Vol.8 松下奈緒さん(女優・作曲家・ピアニスト)
6月7日(金)公開の映画『風の奏の君へ』で主人公のピアニスト青江里香(あおえ・さとか)を演じている松下奈緒さん。女優として多岐に活躍すると同時に、作曲家・ピアニストとして通算9枚のオリジナルアルバムをリリースし、コンサートツアーも精力的に行っている松下さんに、女優/ピアニスト/作曲家としての生き方、将来に悩めるピアノを学ぶ子どもたちへのメッセージを伺いました。
映画『風の奏の君へ』では、ご自身と同じように作曲をするピアニストの役でしたが
役をいただいた時は、「嬉しい」という気持ちと「じゃあどうしたらいいんだろう?」という気持ちの両方がありましたね。自分と共通する部分が、果たして自分に味方してくれるのか、それともぶつかってしまうのか、という不安や葛藤が最初はありましたが、終わる頃にはその不安もなくなっていて、この役を私にやらせていただいて「音楽をやっていてよかったな」「お芝居をやっていてよかったな」と両方思いました。
最初に感じていた不安というのは
ピアニストで作曲家である役柄としての里香と、自分自身とをどう変えていけばいいのかなと。里香の気持ちが分かる部分も大きいけれど、自分じゃないし。どこまで私でやるのか、里香でやるのか。境界線て何なんだろうな、という事が、すごく難しいと思いました。ピアノの演奏シーンも自分と里香でどういう音楽を奏でるのか―。私が感じたことなのか、里香が感じたことなのか―。本当にクロスする部分が多かったので、そのあたりは最初すごく難しいと思いました。
何がきっかけで「里香に入り込めた」と思えるようになったのでしょうか
やはり一番はロケ地である美作に行って、共演の山村隆太さんと杉野遥亮さんと一緒にお芝居をした時に、家で台本を読んでいるだけじゃ気づかない、自分にはないものが芽生えた気がしたんですよね。そこには自分が思ってもみなかった景色が広がっていて、風に吹かれた時に何とも言えない懐かしい匂いがして、そして山村さん演じる淳也の里香への冷たい視線や距離感とか、杉野さん演じる渓哉の危うい若い感じとか、そういう全ての距離感が里香を作ってくれました。
演奏シーンは一つの見どころですが、撮影時には里香として感情を入れて弾けましたか?
そうですね。やはり気持ちによって変わって来る音って絶対あると思うんですよね。だから私がいつも弾く音とは違っていればいいな、というのがすごくありましたし、やはり里香が「人生の最期」に向き合っているという事が私と一番大きく違っているところだったので、そこは常に頭にあるようには意識していました。
演奏シーンも津山のホールをお借りしたり、美作の学校の体育館で弾かせていただいたりして全て岡山県でロケをやらせていただいたので、撮影が進むにつれて、里香が何故ここに来て、何を残したかったのか、気持ちが徐々に明確になっていったように思います。やっぱりお芝居をしてみなければ分からないことってたくさんあって、声を聞いてみて、距離を保ってみて、じゃあどういう演奏になるのかなと。計算してできることではないなと思いましたし、音楽にも助けてもらって、ある意味ライブ感を持って演じることができました。
松下さんはデビュー以来、女優、ナビゲーターなどと多岐にわたって活動されていますが、同時に作曲活動とコンサート活動も精力的に続けていますね。ダブルメジャーというか、両方のことを自分の仕事としてやっていくことに対する想いを教えてください。
本当に好きなことを2つやれるという楽しさに全てつながっています。3歳の時からずっと音楽をやってきたので、俳優よりも音楽の方がずっと長く向き合ってきたという想いもあるのですが、やっぱり小学校の時に『ロングバケーション』を見て俳優になりたいと思った、その気持ちも諦めなくてよかったなという想いも同時にあります。
自分がそうなりたいと思って決めたことがだんだんと現実になっていって、今は好きなことに囲まれていることを考えると、あの時にその夢を諦めなくてよかったなと思えるし、これがずっと続いてくれたらなと思います。
「2つやる」ということで、うまく自分のバランスが取れているなということもよく感じます。音楽をすることで戻れる瞬間があるということも大切ですし、新たなことを始める時に音楽に助けられるという部分もあります。「2つやることで私なんだな」というのが、ずっと感じていることです。
「表現者」としての松下さんにとって、「作曲」と「演奏」と「演技」は3つともなくてはならないツールなのかなと思うのですが、ご自身の中でどのように三者が絡み合っているのでしょうか
表現方法が違うだけで、どれも自分。それを音に乗せるのか、言葉に乗せるのか、その違いはあっても、感じたことをどういう風に何に乗せて表現していくかっていうのは、3つとも共通点が多いですし、永遠の課題だと思っています。
セリフもただ読めばできるけれど、自分の思う気持ちをどういう風に言葉に乗せていくのか。メロディもそうですよね。「せつない」といってもじゃあどういうせつなさがメロディに込められているのか、どういう風に弾けばいいのか。それって全てが循環していると思うんです。音楽の時はこうしようとか、女優さんの時はこうしようとかということでもなく、表現者として、見てくださる方にどういう風に伝えていこうか、ということを、この3つのことに共通して常に考えていますね。
女優さんのお仕事は、台本があって監督さんがいてその上で自分がどう表現していくか、ということだと思いますが、クラシック音楽に書かれた曲が既にあって、それをどう表現していくか、という点と似ていると感じますか?
そうですね。役柄を考える時と同じように、既存の曲を弾く時は、モーツァルトはどういう時にこれを書いたのだろうか、どういう気持ちでこれを演奏して、誰に届けたかったのか、そういう考え方をするとすごく面白いですよね。自分で曲を作って弾く時は、この曲を誰に届けたいのか、この曲の意味は何だろうとかとか。そういうことを考えだすと、役を作っていくのと同じだなと思いますし、そこがずっと続けられている一つの理由なのかなと思っています。
松下さんの活動の中で、作曲をしてご自身の曲を弾かれるというのが、すごく大きいところを占めているというのは、今回の里香と通じる部分ですね。そこへのこだわりは?
自分が作った曲を自分で演奏するというのは、200年くらい前にモーツァルトもベートーヴェンもやっていたことですが、それを今私がやらせてもらっているというのはすごく幸せなことだなと思います。自分で作ったからこそ、自分にしか分からない、自分にしか出せない音っていうのが生まれてくるのだろうなと思って演奏しています。自分で作曲した曲を弾くことで、やはりその時の思い出や気持ちにも戻れるし、日常的に作曲をしていくことで、本当に色んな曲が生まれるんだろうなと思います。
普段はどのように作曲されるのですか?
ピアノの前に向かって作曲する時もあれば、鼻歌でできてしまう時もあるし、リズムトラッカーなどで遊びながら作ることもあるし、本当に何がきっかけになるかっていうのは全く分からないです。ただ一つ言えるのは、今回の里香もそうですが、やっぱり心を大きく揺さぶられる瞬間というのは、いいメロディが浮かんでくるものだし、その瞬間を留めておきたい、これを残したいという想いも強くなりますね。だから作曲は、日記のようであり、自分のバロメーターみたいなところもあります。そういうところはオリジナルのいい所だなって今回も思いましたね。
今までの9作のアルバムを聴くと、松下さんのこれまでの足跡や気持ちを振り返られるということですね。
そうですね。だから貴重な思い出です。自分の想いの詰まったものを残せるというのは幸せなことだと思っています。
女優も演奏も、入念に準備し、調整して本番まで持って行くという難しさがありますよね。
その通りです。以前は演奏会やライブって少し怖かったんです。緊張もするし、みんなこっちを見ているし(笑)、それだけで身体がこわばっちゃってどうしようもない、みたいなこともありました。
でも、これは時間が解決してくれたのですが、経験を重ねて、ライブが楽しい!と心から感じるようになりました。私の場合は、他のアーティストさんのライブに行ってそう感じました。誰かのライブを見て自分が思ったことを、自分のライブでもお客さんに感じてもらいたいと。「ライブって、ただ来てくださるお客さんに見てもらうだけじゃなくて、一緒に楽しむものなんだな、同じ目線で同じ時間を共有できる楽しいものなんだな」と思うようになってからは、全然緊張しなくなっちゃって、逆に楽しい時間に変わっていきました。
今日はどんなお客さんなんだろうな、という楽しみが湧いてくるようになって、その瞬間を楽しむことが一番なんだなって思えるようになりました。
同じように、緊張して舞台に立ったりして一生懸命やってきた子どもたちも、遅かれ早かれ、自分がこのピアノの道で行くのか、それとも違う職業を選んでピアノは趣味としてやっていくのか、やめてしまうのか、という岐路に立たされることになります。そうした時、松下さんのように、ピアノも諦めない、自分の他にやりたいことも諦めない、それを両方ともうまく自分の職業にしているというのは、一つの憧れの形なのじゃないかと思います。今ピアノをがんばっている子たち、悩める子ども達にメッセージをいただけますでしょうか。
これは、本当に、気持ちがよく分かりますよ。やっぱり自分が一生懸命やったからといって結果は必ずしも比例しないし、でも何かそこでまた得るものもあるだろうし。
ですから私から言えるのは、「心から楽しいって思えることを自分で決める、自分で選ぶ」ということでしょうね。もちろんお母さんや先生に促されることもあるかもしれませんが、最終的には自分で決めることが大切。最後まで続けられるのは、自分で決めたことしかないと思うんです。自分で決めたことを最後までやるっていう気持ちでやらないと、長くはできないし、楽しくもなくなっちゃうし、どこかで諦めちゃう日が来ちゃうと思うので、楽しいと思うことを、今楽しんで欲しいなと思います。
もちろんステージの上は怖いというのは私もよく分かります。じゃあ、誰にこれを届けたいのかなとか、どういう風にこの曲を理解して楽しく弾こうかなとか、お客さんを楽しませてあげたいとかそういう気持ちって意外と大事だなって思うんです。そういうことを考えると、私もすごく世界が広がったので、音楽を楽しむということ、その時間も楽しむことを楽しんで欲しいなと思います。
松下さんが『ロングバケーション』を見て女優を目指したように、松下さんの姿を見て、ピアニストを目指すとか、ピアノをもっと続けたいという人が、これまでもこれからもたくさんいるんじゃないかと思いますが、松下さんはそのあたりの意識はありますか?
特に意識はしていないのですが、ライブで小さいお子さんたちが、「ピアノやっているんです!」と言ってお母さんと一緒に見に来てくださると、今日のこの時間でこの子たちが、ピアノをもっと弾きたいとか、誰かのためにこういう曲を弾けたら嬉しいなとか、練習したらあんな風になれるのかなとか、ちょっとでもそういう風な気持ちを持って、今頑張っていることを続けたいと思うきっかけになったら嬉しいと思います。
はずかしがりながらもすごい笑顔で来てくださったりすると、「あ、楽しかったのかな」と感じて私も「やってよかったな」と思います。明日からのその子のピアノへの向き合い方とかピアノへの想いっていうのが、さらに楽しくなってくれたらいいなとか。ピアノや音楽が好きだって言ってくれる小さい子たちが増えてくれるといいなと思いますね。
私もそうでしたが、音楽をCDや音源だけで聴くよりも、生の音楽を聴くことが一番感動すると思います。すごいと思った音楽が、体一つで、楽器一つで奏でられているのを見ると、とても刺激になると思います。一人でピアノに向かって練習するというのももちろん必要なことですけれど、色々な人の色々なジャンルのコンサートやライブを見に行くことで、自分はこんな風な音楽をやってみようかなとか、自分も思ってもみなかった世界が広がる架け橋となると思うので、ぜひ出かけてみて欲しいなと思います。
(2024/4/17)
1985年2月8日、兵庫県出身。2004年女優デビュー。2006年『アジアンタムブルー』(監督:藤田明二)で映画初主演にしてヒロインを演じる。同年、ピアニスト・作曲家として1stアルバム「dolce」リリース以降、8枚のオリジナルアルバムを発表。2010年にはNHK朝の連続ドラマ小説「ゲゲゲの女房」でヒロインを演じ、同年「NHK紅白歌合戦」で紅組の司会を務めた。その他、数多くの映画、ドラマ、CMに出演。2024年5月8日9枚目オリジナルアルバム「suNds!」が発売になる。
松下奈緒主演映画『⾵の奏の君へ』は、お茶の名産地である岡⼭県美作地域を舞台に、この地を訪れたピアニスト・⻘江⾥⾹と、茶葉屋を営む兄弟をめぐる物語。監督・脚本を務めるのは映画の舞台となった岡⼭県美作市で育った⼤⾕健太郎。同⽒の「美作の⼩説と映画を全国に︕」という構想から製作された。ふるさとへの限りない郷愁と慈しみが、岡⼭の情緒あふれるロケーションに重ね合わせて綴られている。
ヒロインの⾥⾹には、松下奈緒。演奏シーンではもちろん吹き替えなしでピアノを披露している。⾥⾹と運命的な出逢いを果たす弟・真中渓哉を、『キセキ ―あの⽇のソビト―』『東京リベンジャーズ』、⼤河ドラマ「どうする家康」や主演ドラマ「ばらかもん」、「磯部磯兵衛物語〜浮世はつらいよ〜」など、今勢いのある若⼿俳優・杉野遥亮、その兄で、⾥⾹のかつての恋⼈、真中淳也を演じるのは、NHK 紅⽩歌合戦に 3 回出場、国内アリーナ公演や海外でも単独公演を⾏うなど精⼒的に活動、⽇本テレビ系「DayDay.」4 ⽉エンディングテーマ「君に恋したあの⽇から」を担当中の、4 ⼈組ロックバンド・flumpool のボーカルで、俳優としても活躍し本作がスクリーンデビューとなる⼭村隆太が演じる。
6月7日(金)新宿ピカデリーほかにて全国公開
配給:イオンエンターテイメント
映画『風の奏の君へ』公式サイト
聞き手=福田成康
撮影=石田宗一郎
ヘアメイク=山科美佳
スタイリスト=大沼こずえ