ピティナ調査・研究

16. 1830年代末の練習曲 ~ S. ヘラーによるエチュード批評:ショパン『練習曲集』作品25と旧約聖書 2

「チェルニー30番」再考
第一部 ジャンルとしての練習曲
~その成立と発展(1820年代~30年代)
16. 受容者からみた1830年代末の練習曲
~S. ヘラーによるエチュード批評:ショパン『練習曲集』作品25と旧約聖書

 前回は、ショパン《12の練習曲》作品25を出版してほどなくS.ヘラーが書いた批評を取り上げ、第4番と第5番を旧約聖書の『創世記』のあるエピソードに見立てて巧みなレトリックを用いている点に注目しました。このエピソードのあらすじは前回の連載を参照してください。

さて、今回はヘラーの比喩に基づいて、ショパンの練習曲との文学的な対応関係を図式的に見てみましょう。下の図はこの対応関係を表しています。

対応関係

12の練習曲を愛するヘラーは12人の子ども達の父親、ヤコブに見立てられています。ヘラーは「子どもたち」、つまり12の練習曲のうち第4番と第5番がお気に入りだと述べていました(前回連載引用部分参照)。この2曲をヤコブが愛したベニヤミンと、兄弟の中でも特別な運命を辿りエジプトの宰相となったヨゼフに喩えます(但しいずれがヨゼフでベニヤミンかは不明瞭)。2つの練習曲にそれと分からぬように隠された高貴な霊感としてのモーツァルトの着想は、知らぬ間にベニヤミンの穀物袋に入れられた黄金の盃に喩えられています(前回の譜例4,5を参照)。

ヘラーは、この比喩によって、直接ショパンの作品が旧約聖書を表しているとまでは言っていませんが、巧みなレトリックを通して批評の読者の脳裏には連想の契機が植え付けられます。ヘラーはショパン自身が楽譜で何も具体的には語っていない「金杯」の存在をモーツァルトの《レクイエム》との比較を通して示唆することで、修辞的観点からだけでなく、音楽分析的観点からも旧約聖書との対応関係について説得力を持たせようとしています。ヘラーはもちろん、ショパンがモーツァルトの熱烈な信奉者であったということを念頭においていたはずで、そのことを知る人がこの批評を読めば、かなりの説得力を持つ批評に思えたことでしょう。

次回は第7番に対するヘラーの批評を分析し、どのような言葉でタイトルのないショパンの練習曲を彼が解説したのかを見てみましょう。

♪ 参考音源 ショパン《12の練習曲》作品25 第4番 イ短調
演奏:Alexander Jenner
♪ 参考音源 ショパン《12の練習曲》作品25 第5番 ホ短調
演奏:GENIUSAS, LUKAS