ピティナ調査・研究

25曲を斬る!第13回  スティリエンヌ

みんなのブルグミュラー
25を斬る!~大人のためのブルグミュラー
第十三回 La styrienne スティリエンヌ

♪第14曲 La styrienne スティリエンヌ YouTube 演奏 友清祐子

後半への序曲

私はこの曲で、25の練習曲の後半がスタートするような気がするんです。気持ちが切り替わるというか。

 

そうですね。間奏曲というか、新たな幕の前奏曲といった感じがしますよね。

 

14番に配置されてるけど、難易度はけっこう高いですよね。左手の跳躍がいきなり出てくる。これはショパン・ワルツの演奏にもつながるような跳躍ですよ。13小節目の左手の動きなんて、けっこうな事件じゃありませんか?装飾音もあるし。

 
譜例
譜例1:13小節目の左手の跳躍

右手もなかなかですよ。子供の頃にこの曲を弾いてたときは、29小節目のファ--レ--ファが遠くて遠くて。もうレなんてどこにあるのかわからない(笑)。

譜例
譜例2:29小節目~32小節目の右手の跳躍

ああ、そうねぇ。難易度高いですねぇ。

 

ところで、この原題La styrienne は翻訳としてはどうなるでしょうか。かつては「スティリアの女」としてよく知られていましたね。この「女」というのに、個人的には子供心に、なにか色香を感じておりました。最近は「舞曲」と付けている版や、「スティリエンヌ」とそのままカタカナ表記の版も増えていますね。

 

まぁ、ビゼーの《アルルの女》もL'Arlésienneですからね。「女」という解釈はアリですね。ただ、曲がどう「女」なのか、わかりずらいところはあります。こういう舞曲なのかな、とも考えられますし。"La Sicilienne"で、シチリア舞曲ですから。

 

なるほど。しかし子供時代の刷り込みは恐ろしいもので、現行の、「女」を欠いたタイトルに出くわした時は、急に色気がなくなったような気がして衝撃でした(笑)。では、舞曲の可能性もあるわけですし、「スティリエンヌ」とカタカナ書きにして両義的にしておくというのもいいですね。むしろ「女」という方に若干の偏りがあるとか・・・?

う~ん・・・そうですねぇ。まぁただ、今までのこのタイトルの流れからすると、あまり中性的なものにするのはどうでしょうね。仮にそれが正しいとしても、解釈の問題としていいのかどうかは別ですね。

 

流れ的にね。

 

テキスト解釈の問題から言ってもですね、ひとつのテキストの解釈というのは全体の中ではじめて決定されるものですからね。厳密さを求めることで、解釈が成り立たなくなる場合というのもあるんです。

 

なるほどぉ!

華やかなる「学校生活」?!

3拍子でワルツですし、とても優雅ですよね。

 

ええ、ええ、とにかくハイカラなイメージを持っていました。どこか都会的なね。

 

Mouvement de valse・・・(美しいフランス語の発音で)、grazziosoで華やかですよね。

 

序奏の半音使いもいいじゃないですか。小粋ですよ。かなり繰り返しも多いですが。

A-B-C-A-Bという形式ですね。

 

とにかくお洒落な雰囲気が充満しているんですが、どこがどう、という場面展開のようなものは浮かびにくいですね。

 

やっぱり次に行くための序曲的な意味合いが強いんじゃないでしょうかね。

 

私が個人的に抱いていた解釈を述べてもいいでしょうか。

ええ、どうぞ。

 

この曲はですね、確かにここから後半が始まる印象はあるんですが、やっぱりね、結局その前までのこと(第11回、第12回参照)を、ここでもやっぱり引きずっているんですよ。ここは学校生活で言うと・・・

 

学校生活!

 

ええ、学校生活でいうと、「さようなら」と「なぐさめ」は夏の時期で、夏休みの恋が終わったところ。で、14番ではもう2学期が始まってる。秋の運動会。この曲は、なんだか、運動会で踊ってるような感じもするのです。

ああ、運動会で(驚きを隠せない)。・・・?

 

そうなんです。実はこの曲の後も、小学校の年中行事とぴったり重なる解釈もできるんですけど、まぁそれは置いておいて・・・運動会に戻りますと、つまり、出し物の一つで踊っているんですね。

 

出し物・・・では何か演じている?

 

なぜそのような出し物がここに置かれているかというと、その先の曲を見れば、《バラード》や《小さな嘆き》など、悲しみを引きずり、そしてその痛みをえぐるような曲が続いていますでしょ。しかし悲しみの中にあっても、学校の日常生活では、こうやって運動会で踊ったりもしなくちゃならない、という。そんな想像(笑)。

ああ。現実問題としてね。踊らなきゃいけない小学生・・・なるほど(笑)。たしかに、感情的にすごく訴えてくる曲ではないから。

 

傍観者的な視線もそこにはあったでしょうね。つまり、「なぐさめ」までで、感情としてはひとつ完結しちゃったじゃないですか。そうしたらもう自分は旅に出るしかない。だから運動会なんかでも、みんなが組体操してるのを、自分は傍観者的に見てる感じ。僕は骨折しちゃったから、僕にはちょっと関係ないな、みたいなね。

 

(笑)そうですね、なんかそういう引いた感じがあるんですよ、この曲。

まぁしかしながら、華やかなんですよ。周りはね。

 

ああ。現実は動いていってる、という。

 

そう、現実は動いてる。

ああそういうことありますね!

 

華やかな現実の中でこそ感じる・・・孤独。

 

なるほど・・・それだから、次に《バラード》が来ちゃうんですね?

《バラード》は完全に夜の音楽ですね。これについては次回にまたたっぷりと。

 
第13回 La styrienne 後記
癒えない傷を抱えていても、「生活」は容赦なく流れ、そして幸福だった日々となに一つ変わらない青空も平然と目の前に広がるものだ。都会的で小粋な曲想もひとつアングルを変えるとクールさの訳が見えてくる。3拍子の弾き方に、もう一つの引き出しを増やす事ができそうだ。

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