Vol.9 山田邦雄さん(経営者)
ロート製薬4代目会長の山田邦雄さんは、小さい頃始めたピアノを、進学や会社経営の傍ら、長年続けて来られています。10曲ほどの「人生のレパートリー」を持ち、ピアノは「休んでも、やめていない」と語る山田さんに、ピアノとの「ええ加減」なつきあい方や、経営との共通点をお話いただきました。
8月にはサントリーホールへ2024特級ファイナルへお越しくださりありがとうございました。
普段も自分ではピアノのソロやコンチェルトのコンサートを選んで行くことが多いのですが、あれだけピアノコンチェルトをまとめて聴けるのは単純に楽しかったです。それに加えて、ぐんぐん伸びていらっしゃる若手の皆さんの緊張感や、ファイナルを迎えた喜びを演奏からも感じられて、聴く方としても、円熟したプロのコンサートというのとまた違った、今でしか聴けないこの1回限りの緊張感が非常におもしろかったです。皆さんチャレンジャーでありつつ堂々としていらっしゃって、安心して聴くことができました。
ベートーヴェンの「皇帝」は子どもの頃に家にレコードがあって聴いていましたし、チャイコフスキーの1番もアルゲリッチの録音を何度も聴いたなどの思い出もあります。
ご家族で音楽を楽しむご家庭だったのですね。ピアノも小さい頃から習われていたのですか?
4歳ごろからピアノを習っていました。最初は親に言われてピアノ教室へ行き始めたのですが、外に出て遊びたいのに練習しなきゃいけない、先生のところに行っては怒られるので、なかなか嫌で。弾く方よりも、和音を当てるようなものの方が得意だったので、音感がいいと言われていましたね。
中学受験のため、小学校4年生の時にピアノ教室をやめることになりました。中学以降は新しい音楽に興味が出てきて、中高時代はエレクトーンでポピュラーな曲を弾くのにはまり、大学ではロックバンドでキーボードを弾いたり、大人になるとジャズのセッションに憧れて聴きに行ったりと、色々なジャンルの音楽にも手を出しました。
その一方で、大学入学時には東京の下宿先にまでアップライトピアノをわざわざ入れてもらって弾いていました。下宿だから夜弾けないので、昼間帰ってきては弾いたり。その辺りから色々な曲を弾いてみたくなり、自分でちょっとずつ練習して、趣味としてピアノをまた弾くようになりました。
色々な音楽を経験して、ピアノにまた戻ってきた、という感じでしょうか。
エレクトーンもバンドも楽しかったのだけれど、やっぱりピアノの音色がいいなと思って戻ってきたのだと思います。好きだし弾きたい気持ちはあるけれど、なかなか上手にならなくて、挫折して、でもまたしばらくしたら弾きたくなって、と。そういうのが今に至るまでずっと続いています。
小学4年生で中断した後は、レッスンには通われていないのですか?
そうですね。50代の頃に子どものピアノの先生にちょっと見てもらったこともありますが、定期的なレッスンは行っていません。最初はもちろん楽譜を見て覚えるのですが、譜面を見ながら同時に弾くという器用なことがなかなかできないので、しつこく同じ曲をやって覚えてしまって、そこからがスタート、といった要領です。独学というか、自己流ですね。
人前で弾く機会もありましたか?
実は50代の頃に、おじさんばかりのピアノクラブに入れてもらって、5年間くらい活動したところでコロナに突入してしまいました。そこは東大のOBによる「難曲探検隊」というピアノサークルで、色々な企業に勤めている人が半年に1回発表する、というものでした。半年に1回用意するというのは結構大変なのですが、1年に1回ではちょっと休みすぎてしまう、半年に1回くらいが、終わったらすぐに次をやらなきゃ、という気分になり、常に発表の機会が待ち受けている感じでよかったです。
どのような曲を弾かれるのですか?
ショパンのワルツやマズルカなどが多いですね。半年に1回を5年間なので10曲発表しましたが、一番がんばったのは、最後に弾いた「英雄ポロネーズ」ですね。冒頭から難しくて、だましだましでしたが。
「難曲探検隊」での逸話として、ご夫婦の連弾の予定が奥様の急な体調不良で、急遽ソロにパッと切り替えて出演されたこともあったと伺いましたが。
急に出られなくなっちゃったので、持っている曲の中ですぐに弾けそうなものに変更したことがありましたね。だいたい10曲くらい、いつも弾いているような曲があって、「人生のレパートリー」みたいなものですね。長いものでは20代の頃から40年間くらい練習し続けているものもあります。
もちろん好きな曲しか弾きませんが、「これ弾きたいな」と思っても難しくて。私などの場合、きちんと仕上げてから発表する、というのではなく、完成しないんです。好きな曲がたくさんあるので、やりかけていたものをまたやって、また完成しないうちに発表会で弾く、ということの繰り返しです。「難曲探検隊」も、間違えたり止まってしまったりしても、まぁまぁ、という感じで、みんなで楽しくほのぼのとした感じでやっていました。とてもいい出会いだったと思います。
特に思い入れのある曲はありますか?
その40年間弾いているというのが、「展覧会の絵」です。還暦の時には全曲弾けるかなと思っていましたが、残念ながら還暦を過ぎてもまだまだで、永遠に完成しないのではないかと思ってしまいますが、いつか弾きたいと思って練習している曲のひとつです。曲になってなくても、「あの素晴らしい和音ってこういうところから出るんだ」などと感じながら練習するのも楽しいものです。ほかにも、小学生の時に先生について練習していたベートーヴェンの「エリーゼのために」や「エコセーズ」も、発表会の途中で繰り返しが分からなくなってしまって恥をかいたのを今でも覚えていて、悔しくて今でも時々弾いている、というようなものもあります(笑)。
山田さんにそこまでさせる、ピアノの魅力は何でしょうか?
「音」ですね。自分の演奏を人に聴いてもらいたいというよりも、私はピアノの音色が好きなんですね。家のアップライトを、社会人になって結婚を機にグランドピアノに買い替えましたが、いいですね。そして、弾きたいなと思う好きなピアノ曲がたくさんあります。難しいと思う曲でも、やっていくうちに、ちょっとずつ形になってきたな、というそのプロセスが楽しいですね。
今までのキャリアの中で、何十年もピアノをやってきたことが生かされていると思うことはありますか?
それはもう、「諦めない心」と、「チャレンジ精神」ですね。傍から見て「そんなもの無理だろう」と思えることにも、チャレンジすることです。
「チャレンジして、諦めない」という精神は、非常にビジネスで生きていると思います。客観的に見たら自分のピアノなどたいしたことないのですが、好きでやっているのだから、傍から見て下手とかいうのはどうでもいいんです。好きでやりたいのでやる。自分の価値観を信じて、我が道を行くというのも、どこか経営と似ていると思います。
Well-beingを追求するロート製薬の会長というお立場から、音楽に対してどのような想いをお持ちですか?
ロート製薬は社会のWell-beingとともに、社員のWell-beingも大切に考えています。社員のクラブ活動も推進していて、私自身も「難曲探検隊」をやっていた頃は社内でもピアノクラブを作って「難曲探検」をしていました。今はピアノだけでなく、ヴァイオリンやその他の楽器の方もいて、いわゆる音楽サークルになっています。当社にはホール(ロート会館)があるので、そこで練習をしたり、発表会をしたりもしています。社員の中には個人で音楽活動をやっている人も結構いるようで、ピティナのコンペティションに出るような腕前の方もいらっしゃいます。
生活を豊かにする上で、音楽は欠かせないものだと考えています。音楽活動自体が非常におもしろいものだし、みんなで演奏するとなると、音楽を中心に集まって練習したりできます。ピアノは一人で完結してしまう楽器ですが、クラブにすることで、それを軸として集まれば、コミュニティができます。私にとっても大事な存在だったように、そうした仲間や場を持つことは人生においてとても大切なものだと考えています。
大阪のロート製薬本社の敷地内には、1959年に建てられた立派なロート会館がありますが、そこを長年維持されてきた想いをお聞かせください。
ロート会館は、先々代の時代に社員の福利厚生のために作られた施設です。現在、社内のイベントには活用しているのですが、今、せっかくならば地元の方々にも足を運んでいただけるような活動がしていけたらいいな、と考えているところです。
今、ピアノを学ぶ子どもや大人、そしてかつてピアノを学んだことのある大人の方たちへ、メッセージをお願いいたします。
せっかくいいものを持って生まれてこられたのだし、そこまでピアノを学んでこられたならば、ぜひ楽しんでやっていただきたいと思います。日本人は根がまじめなので、間違えたらいけないとか、完璧にできないと人前に出しちゃいけないのではとか、難しく考えすぎなところがありますね。もうちょっと気楽に、「ええ加減」でやるのがいいんじゃないかと思います。
日本には、小さい頃ピアノを習ったことがある人は多いはずなので、皆さんまたやったらいいと思うんです。「昔ほど弾けない」という話もよく聞くけれど、それもいいじゃないか、と思います。やめるのはもったいない。小学生レベルまでしかレッスンに通っていなかった自分でもこれだけ楽しめているのだから、皆さんもっと楽しめるはず。やめる必要なんて全くないんです。
かく言う私も、毎日ずっと弾いてきたかというと、そうではありません。途中3年、5年と休んでいる時もあります。休んでは復活、休んでは復活、を繰り返しています。要は「やめてない」んです。人生、いつでも、好きな曲を弾いていい、そんな「ええ加減」がいいなと思います。
(2024/9/27 ロート製薬東京支社にて)
ムソルグスキー : 組曲「展覧会の絵」
1956年生まれ。東京大学理学部物理学科卒業後、80年ロート製薬入社。99年社長就任後、現在の主力事業である化粧品ビジネスを始め、再生医療、農業、食など、新しい事業領域を開拓。2009年会長兼CEO(最高経営責任者)、19年から現職。
文・構成=二子千草
撮影=石田宗一郎
協力=ロート製薬株式会社