ピティナ調査・研究

Vol.11 篠原英樹さん(幹部警察官)

Enjoy! Piano ピアノで拡がる、豊かなミライ
Vol.11 篠原英樹 さん
大阪府警副本部長

現在、大阪府警で副本部長を務める篠原英樹さんは、9歳の時に中断したピアノを46歳で再開。その後、グランミューズ部門で第2位受賞などめきめきと才能を開花させています。大人からでもどこまで上達できるか挑戦中、という篠原さんにお話を伺いました。

国内外の治安維持の最前線で

現在のお仕事について教えてください

警察庁に奉職した後、警察庁と都道府県警察を往復しながら、様々な仕事を歴任してきました。北海道洞爺湖サミットでは現地警備の、伊勢志摩サミットなどでは警備全体の責任者を務め、また、警察庁国際捜査管理官としては外国警察機関と連携して海外逃亡中の犯罪者の送還・検挙などに貢献しました。現在は、大阪府警のナンバー2として大阪府下全体の治安を預かる一方、万博対策本部長も兼務し、大阪・関西万博の安心・安全な開催のため、警察責任者として尽力しています。

4歳でのピアノとの出会い、9歳での別れ

ピアノを習い始めたきっかけは

姉が習っていたピアノを、「やりたい、やりたい」と親にせがんで習わせてもらうようになったのが、もうすぐ4歳になるという頃でした。習う前から姉のピアノを真似していたので、レッスン初日にバイエル20番まで弾いて、「もっと弾きたい!」と先生に直訴(笑)したそうです。当時はコンクールというものも知らず、年に1度の発表会とクリスマス会で弾くくらいでした。しかし、小学3年生の冬にレッスンを辞めることになりました。

辞めてしまった理由は?

あまりにもピアノが好きでピアノばかり弾きたがる私を親が心配して、中学受験を前に勉強の方に仕向けたというのが実のところだと思います。勉強と音楽の両立も普通になってきた今の時代であれば、違った選択もあったかもしれませんし、今ピアノが好きで続けたいというお子さんがいれば、可能な限り続けさせてあげたらと思いますが、当時の価値観もあり、勉強に専念することになりました。

もちろん、今このような立場で充実した仕事ができているからこそ、ピアノという大きな趣味も安心して楽しめていることも真実ですので、この生活の礎を作ってくれたことに対して今では両親に大変感謝しています。でも当時は好きなままピアノから離れることになってしまい、幼いながらも何となくさみしい思いをしました。

ブランク時期の音楽とのかかわり

中断した後は、ピアノは弾かなくなってしまったのでしょうか

中断といっても後ろ髪を引かれながら辞めた状態なのであきらめきれず、親がいない時に目を盗んで好きに弾いていました。ソナタアルバムに入ったところだったので、好きなソナタを選んで、無謀にもベートーヴェンの「月光」や「テンペスト」にも挑戦したりしていました。中高の文化祭でピアノを弾く企画があり、ピアノをやっている友達と一緒に出て「ワルトシュタイン」や「熱情」を弾いた思い出もあります。

大学進学とともに上京し、好きなことが存分にできるようになった時には手元にピアノはなく。大学のピアノサークルに一旦は所属したものの大学生活の中で徐々にピアノを弾くことからは遠ざかり、クラシック音楽を聴く方が中心になっていきました。そんな中、大学3年でドイツの語学学校に2か月ほど留学した時には、音楽留学に来た学生たちに交じって音楽の夕べで弾かせてもらったりもしました。

就職してからは激務の中、音楽との関わりは保てましたか?

警察庁に就職してからは、今と違って当時は終電やタクシー帰りも当たり前というかなり厳しい霞が関での勤務環境のもと、仕事以外のことはまずできず、休日も疲れて寝ているだけといった状況が40代前半まで続きました。転勤も多くなかなか落ち着かない環境でもありました。今は、働き方改革を経て職場環境は相当良くなっていますので、念のため(笑)。

20代後半に職場からドイツに2年間留学に行かせていただいた時だけは比較的時間の余裕があり、ヨーロッパ法の勉強をしがてら、休みの日には時間を見つけては各国のオーケストラのコンサートを聴きにヨーロッパ中を駆けずり回りました。本場で音楽に接する機会をたくさん持てたことは、今のピアノにも生きているかもしれません。

46歳での再開とコンクールへの初挑戦

それから46歳で一念発起してピアノを再開したのはどのようなきっかけだったのでしょうか

ピアノの実力をメキメキとつけてきた姪っ子に触発されたことが大きなきっかけでした。姉の娘の片山響は小さい頃からよく懐いてくれていて、親族の集まりでよく「ピアノ対決!」などと言って遊びで弾き合いをしていました。彼女は驚くほどうまくなっていき、ピティナのJr.G級銀賞をはじめ各種コンクールでも入賞していくようになりました。そんな彼女も今や東京藝大の4年生です。

姪の片山響さんと

その彼女が中学生くらいの頃、ピティナに「グランミューズ」というものがあると教わり、「おじちゃんもピアノ再開したらええやん。」と言われたんです。「グランミューズって何?」と一生懸命に調べ、ピティナのコンペにも大人の部門があるのを初めて知りました。大人でもピアノに真剣に取り組んでいる、そんな世界があるんだ、ということにビビッと来ました。

響さんのその一言で、ぱっと世界が開けたのですね。

そうなんです。しかもその頃、世間でも働き方改革でプライベートの充実も叫ばれ始めたのと重なったのがよかったのです。ピアノが習いたくなってウズウズするようになり、一念発起してネットで捜し当てた尾見林太郎先生の門を恐る恐るたたき、その日に習うことを決めました。それが7年前の46歳の時でした。37年ぶりのレッスンはド緊張しました(笑)。

あまりにもブランクが長かったもので、レッスンでは変な癖のついた弾き方そのものから徹底的に変えられました。習い始めて半年ほどで出た発表会でたまたま堂々と弾けたのを見て、尾見先生からコンクールに出てみないかと勧められ、翌年にはいくつか小さなコンクールに出てみました。そこで味をしめ、その翌年に思い切ってピティナのグランミューズ部門へ挑戦し、運よく全国大会で第2位に入賞させていただくことができました。

グランミューズで入賞したことでの変化はありましたか?

この入賞を機に、アマチュアピアノ弾きの仲間が飛躍的に増え、私のピアノの世界ががらりと変わりました。中高の文化祭で一緒に弾いた同級生がたまたま聴きに来ていて、約30年ぶりの再会を果たしました。彼は一足先にピアノを再開してグランミューズ部門でも入賞しており、彼が企画した全国大会後のピアノ仲間との打ち上げに私も飛び入り参加させてもらいました。これがきっかけになり、その後関東はもちろん、「ショパニスト関西」というサークルに入会させていただいたこともあって関西にもアマチュアピアノ仲間が増えていき、私の生活のプライベートの部分を支える大きなところを形づくっていきました。

しかし、入賞の翌日に愛媛への転勤を言い渡され、翌月には松山に旅立ちました。しかもその数ヶ月後にはコロナ禍が始まってしまいました。

これから仲間の輪を広げようという矢先での異動とコロナ禍でしたね。

ピティナの入賞動画で愛媛県の人たちにも私がピアノを弾くことがあっという間に伝わり、愛媛県警察音楽隊と一度共演したこともありました。松山ではピティナを通して池田慈先生をご紹介いただき、レッスンを続けることができました。松山に籠もっている頃に参加したのが「ピアノ曲事典オーディション」でした。驚いたことに第1回第4回で公式採用され、あの大きな素晴らしい事典に載せていただいていることは今でも誇りです。

コロナ禍でもSNSのおかげでピアノ仲間との交流が広がり、その後関東、関西へと異動しても、各地で色々なコンサートに誘われて参加するなど、素晴らしい仲間に支えられました。

大人のピアノ再開を振り返って

忙しいお仕事の合間に、どのように日々のピアノの練習をされているのでしょうか

あまりに転勤が多いため自宅のグランドピアノで練習できる時期は限られ、転勤先では電子ピアノを置き、時々スタジオに行って生ピアノで練習しています。今は、若い頃ほど厳しい環境ではないけれども、忙しいことに変わりはなく、平日の出勤前の朝20分、疲れて帰ってくる夜は日によって30分くらい弾ければいい方で、全く弾けない日もあります。何もない土日は2時間くらい練習しますが、ピアノサークル活動やコンサートの参加、聴きに行くといった形でつぶれることも多いです。

小さい頃にやっておいてよかったと思うことは?

長年ずっと続けてきた方々には及ばないけれども、小さい頃にピアノの基礎をやっていたからこそ今がある、というのは間違いありません。とはいえ、未だに悪い弾き癖を直すのに一苦労ですが。

小さい時に比べて大変だと思ったことは

暗譜です。小さい頃は知らぬ間に暗譜をしていたのが、大人になってからはそうもいきません。昔遊びでも弾いていた曲は、何十年経った今でも練習すれば何となくは弾けるのに、最近取り組んだ曲は、少し離れるとすぐに忘れます。大人になる前にどれだけの曲を仕込んでいたかというのは実は大事なのだなと思います。

子どもの時と、意識的に変えて取り組んでいることはありますか

昔は弾けもしないのに最初から普通のスピードで弾いていたものを、最近は意識的にゆっくりから着実に始めるように心がけています。指使い、指の形、鍵盤への置き方などを徹底的に研究してから練習するようにしています。どれも本来は当たり前のことですが、大人になってより意識的にやるようになりました。

ピアノを再開したことで、主観的幸福度や生活全体への影響は感じますか?

脳が活性化されたのは間違いないと思いますが、経年劣化の影響の方が大きいのか(笑)、記憶力は低下する一方です。でも、生活にハリが出たこと、趣味があるから仕事もがんばれるという気持ちになったのは間違いなく、生涯取り組む目標ができたことにより自己肯定感は向上していると思います。仕事に疲れた週末は寝て過ごすことが多かったのが、ピアノがあることで活動的になり、1日ずっと家でだらっとすることは基本的に無くなったことも、顕著な変化だと思います。

ピアノから離れていた時の経験が、ピアノに生きていると思うことはありますか?

本当は離れない方がもちろんいいと思うのですが、私の場合、ピアノから離れているころもオーケストラや室内楽など、ピアノ音楽以外のものもむさぼり聴いていたことが今のピアノに生きているのでは、と思います。小さい頃は、「ここはチェロの音色で」とか「オーケストラを意識して」とか言われてもピンとこなかったでしょう。

ピアノ仲間の支えで、再び人生に前向きに

篠原さんにとって、ピアノはどのような存在でしょうか

「仕事第一、ピアノは趣味」と言っても、大人の趣味は真剣です。趣味ではあっても、真剣に取り組み、自分なりに突き抜けようと努力し、それを楽しむ。私にとってはそれがピアノです。そういう意味で、幼少期にピアノというものに出会わせてもらった親に改めて感謝したいと思います。

実は数年前、仕事上で心が打ちのめされるほどの極めて苦しい経験をしました。その時はピアノを見ることすら拒否してしまい、もう今後一生ピアノから離れるのかなとまで追い詰められていました。しかし、それを乗り越えられたのもピアノのおかげでした。心配してくれたピアノ仲間が、頃合いを見計らったかのように私を弾き合い会に連れ出し、半ば強引に私をピアノに向かわせ、強制リハビリをしてくれたのです。それにどれだけ救われたか。仕事に対してもピアノに対しても再び前向きになるきっかけをもらい、その数カ月後にまた人前で舞台に立てた時は、涙が出そうでした。本当に、たくさんのピアノ仲間に支えられてここまでやってこられたと思うと、感謝しかありません。

アマチュアピアニストたちとの出会いが、人生においても大きな影響を与えていますね

プロではない強み、アマチュアの特権は、音楽の演奏をいかに楽しむかを追求できる立場であるということだろうと思います。技術の巧拙とは違った次元で、弾き手が積み上げてきた艱難辛苦、人生経験が、その人の奏でる音楽に反映されるからこそ、感動を呼ぶんだろうと思います。もちろんプロもアマも限りませんが、そこから繰り出される音楽は、その人の生き証人であると思います。歴史を背負えば背負うほど、その人の持ち味が滲み出してくるのがピアノであり、音楽であると最近思うようになりました。

60歳を超えてからが本当の勝負

今後の目標は

責任ある仕事をさせていただいている以上、いくらピアノが楽しくても仕事優先は当然で、やるべき任務は全力で果たさなければなりません。仕事あっての趣味のピアノです。仕事柄、なかなか自由には移動ができないポストに就くこともあり、どうしても活動の幅は限られます。しかし、そんな中でも転勤に伴い移り住んだ東京、松山、大阪とそれぞれの土地で素晴らしいピアノの先生と出会えているのは幸運です。今は大阪で縁あってクラウディオ・ソアレス先生からレッスンを受けていますが、どこにいてもピアノのレッスンは必ず続けて演奏のクオリティを高めたいと思っています。また、可能な限り仲間同士のコンサート参加、コンクールへの参加も続けていくつもりです。年明けの2月24日には人生初のソロリサイタル開催が決まり、目下準備にいそしんでおります。

我々にとってのコンクールは、順位は一つのモチベーションではあれども、最大の目的は、参加することにより自分の演奏を高めようとする、そのモチベーションの維持だと思います。そして、時に仲間同士で自分の成果を披露する、自分の人生に彩りを添えるものとして音楽はあると思っています。

ゆくゆくは、アンサンブルにも挑戦したいし、移動の自由が得られるようになったら海外のコンクールにも挑戦したいと考えています。そういう意味で、趣味の部分では60歳を超えてからが私の本当の勝負だと思っています。

(2024/11/5 東音ホールにて)

Q.お気に入りの曲は何でしょうか
ショパンのバラード第4番、ベートーヴェンピアノソナタ第32番、ブラームスの後期作品群
とても難しい質問です。ベートーヴェンピアノソナタ第32番、ブラームスの後期作品群、ショパンのバラード第4番です。どれも、50歳を超えたら向き合おうと思っていた作品で、まずはブラームスから手をつけ始めています。
◆ プロフィール

1971年兵庫県生まれ。東京大学法学部卒業後、1995年に国家公務員として警察庁に入庁。これまで警察庁のほか、北海道から九州までの各地の都道府県警察で勤務。その間、捜査第二課長、機動隊長、警察学校長、警備部長などの職に就き、最近では愛媛県警察本部長、警察庁警備第一課長、同国際捜査管理官を歴任、2024年春から大阪府警察副本部長兼万博対策本部長。2019年第43回ピティナ・ピアノコンペティションB2カテゴリー全国大会第2位。第1回及び第4回ピティナ・ピアノ曲事典オーディションで最高賞の「公式採用」。第22回ショパン国際ピアノコンクールin Asia ショパニストB部門アジア大会金賞及びソリスト賞。第33回日本クラシック音楽コンクールピアノ部門一般男子の部全国第3位(1位2位なしの最高位)。第11回あおによし音楽コンクールピアノ一般最上級部門第1位及び一般ステージ総合グランプリ。 第1回International Competition for Pianists Online 2021第2位(ポーランド)。Carles and Sofia International Piano Competition 2021金賞(スペイン)。その他多数入賞。これまでに尾見林太郎、池田慈、クラウディオ・ソアレスの各氏に師事。

取材・文・構成=二子千草
撮影=石田宗一郎
調査・研究へのご支援