ピティナ調査・研究

25曲を斬る!第11回  さようなら

みんなのブルグミュラー
25を斬る!~大人のためのブルグミュラー
第十一回 Adieu さようなら

♪第12曲 Adieu さようなら YouTube 演奏:友清祐子

本当の哀しみには、涙は出ない

久々の鼎談です。12番の「さようなら Adieu」からの再開となります。ここからは、楽曲的にも長めで内容の濃いものが並びます。

きましたね「さようなら」。とても辛い曲です。Allegro molto agitatoです。

 

agitato・・・アジトですからねぇ。アジトって、アジテーション・ポイントって知ってました?

 

あ、あの「過激派のアジト」っていうときの、アジトですか?そうなんですか?

 

僕もあれは日本語だと思ってたんですが、アジテーション・ポイントから来てるんですよ。

ほう!「アジ演説」とかも、このアジテーションですよね。煽動するわけですよね、人を。そういう言葉ですね、アジ。

えらい所から入りましたねぇ(笑)

 

アジなのに、Adieuなんです。しっとりとした、「さようなら」ではないですね。

 

たしかに、このイントロというか、序奏の部分、激しいですもんね。pからsfへいってますから。これは多分、決別ですよね。

譜例
 

決別です。3小節目から、和声短音階で降りてくる所からして、♯ソ-ファの増音程ですから。これはもう、なめらかには降りてこられないんですよ。自然短音階でも降りてこられない。ここにはこの増2度がないと、Agitatoが生きない。

西洋音楽で増2度というのは、やはり、ここぞといった意味合いがありますかね。

そうでしょうね、もう「増」というからには。飛躍があるわけですよね。

 

短から長を超えて増!超えられないものをあえて超える、みたいな。

 

その前のsfに行くところ、私の知り合いにミ--レの7度跳躍を弾くのが「恥ずかしい」と言っていた人がいましたね。

 

恥ずかしい?それはどういうことでしょう。

おそらく、ここで一気に感情をさらけ出す感じがあるからでしょうか。

なるほど、最初の2小節はためらいがちだったのに、3小節目でさらけ出す。そこで開放されたから、もう増2度出します、みたいなね。

 

たしかに、このレは小指に重みがかかりますよね。

 

5小節目、in tempoになってからは、さざ波のように哀しみがおそってきますね。

 

徐々に突き上げてくる感じですよね。最初はヒックヒックな感じですが、自分で何か言いながら、嗚咽に向かって泣いて行っちゃうっていうか。

ああ、ああ、わかります。ブツブツブツブツ言いながらね・・・

ありますよね。そういうの。自分の心えぐっちゃうこと。たとえば8小節目の属七でえぐってます。そして11小節目もすごいです。

譜例

右手と左手が一緒にかけ上ってますね。

 

やっぱりこの、煽動していく力っていうのがありますよ。本当に強い。

 

14小節目、15小節目は、しゃくり上げている感じもします。同じ音型が二度も続いて。

譜例
 

ここは第二拍目にアクセントがきてるのは、しゃくり上げのようだ。

泣いている描写にも見えますね。しかし私にはこの曲が、男女二人が別れ話をしているまさにその現場を描いているような感じもするんですよね。ちょっと先になりますが、最後のfの和音の終わり方は、「もうこれで、本当にお別れね、もうこれでナシね」と、本当の決別を告げるように終わってますよね?

ああ、そうね。そして本当の涙は、曲が終わったあとにあるのかもしれない。ここはまだ「私、泣いてないですから」のところ。アジタートでは、人は泣きません。本当に哀しい時って、人は泣けないの!わかります?うぅ~なんて、泣いてるようじゃあ、まだ哀しくないんだ、それは!!・・・っていうことですよ。(興奮気味)

ああ、そうだ!大人ってそうですね。哀しすぎると、涙は出ない!

 

ほんっとにそう!この別れは、ことの事実が衝撃過ぎて、まだ若干唖然としているというか、「今日でお別れね」っていうのが咀嚼しきれていないくらいなんですよ。

別れの描写に織り込まれたテク

それを考えると、17小節目からのハ長調部分っていうのは、凄いですよね。ここで「もう、スッキリしてますから」みたいな態度を一度取るんですね。しかし、また24小節目でイ短調の戻り「だけど・・・!!」となる。もう言葉にならない思いですよ。

 

そういう感情の揺れ、ありますね。グサっと心にきても、「あ、もう大丈夫になってきた」と思う、というか、思おうとする瞬間があるんですよ。

でも、フレージングにはその動揺が隠されているんだと思う。版にもよりますが、たとえば古い楽譜の17小節目からは、ソミドラソ、ミドソ、ソファ、ファミレソファレ、となってます。この小さき動揺!

譜例

なるほど!残念ながらブルグミュラーの自筆譜は発見されていないので、彼自身がどう書いていたかはナゾですが、もし、このフレージングのように書いていたとしたら・・・

 

これはもう、本人すら気付かないほどの、心の乱れですよ!これ逃して弾けないですよー。

 

すごいっ、このフレージング。劇的ですね。ドラマ仕立てにできますよね、これ。

 

これはやっぱり、基本的にはブルグ君がふられるんでしょうか。

まぁ、「ふられる」という言い方が正しいのかどうか、という所。

やむを得ぬ事情・・・とか?

 

なんつーんでしょうかね、別れる方が、より発展性があるっていう場合です。

 

ああ・・・そういう選択かぁ。

 

お互い別れたくはないのに、別れなくてはいけないという状況、ありますよぉ。それかぁ・・・(小声)

意外と合意の上で別れてる感じ。

切ないよ、これは。そうするとね、5小節目と25小節目のin tempoのメロディーも、二拍目にアクセントが置かれているのも、嗚咽したいのを押さえている風にも見えてくるしね。切ない。

 

あっ、ハ長調の終わりにも、増2度使ってますねぇ。23小節目、シ♭ラファレ、のところ。

 

あ!ここすごく印象的な所なのよね。

譜例
 

うわっ、こぉれは深いです!和声的に深いです。ドのトニックの上に、減七の和音シレファ♭ラが乗っかってる形ですから。こっ、これは、ラヴェリアンのやり方ですよ!

らう゛ぇりあん?

 

モーリス・ラヴェルのやり方です。すごく色彩的ですよね。響きとして。

 

えっ、ということは、ブルグはラヴェルを先んじている?!

もしこのバスのドを、ソなんかに落としちゃったとしたら、それはもうもう、なんでもない。つまらないものですよ。

 

しかしながら、ドの上に置いた。ばっちり右手のシと、短2度でぶつかってます!

 

この技法はなかなかのものですよ。そして24小節目のハ長調の主和音に解決していくという・・・。これはたいしたものですよ、腕ありますよ、ブルグ。

そうですか!よかった!(笑)

 

しかも、前半はイ短調のなかに臨時記号で♯系の音をたくさん使っていますが、ここはハ長調の中で、ハ短調の♭系の音を借りる。♭系というのは、柔らかみがありますから、今度は増2度を柔らかいもので作り出しているという・・・けっこう考えてありますよね。

 

こんな小曲の中に、意外とテク入れてますね、ブルグ!こういうテクに、みんな気付かないうちに、惹かれてるんですね。今まで誰も語ってないけれど。

ちょっとしたスパイスが利いてますね。すごい。

 

喫茶店で待ち合わせして、会って話してしまうと、二人は終わる。ハ長調で理性的に、「この別れは二人にとって、いい別れなんだ」と明るい方に持っていって考える。しかし、またニ短調に戻ってしまうのは、やはりふとした瞬間に、哀しみがさし込んで来てしまうんですね。

 

そりゃあもう、さし込んできますよ。だって、この最後の37小節目からの左手の動きなんてねぇ、これは涙なしには語れないですよ。なんだか、動揺してるじゃない。あっちいったり、こっちいったり。ね。

譜例

すごいですね。右手の音型ラドシラドミラも、けっこう執拗に繰り返される。でも別れの時って、自分を納得させるために、何度も何度も「これでいいんだ、これでいいんだ」と言い聞かせるんですよ。左手で「でも・・・」と動揺しつつ、右手で「いいんだ」と言い切って行く、みたいな。

 

・・・辛いね。

 

最後はもう、同じことばっかり言うもんなんですよね。延々と。「よかったんだよ、これでよかったんだよ」と。コーヒーに口をつけては、また「よかったんだよ」と。

そうそう。確認していくしか残されていないんだよね、二人には。

 

で、この最後の二つのfの和音は、もうお店の人に「閉店ですよ!」って言われちゃった、みたいな。

 

なるほど店員の声は普通のトーンであっても、fに聞こえるでしょう。容赦ないね。

実は店員はこのカップルの一部始終を見ていて、店じまいしたいから、はやく終わらないかなぁ・・・と。

 

ああ、もう他者の声がピシャっと響くわけですね。

 

そういうところ、リアルですよね、ブルグ。

ですね。ここでリアリティーにパッと目覚めるんですよね。そして現実に戻った後が、また辛かったりするんです。

 

ああ、次回の「なぐさめ」も、実は一番つらい曲だったりする・・・。

第11回 Adieu 後記
この25斬り鼎談を楽しみにしていて下さった読者の皆様、お待たせいたしました。いよいよ後半スタートです。
第10回の「やさしい花」「せきれい」であぶり出された、男女二人の肖像。その行く末がこの「さようなら」にある。あまりに複雑な心理描写が、密かにこの小品に込められていたという事実に気付いた今、改めて演奏したい一曲である。

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