Vol.5 長井淳さん(脳科学者)
理化学研究所で脳神経科学を研究する長井淳さんは、ピティナ・ピアノコンペティションにA2級からF級まで参加し、全国大会の出場経験もあるピアノの腕前の持ち主。その一方で早稲田中学・高校から早稲田大学へ進み、最先端の研究を担う研究者となった長井さんに、人生の分岐点で出会った金子一朗先生を始めとする恩師の言葉、ピアノで培った力が研究の道に役立ったお話などを伺いました。(聞き手:福田成康専務理事)
現在、どのような研究をされているのでしょうか。
理化学研究所において、脳のグリア細胞の働きについて研究する研究室を率いています。グリア細胞とは、脳細胞のうち神経細胞ではない細胞の総称です。脳の分野では、神経細胞、つまりニューロンの働きばかりが注目されてきましたが、実は脳細胞の半分以上はグリア細胞に占められているのです。近年、脳の状態とグリア細胞との関連性があることが分かってきました。現在は正常・病態のマウス脳の観察や操作を通して、その解明に努めています。
グリア細胞の働きの研究が進むと、例えばどのようなことが実現されるのでしょうか?
脳は、柔らかいことが大事です。言語にしてもピアノにしても、習得するのに最も適した時期(critical period)というものがあります。このcritical periodを人生の中でもう一度引き起こせたら、これからの超高齢化社会において、もう一度新しいことを習得するチャンスが与えられるわけです。私はこれが、グリア細胞の研究で達成できると考えています。
私たちがものを考えたり覚えたりすることは、ニューロンのつながりによってできていますが、グリア細胞を健康な状態にしておくことで、ニューロンが自由に動くことができ、柔らかい脳内環境ができると考えています。この研究によって、新しい常識ができてくると期待しています。
脳の研究を志したのは、いつ頃からですか?
実は小学生までは、ずっとピアニストになりたいと思っていました。
幼稚園の年長から参加し始めたのですが、小学2年生の時に奇跡が起きて、全国大会まで行くことができました。賞は獲れなかったのですが、盛大な表彰式と祝賀会で表彰されている人のトロフィーがすごくキラキラ輝いて見えて、「頑張っているといいことがあるな」「どうやったら自分もあそこへ上れるんだろう」と思い、トロフィー欲しさに練習を頑張るようになりました。毎日3時間、休日は7~8時間弾いていましたね。同年代に實川風くんや辻井伸行くんがいて、彼らがピアニストを目指して活躍していくのを見ていると、自分も自然とピアニストになりたい、と思うようになっていました。
ピティナのコンペティションのよい所は、違う時代のものを勉強することができる所ですね。時代によって楽譜も弾き方も違うことを、歴史と絡めて学ぶことができました。コンクールの結果がどうであれ、必ず自分の糧となります。練習は大変でしたが、私の兄と姉、そして隣の家の3兄弟も同じ門下で、同じようにピティナに参加していたので、その期間は一体となってお祭りのような状態で、それほど辛くはありませんでした。小学3年から5年までは、兄とのデュオで連弾部門に出ていました。一番辛かったのは、中高生になって周りの友達がピアノをやめていってしまい、さらにあんなに頑張っていた兄が大学受験でピアノをやめてしまった時ですね。「ピアノか勉強か、どちらかを選ばなきゃいけないのか!?」と、嘆いたのを覚えています。
ご自身も、中学受験して早稲田中学に入られていますが、ピアノとの両立はどうされていましたか?
一度は、両立できないと思って、やめたんです、中学受験の塾の方を。ピアノを弾けなくなるくらいならと思って。「どっちも選ぶ」という選択肢を、当時の自分は考えられなかったんですね。家族と色々話し合って、「自分の選択肢を増やす」という視点を与えてもらい、受験を再開しました。
中学に入られてから、考えは変わりましたか?
まだ中学1,2年の頃、やはり音大に行きたいと思って担任の先生に相談したところ、早稲田高校で数学を教えている金子一朗先生を紹介してくださり、お話をする機会を得ました。まだ金子先生がピティナの特級を受ける前です。「こういう人もいるんだ!」と衝撃を受けましたね。当時から金子先生は文化祭で面白い演奏会を企画したり、巷では話題でした。早稲田中高にも学年に1、2名はピティナのコンペを受ける人がいて、その演奏会でも進学校の男子校にしては結構なハイクオリティな曲をバリバリ弾く人が何人もいました。
金子一朗先生とはどのようなお話をされたのですか?
金子先生は、「音大に行かなくてもピアノはできる。今自分もこうしてピアノが弾けている。ピアニストになった後に医学を学び始める人はあまりいないけれど、医学をやりながらピアノをバリバリに弾く人はたくさんいる。まずは楽しく勉強して大学に行って、やりたいことをやりながら、ピアノもやればいい」と仰ってくださいました。
金子先生は早稲田高校の中でもトップクラスの数学を教える方でありながら、自分が高校2年生の頃にピティナでグランプリを獲られて、本業もばっちり、ピアノもばっちり…という、ロールモデルのような方でした。
早稲田には他にも、実はすごい先生や面白い先生がたくさんいらして、例えば世界史の先生は「今日は1800年代のヨーロッパの歴史をやります」と言って皆で音楽室へ行き、自分がショパンの「革命」を弾かされたこともあります。
その後、早稲田大学時代の進路とピアノとの関わりは
もともと脳の神経発達から来る病気への関心が強く、当初は「脳の病気を治せる医者になりたい」と医学部を目指していましたが、知り合いの医師に「自分のやりたいことをバチっとやれる年齢は、君たちが思っているほど早くはない」ということ、脳の病気には治せないものが多くあり辛いという話を聞き、脳の病気を治すための研究をする道の方が自分には合っているのではと考え、2007年に新設された生命医科学科の一期生として研究者を志すことにしました。
早稲田大学では、早大ピアノの会という当時200人ほどのサークルの幹事長を務めました。学内の演奏会や六大学連盟のピアノの会の企画など、ピアノを通じて、それまでとは違う多様な人々と関わることができました。
アメリカ留学時代も、親しくしていた人にピアノを譲ってもらい弾いていましたが、仕事を始めてからは忙しくなってしまって、家に帰って夜中に弾けるのが週に2,3回というところです。寝る支度が済んでから電子ピアノで弾くのですが、やはりピアノを弾くとかなり気分が変わりますね。幼稚園の頃からずっと1日何時間もピアノの音を聴いてきたわけですから、好きなピアノの音を聴くことで、一回脳の状態がリセットされるような気がします。
国際学会に行くと必ずと言っていい程ピアノが置いてありますね。留学する直前に、ノーベル賞を受賞した研究者10人くらいと若手の研究者で合宿するという文科省の企画に参加させていただきましたが、その時もヨーロッパの学者の先生に声をかけられ、皆さんの前で弾いたことがありました。1曲弾くとワーッとなって、何曲も次々に弾くことになったのを覚えています。こういう場でもコミュニケーションが取れたのは、ピアノのおかげですね。
そのように急にリクエストされた時は、どんな曲を弾かれるのですか?
ショパンのエチュードですね。高校時代についていたピアニストの大森智子先生に、大学に行ったらあまり弾く時間がなくなってしまうと言ったら、「ショパンエチュードを何でもいいから、歯磨きをするように弾きなさい」と言われました。つまり、歯磨きをするように、いつでも当たり前のように弾けるようにしておく、ということです。なので今でも、パッと何かを弾いてと言われたら、ショパンエチュードを弾きます。
大森先生には中学の頃から師事していたのですが、ピアニストを目指すかどうか関係なく、より深く楽しく音楽を学ぶ、という目標で教えてくださり、自分のピアノとの関わりに大きな影響を与えてくださいました。レッスンでは結局話している時間の方が長くなり、毎回2~3時間になっていました。
大森先生とは、どのようなお話をされたのですか?
音楽の文化的、時代的な背景への造詣が深く、さらに自分は何のために音楽をするのか、そもそも音楽とは人間にとってどのようなものなのか、など様々なことを話し、考える機会をくださいました。ご主人が形成外科のお医者さんで、家にある人体解剖図を見せながら、腕の骨格的にどういう動作が自然で、どういうことを意識すると弾きやすくなるか、などのお話もしてくださったのも印象的です。
高校生になり学校も忙しい中、F級を受けたのは、「ここまでがんばってきたのだから」という意地もありましたが、そうした先生との会話の中で、コンサートを開いてお金をもらったりコンクールで優劣を決めたりするのがどれだけ特殊な状況か、その中で「ではなぜ自分はコンクールを受けるのか」を考えさせられました。ゴールを設定してなりたい自分を描き、それを目指して頑張って自分を近づけていくのはよい経験になります。でもそれだけではなくて、自分にとってのコンペは、「自分はこう弾きたい、こういう解釈で弾いている」という演奏のアイデンティティを追求し、ひいては自分自身のアイデンティティ、ユニークさを探し求めるための場だったと思います。
高校生なりに日常生活では色々な出来事や悩みがあり、そういうものが自分の音楽に反映されていきますが、自分の内にあるものを音楽という形に昇華させる手段を持っているのは、いいことだと思いました。今、研究者としてもユニークさを追求しているわけですが、「自分の中のユニークさを追求し、大切にする」という姿勢は、こうしたピアノの先生との対話の中で身に着けてきたものだと思います。
素敵なお話ですね。その他にも、ずっとピアノをやってきた経験が、今に生きていることはありますか?
それは本当にたくさんありますが、大きく言うと2つになります。1つは、「続ける力」と「集中力」がついたことです。あれだけやってきたのだから、そこには自信があります。ピアノの前に何時間も座って集中して練習していたので、顕微鏡の前にずっと張り付いて観察するのも苦ではありません。留学した時も、新しいことをやりたかったので何も知らないゼロの状態でしたが、何とか粘り強くへばりついていけたのも、ピアノで培った「続ける力」と「集中力」の賜物だと思います。
2つ目は「ショーマンシップshowmanship」です。パフォーマンスの力ですね。ピアノをやる人は、本番で自分の一挙一動を100%見られている状態に慣れていますが、実は研究者にとって、ものすごく重要な能力で、留学していた時にはプレゼンテーションの練習にとても力を入れられていました。この理化学研究所のポストも、論文や評判だけでなく、何時間ものプレゼンテーションの結果、獲得するものです。すごく大変なことですが、そういう場でも変な緊張をしません。研究発表の場合は、言い間違えたら言い直せばいいのですが、ピアノは一度間違えると音楽の流れが変わってしまうので、ピアノの方がずっと難しいです。研究者の中でも人前でパフォーマンスをすることへの意識が人一倍高く、ピアノをやっていて本当に良かったと思いました。これからも、本業とピアノ、どちらもいいバランスで続けられたらいいなと思っています。
(2022/3/2 理化学研究所 脳神経科学研究センター 長井淳研究室にて)
早稲田大学大学院生命医科学専攻で軸索ガイダンス分子CRMPの神経発生・再生・変性における研究を行い、2015年に博士(理学)を取得(指導教官:大島登志男教授)。脳の状態変化はニューロンのみならず多細胞の相互作用の影響があることに興味を持ち、2016年よりポスドクとして、カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部にて線条体アストロサイトのカルシウムシグナルの観察・操作に関する研究を行った(Baljit Khakh lab)。2020年7月より現職。2013-2018年JSPS特別研究員(DC1, PD, 海外)、2018-2019年上原記念生命科学財団ポストドクトラルフェロー。
ピティナ・ピアノコンペティションにはA2級からF級まで参加。A1級、連弾初級、連弾中級では全国大会出場。
文=二子千草
撮影=石田宗一郎