第16回 良い耳の仕組み (1)音が「聴こえる」まで

「あのピアニストは耳が良い」、「随分と耳が良くなってきたね」といった、耳の良し悪しについての言葉をよく耳にします。耳が良いとは、人それぞれ様々な解釈がありますし、状況によって意味も変わるかと思いますが、ここでは単純に「わずかな音(音楽)の表情の違いを感じ取れること」としましょう。もし、ほんのわずかなリズムのズレを感じられれば、自分ひとりで練習していても、正確なリズムで演奏できるようになる可能性が広がりますし、音色の違いを感じられれば、音色を変えるための身体の使い方を見つけるチャンスが増えます。また、レッスンで先生が鳴らす音が自分の鳴らした音とどう違うかわからないと、家に帰って一人で練習するとき、何をどう練習すればよいのか見失うことさえあります。したがって、良い耳を育むことが、ピアノ教育において重要だということに異論を唱える方はいないかと思います。では、良い耳とは、何が良いのでしょうか?単に耳の形が良い、というわけではなさそうですね。ここでは、まず「音を聴く仕組み」について簡単にご紹介した後に、訓練や練習によって良い耳がどのようにして育まれるかについてご説明します。
音というのは、波です。波がふるえる速さが「周波数」です。この周波数が高い(=振動する速さが速い)と、音は高く聞こえます。人間が聴こえる周波数には限界があって、一般には一秒間に20回程度振動する速さ(20ヘルツと言います)の低い音から、20000回振動する(20000ヘルツ)の高い音までの音を聴き取ることができます。私たちはどのようにして、単なる波から音の特徴を理解しているのでしょうか?
音の波が耳の中に入ると、まず波は鼓膜をブルブルと振動させます(図1②)。この振動は、耳小骨というところで増幅され、その後、耳の奥の「蝸牛」という場所に送られます(図1③)。この蝸牛というところは、かたつむりのような形をしていて、入り口の方は、高い周波数の音に反応しやすく、奥に行けば行くほど、より低い周波数の音に反応しやすいような仕組みになっています。蝸牛は、たくさんの神経(聴神経:図1④)とつながっていて、かたつむりの「どの部分」が反応するかによって、異なった神経が活動します。つまり、「低い音は僕が担当、高い音は私が担当」といったように役割が分担されていて、高い音が蝸牛に入ると、入り口に近い聴神経が活動し、低い音が入ると、蝸牛の奥にある聴神経が活動します。そして聴神経は、電気の信号を脳の方へ送ります。したがって、蝸牛は「音の"波"を周波数ごとに仕分けし、電気の信号に変換するところ」なのです。
図1さて、耳に届いた音の波は、蝸牛で電気の信号に変換された後、いろいろな脳の部位を経由していきます。音の情報を宿した電気信号は、最初に「脳幹」というところに送られ、そこで様々な下準備を経た後、「視床」、「聴覚野」の順に送られていきます。聴覚野というのは、耳の上あたりにある脳部位で、ここでは主に音のピッチ(高さ)や音色が処理されると言われています(図2)。
図2つまり、耳から送られてきた信号が、聴覚野の神経細胞によって処理されてはじめて、私たちは「音が高い、低い」といったことがわかるのです。このため、蝸牛から伸びている聴神経は、聴覚野の神経細胞とつながっています。音の高さと関係のあるメロディも、聴覚野で処理されます。一方、リズムは、小脳や運動前野といった脳部位で処理され、和音は、頭の頂点あたりにある頭頂葉といった脳部位が主に処理します。このように、音楽の要素ごとに、処理する脳の部位が異なるのです。したがって、私たちが「音楽」とひとくくりにして聴いているものは、脳の様々な部位がオーケストラのように働くことで、理解しているわけです。そのため、脳の疾患によって、音楽を聴いてもメロディを認識できなかったり、メロディの中に間違った音が混ざっても気付くことができないといったことが起こり得ます(失音楽症)。また、正しい音程で歌えない人の一部も、失音楽症という脳神経疾患に含まれます。一説には、先天的な失音楽症の人の割合は25人に1人と言われています。
音楽教育やピアノの練習によって変化するのは、これら脳の大きさや働きだと考えられています。次回は、良い耳の背景にある脳の仕組みについてお話します。
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