ピティナ調査・研究

第6話『風鈴♪』

SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』
前回までのあらすじ
新星ピアニスト・鍵一は、人生に迷える18歳。
師匠のB氏より極秘ミッションを引き継がれたことから、彼の運命は一変する。
19世紀パリへワープした鍵一を待ち受けていたのは、ショパン、リスト、アルカン、ヒラーという、綺羅星の如き音楽家たちであった。
リストのすすめでサロン・デビューを目指す鍵一だったが、最初の修行課題はいきなりの難問で……!?
風鈴♪

7月6日は『ピアノの日』♪
ピアノなるものが海より来たりて、江戸時代の人の耳を驚かせた記念日です。
同じ頃ヨーロッパでは、12才のリストがベートーヴェンに褒められ、
13才のショパンはワルシャワで音楽の勉強中でした。
舟の形をしたこの美しい楽器は、多くの運命を結び合わせますニャ……

(ニャ……?)
はっと鍵一は目を覚まして、窓が眩しい。傍らに白黒ねこのフェルマータ※2が気持ちよさそうに伸びて、まだスヤスヤと眠っている。
(そうだ、昨夜は『外国人クラブ』のレストランの2階に泊めてもらったんだっけ。
今日は1838年5月、パリ滞在2日目……!)
ベッドから降りるや勢いよく窓をひらいた。途端、朝陽に迎えられて「おお!」思わず身をのりだした鍵一の目の前に、パリの初夏は光に満ちている。
彼方にはモンマルトルの丘の緑が輝き、麓よりゆるゆると流れ来るセーヌ川は朝の空を映して、あるいはオペラ座の屋根、あるいはアパルトマンの建物の群、あるいはオベリスクの広場の間を見え隠れしながら、きらきらと天の川のようにパリの街を浸している。
かすかに吹き寄せる馬車のひづめの音に目を凝らせば、いま一艘の川舟が、荷を橋のたもとへ漕ぎ寄せるところ。
対岸にはノートルダム大聖堂が、今にも東雲色の鐘の音を響かせようと聳えている。
(bravo!)
鍵一は小躍りして、胸いっぱいに朝の空気を吸い入れた。
(この美しい街で、ぼくは必ず、19世紀パリの音楽史を明らかにしてみせる。
一流の音楽家たちと交流して、ショパンさんのくれたキーワード『夢の浮橋』の謎を解いて……
そのためにはまず、ぼく自身が一流の場所に出入りできるように、実力をつけなくちゃ。
まだまだ道程は遠いけれど、きっと大丈夫。いざとなったら、三種の神器も使えるし)
鍵一は三種の神器を朝陽にかざして、つくづくと眺めてみた。
(まずは、音楽記号の詰まった福袋。
B先生が『ピンチの時は使え』と仰っていたけれど……あまりピンチには遭いたくないなあ。戸棚にしまっておこう。
それから、鍵盤ハーモニカ。
19世紀パリだけではなくて、他の国や時代にもワープできるかしら? 気になる……!
でも、ひとまずしまっておこう。今はサロン・デビュー修業の課題に集中しなきゃ。
リストさんから出された最初の課題、『1文無しで1年間パリに居座る方法』……難しいな。
B先生の『未完の音楽史』に、何かヒントがあるかしら?)
分厚い音楽史をひらきながらドサリと鍵一がベッドに座ると、はずみで白黒ねこのフェルマータがヒョイと起きた。
(これは凄いぞ、さすがB先生! アフリカで発見された有史以前の木琴の痕跡から、JAXAの宇宙音楽プロジェクト『moon score』※3まで、古今東西の音楽史を縦横無尽に記録し、かつ、付録の小論文で鋭い考察を……!)
夢中でページをめくる鍵一の傍へフェルマータが寄ってくると、
「ニャ♪」
と、ねこ手をページに差し入れた。
「なんだいフェルマータ、『キャットフィッシュ』の項かい」
鍵一がゆっくりとそのページを開いてみると、
『にっぽんピアノ黎明期』
と題して、B氏の筆が朗々と綴っている。
『1823年7月6日、医師シーボルトが長崎へピアノを持ち込み、これがにっぽんピアノ史の幕開けとなった。』
(なるほど。かくて、7月6日はピアノ記念日♪
初めてピアノの音色を聴いた江戸時代の日本人は、さぞびっくりしただろうなあ。異文化から受ける刺激は、相当なものだったはず。
待てよ。ここ19世紀パリではどうだろう?
昨日お会いしたヒラーさんはドイツ出身、ショパンさんはポーランド出身、リストさんはハンガリーの出身……パリでは外国人の音楽家が活躍してる。
アルカンさんはこう仰っていた、『今のパリなら、珍しいものを楽しむゆとりがある。日本人のきみがデビューするなら、今がベストだよ』って)
「おーいケンイチ、起きてたら顔洗って降りてこいよ」
陽気な声が階下から響いて、「はーい」と呼び返す鍵一の鼻先に、ふんわりとこうばしい匂いが流れてくる。
「朝飯のクロワッサン(croissant)、焼き上がったぞ」
「わっ、ありがとうございます♪」

(ナイスな三日月のかたち。そういえば『クロワッサン』といえば、フランス語で『三日月』の意味だものな。熱ッ)
バターの染み出るクロワッサンにかぶりついた鍵一、
「bravo!」
椅子から跳ねてシェフに笑われた。
「美味しいです! 外はサクサク、中はもっちり。これ、フランスの伝統的なパンですよね」
「俺たち一般市民の口に入るようになったのは、わりと最近だけどな」
シェフは厨房の奥からバケツを提げて来て、鍵一の前へ気楽に腰かけた。
スズランの花束※4の茎が半分ほど水に漬かっているのを、ブンザアと引き揚げてハサミを入れ始める。
「ついでに言うとさ、昨日の夕食会に出したような魚料理も、上等のシャンパーニュも、苺のミルフィーユ(=ナポレオン・パイ)も。俺たちの親世代では、王侯貴族しか食せない贅沢品だったんだぜ。
俺の師匠のカレーム先生だって、国王の料理人だったんだ。ナポレオンのウェディングケーキなんかも創ってた」
(なるほど。ルイ王朝時代は、料理という文化そのものを、宮廷が独占していたんだな)
「フランス料理史にも、何か転機があったんですね……!」
「革命だよ。18世紀末のフランス革命が、すべてを変えたんだ」
チョキン、と小気味よい音をたてて、花の根元が落ちた。
「王侯貴族はギロチンに掛けられた!当然、雇われてた料理人たちは職を失った。
宝石箱を逆さにぶちまけたみたいにさ、それまで宮廷の厨房に閉じ込められていた料理人たちが、一斉に野に放たれたんだ。
ある者は亡命し、ある者は職を変えた。中にはパリに残って独立して、ブルジョワや市民階級のためのレストランを創る奴らがいた。俺もそのひとりさ」
「きっと大変でしたよね、世の中の価値がひっくり返って……ゼロから生き方を立て直すなんて」
「まあな。でも俺は革命に感謝してる。一時的に職は失ったけど、自分の店を持てて良かった。一国一城の主になるってのは、やっぱり良いもんだよ。楽しい連中にも会えたしさ」
ニカッと笑ってシェフが目配せする。その視線の先を辿り見て、店内に多くの肖像画の飾られていることに、鍵一は今初めて気づいた。
(リストさん、アルカンさん、ヒラーさん……それに、ベルリオーズさん、ショパンさんとジョルジュ・サンドさん! 
皆さん活き活きと描かれて……それにしてもこの画風、どこかで見た事あるような?)
「俺がメシを食わせる相手は、もう王侯貴族じゃない。パリの一般市民や芸術家たちなんだ。俺はあいつらの活力の源になるようなメシを創る。安くて気楽でボリュームたっぷりで、でもとびきりゴージャスで、うまい料理をさ。
そうして一緒に、新しい時代を創って行くんだ」
「料理も芸術も、フランス文化はいま黎明期なんですね……!」
「ま、200年後の連中からしたら、俺たちの考えは滑稽で古臭いかもしれないけどね、ハハハハ。今は前進あるのみさ」
シェフは立ち上がると、戸棚から花瓶をとりだして、ためつすがめつしている。
「なあケンイチ。俺がなぜ『外国人クラブ』を自分のレストランに受け入れたか、わかるか?」
「?」
「俺たち料理人は、時代に合った新しいフランス料理のスタイルを、自力で創らなきゃならねえ。そのためには、伝統的なフランス料理の枠に縛られてちゃダメだ」
(外国人の音楽家が活躍する19世紀パリ……あっ、そうか!)
「外国料理のアイディアをメニューに取り入れるため、ですね?」
「正解!それにあいつら、良きテスター(試食係)でもあるんだ」
「確かに皆さん、小さい頃から演奏活動をされていて、ヨーロッパ中の宮廷やサロンで演奏なさっているから」
「そうそう、そんじょそこらの大貴族より、よっぽど舌が肥えてるんだよ。
あいつらが満足してくれる料理なら、俺も自信持って客に出せるってわけ。
メニューもまだ開発中だからさ、時々とんでもなくマズイもん食わせたりはするけど」
笑うシェフにつられて鍵一も笑ってしまう。クロワッサンは冷めても美味しい。
「いずれ、俺もカレーム師匠みたいに、後世に残るレシピを創るんだ。
レシピさえちゃんと作っておけば、後世の人々もパリのうまいものを食えるわけだし。
でも、いつも即興で創ってるうちに書き留めるの忘れちまうんだよな。ハハハ、あとからじゃ分量なんて思い出せないしさ」
「レシピは、シェフにとって楽譜みたいなものなんですね」
「確かにそうだな。料理人にとってのレシピと、音楽家にとっての楽譜は同じ、か……おっと!」
シェフの危なっかしい手つきが花瓶を転がしそうになる、
「よければぼく、やりましょうか」
と、鍵一は思わず立って行った。
「少しですが、日本の生け花の心得がありますので」
「お、ありがたい。ヒラー君が置いてった花束なんだけど、どうも俺はこういうことはダメだな」
「涼しげな初夏のスズラン……風鈴みたいな花ですね」
「風鈴?」
「夏に涼をとるための、日本古来の文化です。
シェフさん、グラスを貸していただけますか? 昨晩リストさんたちが『大彗星のヴィンテージ』を飲んでいらした、あのシャンパーニュ・グラス」
「いいけど、どうするんだ」
「日本の生け花の特長は、素材の持ち味を活かすことにあります。
こういうスラリとした花は、重い丸っこい花瓶よりは、透き通った細長いグラスに活けて、シルエットをきれいに見せたほうが……はい、サササのサ♪」

「ケンイチ、おまえ……天才か!?」
「いえ滅相もない! 叔父からすこし習った程度ですが……お役に立てて嬉しいです♪」
「いいなあ、涼しげで。日本の夏も暑いのか?」
「そうですね、叔父の住む京都という街は、特に蒸し暑くて。だからこそ、涼をとる工夫はいろいろあります。
たとえば竹を橋のように架け渡して、冷たいそうめんを流したり……」
「ほう!」
「川辺に納涼床を造って、桟敷で涼みながら川魚をいただいたり……」
「ほほう!」
「あるいは金魚を鉢に泳がせて……」
「ニャーン♪」
と、魚の話題に白黒ねこも寄ってきた。シェフは「斬新!」と手を打って、手近な紙にアイディアを書き留めようとする。
「涼やかで、華やかで、季節を楽しめる新しい趣向!そういうのが欲しかったんだよ。
なあケンイチ、そのアイディア、うちの店で使っていいか?」
「どうぞ、どうぞ」
白黒ねこの背中をなでてやりながら、ふと鍵一の脳裏に閃光がひらめいた。
(外国人が活躍……異文化ならではのアイディア……1年間パリに居座る……
そうか、これだ!)
「シェフさん、ご提案があります。メニュー開発とレシピづくりを、ぼくにお手伝いさせてください。そのかわり、ぼくがサロン・デビューできるまで、この店の2階に泊めてもらえませんか?」
シェフが大きくうなづくのと同時に、白黒ねこが「ニャ♪」と鳴いた。
「よし、気に入った!好きなだけ泊まっていけ。まかないも付けてやる。店のピアノもどんどん弾いていいぞ」
「ありがとうございます!お世話になります。ではさっそく、日課の練習を……」
安堵の溜息とともに鍵一はピアノの椅子に座ると、ふたをそっとひらいた。
(良かった……!食事と寝床さえ確保できれば、やりたいことに集中できる。
19世紀パリでも、ピアノの練習は欠かさないようにしよう。
まずは、B先生が『噛めば噛むほど旨みの増す曲じゃ♪』と仰っていた、チェルニーのエチュードから)

♪チェルニー(ツェルニー) :フーガおよび多声音楽演奏のための教則本 Op.400

しかし最初の数小節を弾き出したところで、
(あれ?)
異変に気づいて、鍵一は手を止めた。

つづく

◆ おまけ

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