ピティナ調査・研究

10.書いたはずのタイトルがない!― 不本意な出版に対するモシェレスの反応

「チェルニー30番」再考
第一部 ジャンルとしての練習曲
~その成立と発展(1820年代~30年代)
10.書いたはずのタイトルがない!
―不本意な出版に対するモシェレスの反応

1838年、ボヘミアの作曲家イグナーツ・モシェレスは、前年の末にパリで出版された自作《性格的大練習曲集》作品95の楽譜を手にとって唖然としました。各曲の原稿に書き込んだはずのタイトルがすっかり抜け落ちていたのです。

この出版者の勝手な振る舞いに憤慨して、モシェレスは出版元の責任者モーリス・シュレジンガーに異議申し立ての手紙を書送り、手紙の本文をシュレジンガーが出版していた音楽雑誌『ルヴュ・エ・ガゼット・ミュジカール』上に掲載させました 。

 抗議文の中で、モシェレスはまず、作曲家の名誉は出版者が作曲者の提供した原稿に忠実であることによって保たれるのだ、ということを主張して次のように述べます。「各作曲家の名誉というものは、作品が厳密かつ完全なかたちで出版されるということにかっています。というのも、作曲者は批評や世論に対して責任があるからです。」これは現在にも通じる全く正当な主張です。影響力ある人物が何かを出版するときには、作者の立場が正確に伝わるように努力しなくてはなりません。それを怠れば、批評家は作者の主張を誤解し、誤った世論が喚起されるおそれがあります。

 その上で、モシェレスは『ルヴュ・エ・ガゼット・ミュジカール』上に紙面をもらい、自作品のタイトルのみならず、楽譜に掲げられたモットー、序文までもが省かれたことを人々にはっきり伝えて欲しい、と要求します。「・・・私の名を冠してM.シュレジンガー社から出版された新しい性格的練習曲が、私のまったく理解できない理由によって不完全なかたちで出版されたということを、音楽を享受する大衆に理解してもらう必要があると思うのです。出版された楽譜には説明的な序文とモットーばかりか、それぞれの練習曲の性格的なタイトルまでも抜け落ちています。これらはドイツ版とイギリス版、ならびにフランス版が依拠することになっていた自筆原稿に存在するものです。」

 最後に、モシェレスはこれらの不備を訂正した新しいエディションを作るように要求しましたが、最終的には残念ながらシュレジンガーから新版は出版されなかったようです。

 モシェレスの対応からわかるのは、1830年代の後半、練習曲にとっていかにタイトルが重要な意味を持つようになっていたか、ということです。「謝肉祭の情景」や「海辺に注ぐ月光」という詩的な表題(前回の記事参照)は、音楽と視覚的なイメージを結びつけます。ここに、単なる指の練習ではなく、想像力の広がりを刺激するジャンルとしての練習曲の新しい位置づけを見ることができるでしょう。

 では、次回は、モシェレスが遅れて音楽雑誌上で発表したこの《性格的大練習曲》作品95のモットーと序文の内容を見てみましょう。


  • Ignaz MOSCHELES, Revue et Gazette musicale, 5e année, n° 3, 21 janvier, 1838, p. 28.