8. 練習曲étudesと訓練課題exercicesの再定義 (1839) その2
「練習曲études」と「練習課題exercices」-それまで、定義上はほとんど同義語として扱われていたこの2つの用語は、1830年代になるとそれぞれに独自の意味が与えられ、区別されるようになります。前回は、その一例として、当時パリで最も有力なピアニスト兼作曲家、教師として活躍していたフレデリック・カルクブレンナーが1830年に出版したピアノ・メソッドを例に挙げました。この著作の「練習課題」という項目には、訓練課題は短く簡潔で、機械的な反復練習が挙げられていたということを見ました。
今回は、「練習課題」同じメソッドの第二部に収められている練習曲から、オクターヴによる曲を見てみましょう。まずはこちらの音源を聴いてみてください。
〈練習曲〉 第12番 アレグロ・フュリオーソ(冒頭12小節)
カルクブレンナーは、前回の記事の譜例にあるオクターヴ訓練課題の成果を総合的に応用する場として、この練習曲を位置づけていることがわかります。冒頭は下行する順次進行で始まり、1小節目には上行アルペジョ、2段目には半音階3段目にはオクターヴを含む和音の連打が見られます。ハ短調のシンフォニックな響きの中で、三段目の付点リズムの主題(10~12小節)が行進曲風に展開されていきます。 中間部で雰囲気は一転し、オペラの歌唱様式が導入されます。譜例2は、中間部の後半11小節です。赤でマークした56小節目から、左手の分散和音の上で華麗な装飾を伴う旋律がpp で現れますが、常に右手はオクターヴで演奏され、「技巧の修得」という目的は常に意識されています。
このように、1830年代までにはオクターヴや三度、手の跳躍や伸張など、難しい演奏技巧と、様々なニュアンス(拍子、テンポ、強弱、レガート、スタッカートなど)によって規定される音楽的性格が二つながらに備わることで、練習曲はひとつの作曲ジャンルとして独自の地位を獲得していきます。ショパンが1833年に名高い《練習曲集》作品10を出版する素地は、30年代初期には十分に整っていたのです。