ブルクミュラーとその周辺(1) ~父アウグストと弟ノルベルト①~
今年(2024年)はフリードリヒ・ブルクミュラーの没後150年に当たり、様々なイベントが催されました。ピティナでは「ブルグミュラー没後150周年メモリアル・ツィクルス」として公開録音コンサートのシリーズが行われ、筆者はその第1回「知られざるブルグミュラー」を担当しました。
さて、多くの学習者にとってブルクミュラーの「25の練習曲」Op.100は初めて触れる曲らしい曲かと思います。そして段階が進んで多くの曲を弾くようになると、作曲家一人一人のいた国や時代を意識するようにもなります。そうした中で、教材のイメージが強い作曲家であっても、例えばクレメンティやチェルニーであればリサイタルで弾かれる曲もありますし(ホロヴィッツの名演を思い出される方もいるでしょう)、大作曲家との関わりも知られていますので音楽史上での立ち位置もわかりますが、ブルクミュラーとなるとそれが見えてこないという話も聴きます。そもそもブルクミュラーについて、これだけ有名な作曲家でありながら殆ど研究もされておらず、最も詳しい文献は、飯田有抄・前島美保共著『ブルクミュラー25の不思議:なぜこんなにも愛されるのか』(音楽之友社、2014)ではないかと思われるため、他の音楽家との接点についても辛うじて少しわかっている、というのが現状だと思います。
筆者が上記コンサートの準備として調査を進める過程で、いくらかブルクミュラーについて新たにわかったこともありましたので、それらの情報を含めながらブルクミュラーの生きた時代や彼の周辺について書いてみたいと思います。少しでもブルクミュラー像がより明瞭になればと思います。
ブルクミュラーは、(大雑把な見方ではありますが)一言で言ってしまえばロマン主義草創期のドイツで生まれ育ち、サロン文化全盛期のフランスで活躍し生涯を終えた音楽家と言えるでしょう。まず、ドイツで生まれ育ったという点については父アウグストと弟ノルベルトの話をした方が理解しやすいと思います。そこで最初の2回ではこの2人について書きます。なお、ブルクミュラーという姓の音楽家が3人出てきますので、第2回までは区別するために「フリードリヒ」と呼ぶことにします。また、ブルクミュラー兄弟には軍人になった長兄フランツ(1805~1834)がいますが、本文中で「ブルクミュラー兄弟」とした場合は次男フリードリヒと三男ノルベルトのこととします。
ブルクミュラーの父は1760年5月3日にマグデブルクで生まれました。名前は「アントン・フリードリヒ」「フリードリヒ・アウグスト」「ヨハン・アウグスト・フランツ」等情報が交錯していますが、墓石には「フリードリヒ・アウグスト・ブルクミュラー」と書かれています。「フリードリヒ・アウグスト・ブルクミュラー」あるいは「アウグスト・ブルクミュラー」としている文献が多いですので、読みやすくするためにアウグストとします。
アウグストは不安定な生活が長く続いていました。若い時には旅回りの劇団で劇音楽やオペラの作曲・指揮を行い、時には俳優としても出演していたようです。1785年にはヴァイマールで楽長になるものの、早速翌年辞めてケルンの劇団に加わります。
1789年に、アウグストはボンの国民劇場の楽長に就任します。ここで気が付かれた方も多いでしょう。アウグストが楽長に就任するのとほぼ同時にこの劇場のオーケストラにヴィオラ奏者として加わったのが18歳のベートーヴェンです。ここでは様々なオペラが上演され、特に、ボンでは初めての上演となった「後宮からの逃走」「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」といったモーツァルトのオペラは、若きベートーヴェンに大きな感化を与えました。
恐らく、アウグストはベートーヴェンに対して何かしら指導的な役割を負っていたと思いますが、残念ながら具体的にはわかっていません。しかし一つ興味深い話があります。
1790年2月20日にオーストリア皇帝ヨーゼフ2世が死去したのを受けて、ボンでも追悼式が行われることになり、ベートーヴェンにカンタータ(WoO87)が委嘱されました。なぜ無名の10代の若者に委嘱されたのかはわかりませんが、かのヴァルトシュタイン伯爵の口利きがあったという説もあります。結局この曲は演奏されることはなかったのですが(間に合わなかったからとも演奏が難しかったからとも言われていますが、これも本当の所はわかりません)、アウグストによるとみられる書簡(「署名無し」としている文献と「アウグストによる」としている文献があります)に「ベトフ(Bethof)がヨーゼフ2世の死に寄せるソナタ(ママ)を完成させた。とても完璧に作られている。」と書かれています。実際、この曲は質の高さや規模の大きさのみならず、ベートーヴェンの個性も強く出ていて、仕上げの学習をする前の19歳の作品とはおよそ信じられない曲です(ベートーヴェンは後に、この曲の一部をオペラ「フィデリオ」に転用しています)。
いずれにせよ二人の関係は決して遠いものではなかったと思われます。もしかしたらブルクミュラー兄弟は、少年時代に父からベートーヴェンの作品のレッスンを受けながら、思い出話を聴いたかもしれません。
後にアウグストとベートーヴェンは同じ楽譜に名前が載ります。1807年、イタリアの詩人ジュゼッペ・カルパーニ(1751~1825)が、自身の詩「この暗い墓の中で」に曲を付けるように46人の作曲家に委嘱して、集まった64曲をまとめた曲集を出版しました。その中にアウグストとベートーヴェンの作品も含まれているのです。このベートーヴェンの曲(WoO133)は現在でも歌われています。
アウグストは、しかしながら1790年にボンの劇場を辞任し、その後は音楽教師として様々な都市を転々とし、デュッセルドルフでは、後に結婚するテレーゼ・フォン・ツァント(1771~1858)と教え子として知り合います。1794年からは、マインツ、ケルン、アーヘンなどの劇団を回り、やっと安定し始めるのは40歳半ばに差し掛かる頃からです。
アウグストは、まず1804年にレーゲンスブルクで楽長の職を得てテレーゼと再会。1805年5月12日にフランツが誕生し、翌13日に結婚。1806年12月4日にフリードリヒが誕生し、その翌年の1807年に、一家はテレーゼの故郷デュッセルドルフに移りました。
1810年2月8日にはノルベルトが誕生します。ブルクミュラー兄弟は両親から音楽教育を受け、ノルベルトにはフリードリヒが教えることもあっといいます。
アウグストは1812年にデュッセルドルフ市音楽監督のポストを得て、1818年には、デュッセルドルフ、エルバーフェルト、ケルン、アーヘンと毎年異なる年で開かれる「ニーダーライン音楽祭」を創設。地域の音楽文化の発展に貢献し、1824年8月21日に亡くなりました。
- 飯田有抄、前島美保『ブルクミュラー25の不思議:なぜこんなにも愛されるのか』音楽之友社、2014
- 大崎滋生『ベートーヴェン像再構築 1』春秋社、2018
- 大崎滋生『ベートーヴェン完全詳細年譜』春秋社、2019
- 平野昭、西原稔、土田英三郎(編著)『ベートーヴェン事典』東京書籍、1999
- バリー・クーパー(原著監修)、平野昭、横原千史、西原稔(訳)『ベートーヴェン大事典』平凡社、1997
- 藤本一子『シューマン(作曲家・人と作品シリーズ)』音楽之友社、2008
- [アレクサンダー・ウィーロック・]セイヤー(エリオット・フォーブス校訂、大築邦雄訳):「ベートーヴェンの生涯 上」音楽之友社、1971
- ed. Ludwig Finscher, Die Musik in Geschichte und Gegenwart, Personenteil 3, Bärenreiter-Verlag, Kassel, 2000
- ed. Klaus Martin Kopitz, Rainer Cadenbach, Oliver Korte, Nancy Tanneberger, Beethoven aus der Sicht seiner Zeitgenossen in Tagebüchern, Briefen, Gedichten und Erinnerungen, Band 1, G. Henle Verlag, München, 2009
- Alexander Wheelock Thayer, trans. Hermann Deiters, ed. Hugo Riemann, Ludwig van Beethovens Leben, Erster Teil, 3. Aufl., Breitkopf & Härtel, Leipzig, 1917, rep. Georg Olms Verlag, Hildesheim, 1970
- ed. Klaus Tischendorf, Tobias Koch, Norbert Burgmüller : Thematisch-Bibliographisches Werkverzeichnis, Verlag Christoph Dohr, Köln, 2011
1978年生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。少年時代にエディソンの伝記を読んで古い録音に関心を持ち、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した巨匠ピアニストの演奏を探究するようになる。以後、彼らが自らのレパートリーとするために書いた作品及び編曲に強い関心を寄せ、楽譜の蒐集及び演奏に積極的に取り組んでいる。また、楽譜として残されなかったゴドフスキーやホロヴィッツのピアノ編曲作品の採譜にも力を注いでおり、その楽譜はアメリカでも出版されている。ピアニスト兼作曲家として自ら手掛けたピアノ作品の作・編曲は、マルク=アンドレ・アムラン等の演奏家からも高く評価されている。ラヴェルのオペラ「子供と魔法」から「5時のフォックス・トロット」(ジル=マルシェックスによるピアノ編曲)の演奏を収録したCD「アンリ・ジル=マルシェックス:SPレコード&未発売放送録音集」がサクラフォンより発売され、大英図書館に購入される。校訂楽譜に「ピアノで感じる19世紀パリのサロン」(カワイ出版)がある他、春秋社より刊行の楽譜「カール・チェルニー:12の前奏曲とフーガ」でも校訂作業に参加した。コジマ録音より発売のCD「セシル・シャミナード作品集」において「コンチェルトシュトゥック」の室内楽編曲を担当し、坂井千春、高木綾子、玉井菜採、向山佳絵子他の演奏にて収録される。