4. 練習曲の定義の変遷(1820年代~30年代)その2:クレメンティの「訓練課題」とクラーマーの「練習曲」
その2:クレメンティの「訓練課題」とクラーマーの「練習曲」
前回見たように、クラーマーは「練習曲études」と「訓練課題exercices」という言葉を、タイトルの中で使い分けていました。さて、ここでひとつの疑問が湧いてきます。一体、これら2つの用語が指すものは、実質的に、何が異なるのでしょうか。18世紀末から19世紀初期の段階では、「練習曲」と「訓練課題」は殆ど同じ意味で用いられていました。たとえば、クレメンティの有名な《パルナッソス山への階梯》。実は、これには次のような副題が付いています。「厳格な様式と優雅な様式の練習課題によって示されたピアノ演奏の技法l'Art de jouer le piano forte, démontré par des exercices dans le style sévère et le style élégant」。
《パルナッソス山への階梯》は、クレメンティが人生の後半、1817年、19年、23年の3回に分けて出版した作曲活動の縮図とも言うべき100曲の作品集です。この曲集は、機械的な指の訓練に重点を置いた曲のみならず、多数のソナタやフーガ、カノンに加え、10分を超える瞑想的な作品も含まれて言います。
ここで、2つの対照的な例を見てみましょう。第16番 ハ長調は5本の指をまんべんなく使う、指の力の均質さを得るための練習曲です。
この曲は次々に転調し、巧みに和声付けされてはいますが、それは退屈な反復動作を和らげる配慮です。曲の主眼はあくまで手の機能性を向上させることを目的とした身体的な訓練にあると言えます。
一方、第14番 ヘ長調は全く学習目的が異なります。この曲はソナタの第2楽章に登場するような、優美なアダージョの様式で書かれています。
この例では、16番で見たような反復される音型は見られず、歌うような表現が重視されていることがわかります。実はこの曲、クレメンティが1786年に出版した連弾ソナタ《二重奏曲》作品14の第2楽章をアレンジしたものなのです。つまり、実作品からとられたこの曲の目的は身体的な訓練ではなく、表現もしくは様式理解のための訓練にあると言えます。
「訓練課題exercices」という言葉を広い意味で用いたクレメンティに対し、クレメンティの高弟クラーマーが「練習曲étude/études」というタイトルで出版した曲集には、一貫した特徴が見られます。クラーマーの練習曲はいずれも2ページ程度で、細やかな作曲上の配慮が施されると同時に、反復される一定の音型で構成されています。ほとんどの曲はテンポが急速で、アンダンテより遅いテンポは登場しません。例えば、アンダンテの第25番には「歌うように、音を支えるように保ってcantabile sostenuto」という楽想の指示が冒頭に置かれています。
比較的遅いテンポではありますが、左手は16分音符の6連符が曲の最後まで続きます。クラーマーの84の練習曲はいずれもこのような同じ音型の反復を原則としています。これは、今日の私たちが練習曲からイメージする、基本的な特徴です。クレメンティの「グラドゥス」に先駆けたこの曲集で、クラーマーは、練習曲という曲種の定型化を押し進めていたのです。
M.クレメンティ 《パルナッソス山への階梯》第1巻(1817)第14番