ショパン国際コンクール(31)コンクール全体を振り返る―演奏の創造へ.1
第17回ショパン国際ピアノコンクールは10月20日に幕を閉じました。現在、各地で入賞者記念コンサートが行われています(日本では来年1月予定)。さてここで、今回のコンクール全体を振り返りたいと思います。(photo:Bartek Sadowski NIFC)
ファイナリストの一人、ゲオルギス・オソキンスさんが「ショパンの解釈は何通りもある。だからコンクールではなく、フェスティバルかフォーラムのように、世界中からピアニストが集まり、それぞれ違うショパンの捉え方や解釈を持ち寄り、発表しあう場だと感じています」と言うのは、ある意味理に適った考えでしょう。お互いに学び、インスピレーションを得る場として。
それではどのように自分の解釈を深め、伝えていけばいいのでしょうか。コンテスタントの演奏を振り返りながら、下記5点について考えてみたいと思います。(参考:一次予選を振り返って)
(1)全体構想を考える
(2)フレーズを創る
(3)音を創る
(4)プログラムを創る
(5)想像力を広げるために
(1)全体像・全体の構想を考える
欧米では芸術作品を見る時、一歩下がって遠くから眺め、まず全貌をつかむという人が多い。すると、全体のイメージ、色調、質感、彩度、時間の流れ、文脈、概念などが見えてくる。そして近寄ってディテールを見ては、また離れて全体を確かめる。そうして自分自身を作品の実像に肉迫させていくのである。
音楽も同じなのだろう。まず楽譜全体を眺めて何が起きているのかを客観的につかんだ上で、ディテールを見ていく。自分自身の感覚とも結びつけ、テクニックを用いてその解釈に沿った表現を試みる。作曲家が描いた大きな世界観や微細なメッセージに気づき、説得力を持って伝えるには、感性と理論の融合がとても大事である。(参考:子供の可能性を広げるフランスのアート教育「音楽知識と感覚を結びつけるアナリーゼとは」/チャイコフスキー国際コンクールリポートより「音楽をするために大事な3つの"I"」。
優勝したチョ・ソンジン(韓国)は、すべての作品を俯瞰の視点でとらえ、感性、理論、様式美、テクニックすべてが見事に融合していた。特に一次予選の幻想曲Op.49は激情と夢想の対比が素晴らしく、また三次予選のプレリュードOp.28は各曲の特徴を引き出しながら、24曲全体のフレージングとクライマックスも同時に考えられており、ストーリー性ある圧巻の演奏だった。全体構成から一音に至るまで緻密に考え抜かれていたが、コンクール後のガラコンサートでは一気に開放され、オケとコミュニケーションを取りながら即興的ともいえるほど自由精神に富んだ演奏を披露し、ポテンシャルの凄さをあらためて垣間見た。(photo:Wojciech Grzędziński NIFC)
シャルル・リシャール・アムラン(2位・カナダ)は感性の鋭さで曲の特徴を見抜く。バランスの良さに、そこはかとない味わいを醸し出しているのは、重層的な視点である。本人いわく「リズミカルな曲ではリリカルな要素を、リリカルな曲ではリズミカルな要素を見るなど、あからさまには表現されていない要素も見て楽曲の完全な姿を捉えます。たとえば私はマズルカの舞踏的要素よりも、"ストーリーテリング"の側面が好きですね」。たしかにマズルカOp.33-3などは、ポーランドらしい素朴さを生かしながら、パリの洗練をちょっと加えるさじ加減が絶妙だった。(photo:Wojciech Grzędziński NIFC)
またエリック・ルー(4位・米国)は二次予選のマズルカOp.17-4、Op.59などで見せたリズムの刻み方、テンポ、和声感、間など、緻密な作りが印象深い。自身の感性に加え、先生(ロバート・マクドナルド先生→過去インタビュー「対話で磨かれたリーズ入賞者2名の才能」)ともよくレッスン中に対話するそうで、その中からも様々な気づきがあるのだろう。
ディミトリ・シシュキン(6位・ロシア)は頭の中で音楽全体の流れと響きを再構築して、それを丁寧に創り上げていく印象。表情豊かなロンドOp.1や、独特の美意識が感じられたソナタ第2番、ピアノ協奏曲第1番もオケとともに新たな響きの世界を創り上げた。
テクストを緻密に読み込んだ上で、感性を豊かに広げていく個性派は、ファイナリストのゲオルギス・オソキンス(ラトビア)。多彩な感性は、ステージ上でも留まるところを知らない。ストーリーテラーのように、曲の特徴を最大限に引出しながら、多彩な音色と音質で表現する。一次予選のバラード第3番はまさに物語のようにテーマを展開、二次の英雄ポロネーズOp.53は中間部のオクターブ連打もわざと濁して荒々しく、ワルツやロンドはどこまでも華やかに軽やかに。また舟歌では左手で作る波が曲に静かな躍動感を与え、右の旋律も波のようなフレーズが舟歌全てに貫かれていた。ショパン研究者のジョン・リンク先生は、リスクを取りながらもイマジネーションを広げる大切さについて述べている(詳しくはこちらへ)。(photo:Bartek Sadowski NIFC)
同じようなアプローチは、一次・二次でのアレクセイ・タラセヴィチ・二コラ―エフ(ロシア)、ジュリアン・ジア(中国)、オローフ・ハンセン(フランス)などにも見られた。ファイナリストではシモン・ネーリング(ポーランド)だろうか。少し表現が粗いが、各楽曲の特徴を良くつかんで独自の表現を試みた。三次予選で弾いた表情豊かなマズルカOp.33や、ソナタ2番Op.35第2楽章最後の和音が葬送への前兆となり、その第3楽章中間部では苦難の中で見る見果てぬ夢のように突き抜けた明るさを出した。完成度に差はあるが、このようなアプローチは、今年のポーランド出身ピアニストによく見られた気がする。
(2)フレーズを創る
音楽には呼吸がある。どこまでをワンフレーズとし、どのように起伏をつけるのか。カンタービレが求められるショパンの作品では、演奏者に深く長い呼吸が欠かせない。印象として、以前より全体的に呼吸が長くなったように感じた。
シャルル・リシャール・アムラン(カナダ)はふんわりと包み込まれるようなフレージングは自然で高揚感があり、どの作品も魅力を十分に引き出してくれた。ソナタ3番Op.58も包容力を感じさせる雄大な音楽で、第3楽章は幸せな過去を振り返っているような追憶の表現が印象深い。このフレージングの素晴らしさは、幼少の頃から培われたもの。一つのフレーズを大きくとらえ、それを一塊としてテクニックや音楽性を養っていたそうだ(詳しくはこちらへ)。
ケイト・リュウ(3位・米国)は虚空を見つめ、完全な静寂に包まれながら、心の眼で音を探り当てていくように旋律が奏でられた。ノクターンOp.62-1やソナタ3番Op.58第3楽章などは、ワンフレーズが非常に長く、その一息の中に様々な陰影やニュアンスが含まれる。音楽による瞑想のように、自分の内なる声と対話しているようであった。ショパンコンクール主宰シュクレネル氏は、「彼女はすべてのカンティレーナ、緩徐部分を瞑想のように演奏しました。決してクラシカルな方法ではありませんが、新しい伝統となるでしょう」と述べている(詳しくはこちらへ)。(photo:Bartek Sadowski NIFC)
小林愛実さん(ファイナリスト)も、長く安定した呼吸で音楽を大きく豊かに見せる。特にファイナルではオケと一緒に呼吸し、オケの内側から音が出て雄大なフレーズをともに描いた。中でも、第2楽章は非常にゆったりとニュアンスたっぷりにロマンスが歌われ、その歌い方も今まさにその場で創り上げられていくかのような即興性があった。周りの空気を取り込みながら、自らも堂々と主張するバランス感覚が素晴らしい。(photo:Wojciech Grzędziński NIFC)
また三次進出したディナーラ・クリントン(ウクライナ)も、一次予選でのノクターンOp.48-2で長く深い呼吸から生み出されるメロディは、歌のようにニュアンスに富む。一音一音に宿る様々な陰影、質感、色彩、温度を探りながら、テーマが繰り返されるたびに表現が変化していった。彼女はプログラム全体を通してのフレージングも考えられており、視野が広い。
ディミトリー・シシュキン(6位・ロシア)は細かいフレーズを丁寧に積み重ねて、大きなフレーズに繋げていく印象。三次の即興曲1番ー4番は、フレーズのつくり方が緻密でかつ躍動感があった。2番は転調の瞬間にも色合いが変わり、極彩色のロシア童話が目の前で展開されていくように、フレーズが語りのように流れていった。3番は細い支流が大河へ注ぎこむように、細かいフレーズが大きなフレーズへと繋がりテンションを高めていた。(photo:Wojciech Grzędziński NIFC)
また二次進出したチャオ・ワン(中国)二次のノクターンOp.27-1でちょっとした音質の変化や間が、音楽にニュアンスを与えていたり、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズなども、ふわりとしたフレーズのつくり方や歌い方に独自の感性が光った。
同じく二次進出したアレクセイ・ウルマン(英国)はノクターンOp.27-1、Op.55-1などの落ち着いた呼吸から放たれるフレーズが心地よく、ゆったりとした流れを作りながら右手が優雅に旋律を奏でる。ちょっとした節回しや間の使い方がエレガントであった。