溜息」 Op.121

(これがライヴで聴けただけでも、19世紀パリにワープして来た甲斐があった!……がんばれぼく。がんばれぼく。今はひとまず、ジョルジュ・サンドさんへの返信を書き上げよう。これはぼくの、前のめりに創作に取り掛かる『宣言』でもあるんだ)
相棒猫のフェルマータがヒョイと書物机に跳び乗ってくる。鍵一はその猫背をフサフサ撫でると、
「フロイデ(Freude)」
小声でコブシを突き上げて、まっさらな五線譜をもう一枚取った。フェルマータは黄金色の瞳を煌めかせて、鍵一の綴る文字を眺めている。

そうして、音楽家の皆様の『創作の舞台裏』を拝見したり、写譜をしたり、新曲の書き取りのお手伝いをする中で、ぼくは痛感したのです。
このパリで、音楽家として皆様と対等に言葉を交わすためには、自分の音楽言語を持たねばならないのだ、と。
自分独自の音楽言語でオリジナル曲を書き、それを説得力を以て演奏できる人だけが、音楽家と名乗れるのだ、と。
いつかヒラーさんが『音楽家とは、優れた弁論家であるべきだからねえ』と仰っていた意味が、ぼくにもようやくつかめてきたのです。オリジナル曲『夢の浮橋 変奏曲』を創ることは、ぼくが本当の意味で音楽家になるための第一歩です。
初めのうち、ぼくは五線紙を前にして途方に暮れていました。チェルニー先生から頂いた幻の名曲『夢の浮橋』の一部をモチーフとして、変奏曲を創るべし……という事は分かっていたのですが、語るべきことが自分の中に無かったのです。それがこの年末に至って、ようやく朧げに見えてきました。まだ冬の雲のごとく、輪郭も定かではなく、北風にたやすく吹き流されてしまうような代物ですが……
ぼくはオロオロして、リストさんに相談しました。(『なんや。幽霊でも見たんか』と、リストさんは初め心配そうに尋ねました。ぼくの顔はあまりに青かったようです)
かくかくしかじか、と打ち明けますと、リストさんは笑ってポーンと膝を打って、
『でかした!このパリで音楽家としてサロン・デビューするのやったら、オリジナル曲が絶対に必要やねん。ケンイチ、もうウチらのアシスタントなんてせんでもええから、作曲に専念しいや』
と、励まして下さいました。
リストさんいわく、
『アイディアを形にするんは、フルーツを育てて収穫するのとおんなじや。育てる場所と、収穫のタイミング……この2点が肝心やな。場所は自分のやりやすいように選ぶことや。タイミングをつかむのは難しいな。早すぎると青酸っぱいし、遅すぎると熟れ落ちてしまう。……まア最初はとにかく、やってみることや。仮に失敗しても、得られるもんは必ずある』
とのこと。
ぼくは自分の胸に手を当てて考えてみました。このふわふわした、曖昧でたよりない『夢の浮橋 変奏曲』のアイディアを、ぼくは何処で育て、いつ、五線譜に書き付けるべきでしょうか?
……答えは郷愁とともにやってきました。胸を締め付けられるような懐かしさとともに、ぼくは直感したのです。
『そうだ、京都ゆこう♪』と。

♪詐欺師、あるいは美術商、または京都人、かつ画家、つまるところ怪しげで、チャーミングなぼくの叔父

『京都(kyo-to)』は、ぼくの第二の故郷です。生まれ育ったのは『横浜(yoko-hama)』という港町ですが、12歳になるまでぼくは学校の長期休暇のたびに、京都に入り浸っていました。ぼくに音楽の才能の片鱗を見出して以来、父がぼくをたびたび、京都の叔父のアトリエへ預けるようになったからです。ぼくが芸術家として大成するには、ごく幼いころから身体に美を染み込ませる必要があり、うちの家系においてそれが可能なのは唯一、叔父のアトリエだろう……というのが、父の考えでした。
さて、『芸術家崩れの与太者』『ガラクタを転がして富裕層から金を巻き上げるペテン師』と、ぼくの母からは散々に揶揄されている叔父ですが、父とは仲が良いのです。互いに40歳を過ぎた今も『だるまちゃん』『てんぐちゃん』と呼び合う仲です。
(母はアマチュアのピアニストですが、芸術家というものに深く疑念を抱いており、ぼくを音楽の道から遠ざけようとしてきた人です。逆に父は、芸術にはトンと疎い官吏ですが、ぼくがピアノの才能の片鱗をみせると一番喜んだ人です。父の夢見がちな部分は、叔父やぼくに託されたのかもしれません……)
冬休み、春休み、夏休み、秋休み。
子どものぼくは両親から切り離された寂しさと、自由の喜びと、ごちゃ混ぜの感情にムズムズしながら、好んで京都に滞在しました。
叔父は教育熱心な人ではありません。
ただ自分の行きたいところへ行って、好きな事をして、それをぼくに覗かせるだけです。叔父の吟行に付いて行って迷子になったこともありますし、水琴窟を掘るのを手伝って風邪をひいたこともあります。しかし叔父の一挙手一投足には、ぼくを異世界へ攫ってくれる強烈な美の匂いがあり、ぼくは叔父にくっついているのがどうしようもなく好きでした。
今でも強く印象に残っている出来事があります。
秋、おなかがすいたとぼくが言いますと、叔父は絵筆を置いて、面倒そうにぶらぶらと庭へ出て真っ赤な、ぼくの手のひらほどの小ささの紅葉を四、五枚むしってきて、さっと天ぷらにしました。
その紅色の艶やかな事といったら……!
くちびるを火傷するほど熱く、奇妙な味でしたが、それは世にも美しい食べ物でした。正座してパリパリと噛むごとに、鮮烈な美が、魂に刻み込まれる音がしました。
ぼくはあまりの衝撃に、自分では見えづらい身体のどこか(ひざこぞうの裏や、うなじのくぼみなど)に紅葉のかたちのアザが顕れるに違いない……という強迫観念に憑りつかれて、それからしばらく毎晩、風呂上がりに鏡を睨めていたものです。
つまるところ京都は、ぼくの身体に美を彫り込んだ場所であり、叔父はその張本人なのです。
今、自分の内面から美をかきあつめて『夢の浮橋 変奏曲』を創るにあたり、京都の叔父のアトリエほど適した場所はないと思います。ぼくは日本へ一時帰国し、京都で集中して作曲をおこなう事に決めました。
……しかし、京都へゆくのも、叔父に会うのも、じつは数年ぶりなのです。『ベートーヴェンのお墓のレプリカ事件』をきっかけに、ぼくは京都へゆくのを固く禁じられてしまったものですから。

イラスト

書き始めた手紙が思いがけず長大になったのを、鍵一は呆れて眺めた。メッセージをしたためた五線譜は、すでに5枚目になっていた。
(たった18年のぼくの人生を語るのに、こんなにたくさんの言葉が必要なのか)
書いたばかりの手紙を、鍵一は最初から読み返してみた……2枚目を読み終えぬうちに、もう鍵一はそれを暖炉に放り込んでしまいたい衝動に駆られた。フランス語の文法は拙く、表現はぎこちなく、あまりにも個人的なことを書き過ぎているように思われた。
(『19世紀パリの紫式部』ことジョルジュ・サンドさんに、これは分かってもらえる内容かしら……)
猫背の鍵一は手紙を持ったまま、部屋のなかをウロウロと歩き回った。珈琲を飲み、窓の外の樹々を睨め、鍵一の逡巡するあいだに階下のヴィルトゥオーゾたちは、師の作品を種に即興の連弾を始めている。

♪チェルニー(ツェルニー)作曲 :シューベルトの人気のあるワルツによる変奏曲 Op.12※4

その軽やかな演奏に耳を傾けるうち、鍵一はチェルニー氏の叱咤を思い起こした。
(『いちど舞台に上ったなら、最後まで弾き続けなさい』、か……)
いちど筆を執ったからには、やはり書かねばならない事であった。鍵一は深く息を吸って、ふたたび机に向かった。

つづく

◆ おまけ