31. 和声を学ぶための練習曲集~作品838
前回はチェルニーの練習曲のうち、ピアニストがピアノで和声を学び、即興や変奏に役立てるための《根音バスのあらゆる和音についての実践的な知識を得るための練習曲集》作品838(1854)の目的を見ました。実は、即興がピアニストの重要な能力として認められていた19世紀、この種の教本は何人かのピアノ教授によって書かれています。ところが、既に世紀中葉、急速なピアノ学習者の増加とともに即興のできない生徒も増えていました。
和声の学習とピアノの演奏を結びつけるメソッドは、すでにチェルニーよりも早く、1849年にF. カルクブレンナー(1785~1849)によって出版されています。カルクブレンナーの絶筆となった《ピアニストの和声教程―前奏・即興をするための転調の合理的な原則》作品185(1849)は、チェルニーの試みの先駆をなすものです。この著作の序文で、カルクブレンナーはピアニストの現状について次のように述べています。
カルクブレンナーは完全和音や七の和音の基本的な連結を提示した後に、同じ和声に基づいてそれを分散和音やオクターヴなどピアノの演奏技巧と結びつけ変奏の手法を、和音の種類ごとに提示しています。チェルニーも基本的な方針はカルクブレンナーと似ていますが、更に手の込んだ極めて知的な技芸というべき手法で和声とピアノ実践を結びつけます。
チェルニーの練習曲集は25の練習曲からなり、2部で構成されています。下の表は、チェルニーの25曲の概要を示したものです。
第1部 | 日本の一般的な和声表記 | 第2部:ピアノの訓練として用いられる諸和音 | 日本の一般的な和声表記 | ||
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1 | 各調の完全和音 | 基本形 | 10 | 完全和音 | 基本形 |
2 | 完全和音の2つの転回形(六と四六の和音) | 第1転回形 第2転回形 |
11 | 完全和音 | 基本形 |
3 | 七の和音と3つの転回形(五六, 三四六, 二四七の和音) | 七の和音の第1,2,3転回形 | 12 | 六の和音、四六の和音上で | 第1転回形 第2転回形 |
4 | 3種の二の和音(短、長、増) | 七の和音の第3転回形 | 13 | 七の和音上で | 七の和音上 |
5 | 減三和音とその展開 | 14 | 五六の和音上で | 七の和音の第1転回形 | |
6 | 4度と9度による不協和音 | 15 | 三四六の和音上で | 七の和音の第2転回形 | |
7 | 七と九の和音、減三度と減六の和音 | 16 | 長2の和音上で | ||
8 | あらゆる種類の和音からなる連結 | 17 | 増七[正しくは減7]の和音 | ||
9 | 係留音を生じる特殊な音程と和音 | 18 | 長2, 短2の和音上で | ||
19 | 減4上で | ||||
20 | 不協和音としての4度上で | ||||
21 | 増5上で | ||||
22 | 増6上で | ||||
23 | 9の和音上で | ||||
24 | 異名導音による様々な解決 | ||||
25 | 経過音上の前奏 |
第1部は第1番~第9番までを含み、和音の種類別に、同時に鳴らされる和音のみで構成された曲が提示されます。例えば、第1番では、全ての調の主和音の基本形が順に連結されます。
第9番までは、より高次の和音(展開形や七の和音等)を導入しながら複雑化していきます。
一通りの和音の連結を提示したあとで、第2部では、第1部で提示された和声モデルに、ピアニスティックな音型が適用されます。下の譜例27は右手の分散和音の練習で、独立しにくい4と5の指の反復にテクニック上のポイントが置かれています。和声的には、上でみた第1番どうよう、完全和音がハ長調、イ短調、ヘ長調、ニ短調、変ロ長調・・・の順に提示されます。
以降、各種和音の連結に基づく和声とオクターヴ、アルペッジョ、トリオ、ポリフォニーなど、多種多様なピアノの技法が結びつけられ、一連の練習曲として第2部が提示されています。この種の練習曲集は、ピアノを受動的に弾くのではなく、和声の知識と身体感覚を結びつけることで主体的な創造的演奏、つまり即興や前奏の実践を促すものでした。そればかりか、ピアノ曲の作曲にもこのシステムは有用であることは明らかです。「芸術家に捧ぐ」というタイトルページに掲げられた献辞には、作曲、演奏、あるいは知性と身体性の双方を一体化させ、高度な次元に押し上げてこそ一人前の芸術家だという彼の信念が見てとれます。