25曲を斬る!第09回 La chasse 秘められた痛み
♪ 第9曲目 La chasse 狩猟:YouTube(音声のみ) 演奏:友清祐子 ♪
さて、狩猟です。ここでまたちょっと雰囲気がガラリと変わります。この曲から見開き2ページになる版も多いのではないでしょうか。そしてまた、出だしの和音でファンファーレというものに出会うんですね。まぁ活き活きとしています。構成にもメリハリあって、よく作られていますよ。
いや、ちょっと待ってください。このイ短調の中間部(29~36小節目)、ドレンテdolente。ここは一体、何を思い描いているんですかね?
そうね。ドレンテってけっこう重いですよ。「悲痛に」ですから、楽典の回答的に言えば。そんなに狩がイヤだったのか?
確かに、曲の展開としては面白いのだけど、何がいきなり起こったのか、想像しにくいですねぇ。
ここは謎ですね。本当にね。
その前にハ短調に転調している部分(13~20小節目)がありますけど、ここはまだわかりやすいよね。例えば、奥深い森の中に入って行ったのかなぁ、とか。
そうそう。
でもこのイ短調のところはハッキリしない。何かの追憶のようにも思えるけれど、狩をしに来て、一体何を追憶しているのか?
しかも、表情をかなりつけろってわけでしょ?ドレンテという強い指示ですから。ちょっと天気が悪くなったぐらいには思えない表情ですからね。ここは。
内省的ですしね。どうしたんだろう。情緒不安定?
なんとなく、「死」のイメージすら漂いますよ。だって、「悲痛」なんですよ。痛いんですよ。
う~ん・・・
失恋?
???
だって、胸が痛む状況なんて、失恋とかぴったりじゃないですか?誰かを忘れるために狩に来てるとか。
う~ん。あるいは、狩につれてきた狩猟犬が、発砲事故で死んだとか?!あ、痛すぎるか。
それは痛すぎるね。やっぱりそれだったら、葬送のリズムが来るでしょう。タタタターン、タタタターン・・・とか。
そうか。これどうしたらいいかな。
その前のハ短調への転調のところにも、ウン・ポコ・アジタートun poco agitato(少し激して)ってありますね。アジタートってところが何かひっかかります。
いい所に気がつかれましたね。ブルグがアジタートを使うときって、相当なんですよ!
でしょう?
私ちょっと検証したんですよ。アジタート使う曲をね。メンタル的に相当きてるような感じなんですよ。なんつったらいいかな。
なんか背負ってる感じですかね。
そうそう。
う~ん、でもまだなんか、つかめない。
ストンと落ちないですね。
とにかくすごく明暗のはっきりした曲ですね。躁鬱ぐらいな。
dolenteのところはしかも、繰り返し記号がついていますからね。
う~~ん、わからないなぁ!!
あ・・・今ふと思ったんですが、ここの悲痛の種というのは、もしかして、2曲飛んだ先の作品12番「さようなら」と関連しているといったことはないですかね。
えっ!!
あっ!!
もしや・・・別れの悲劇を予見している?!
その可能性はあるね。
ある!
ありますか?!
だって、見て下さい。この伴奏形は、確実に近い!
和声もI-IV-Iという動きで同じ。あ、しかも、この旋律・・・。ミーラードーシーラと、ソーミードーラーソ・・・どこか相似関係にあるというか。
よく似ているね・・・調性的には明と暗のコントラストだ。ひょっとして、この2曲は結びついているのでは?だってそうじゃないと、おかしいくらいですよ。「狩猟」でこれほどのドレンテをおくのは、不自然になりますから。
しかも、「狩猟」で登場したun poco agitatoが、「さようなら」ではモルト・アジタートmolto agitato(もっと激して)となって再び現れていますね。
やはり。関連性はもはや否定できないですね。明らかにこの「狩猟」の中でのイ短調ドレンテは異質なんですよ。これは、回想です。まさに、失われた時を描いているんです。
え、でも、9番「狩猟」の方が12番「さようなら」よりも先に登場する曲ですよ?別れの予見、ということではなく、むしろ回想なんですか?
そこです。本当はもしかしたら、「狩猟」の中にこのdolenteの部分はなかったかもしれません。
ええっ!?
最初のページ、28小節目のすぐ後に、45小節目からの角笛のコーダがすぐに続いても違和感なく終われます。
本当だ!むしろその方が、「狩猟」という曲の雰囲気としては自然な気すらします。13小節目ですでにハ短調への転調が置かれているわけだから、もうイ短調への転調は、構造的にはとくに求められていないはずです。
しかし、あえて登場したイ短調ドレンテは、あまりに突然で異質。
ええ、すごく違和感があります。
これは明らかに書き足した可能性が強い。恐らくは、後の「さようなら」で、語り尽くせなかった深い悲しみを、秘密の暗号のようにして、後からこの「狩猟」の中に挿入したのかもしれない。
なんという重構造!!そして、それほどまでの深い悲しみとは!
このリピート記号も、本当に繰り返してくれというよりも、「ここに秘密のメッセージがあるんだよ」という視覚的な効果をねらったものに見えてくるよね。
確かにそうですね。曲の流れからしても、繰り返す必要性はあまりないんじゃないかという気持ちになる。1回でも十分なインパクトだし。
実際のピアノのお稽古だったら、繰り返しは省略というパターンは多いんじゃないかな。子供の頃、繰り返して弾いていた記憶はない。でも・・・今となっては、繰り返したい所ですね。
そしてこの「狩猟」のラドミラ(36小節目)、と「さようなら」のラドミラ(16小節目、36~39小節では繰り返し登場)がね・・・。
本当だ~・・・明らかに関係性を示していましたね。なんかもう怖い。
気持ち悪い・・・なんて、言っちゃいけない。
先読みになりますが、「さようなら」の類似箇所、ハ長調の部分(17~24小節目)は、逆にイ短調の暗さの中に投げ込まれた、明るい異質の音楽ですね。愛する人と別れる以前の日々を回想しているのです。むしろここは、短調で行くことはやっぱりできない。そこまではできないんですよ。
ああ、深い!なんという深い悲しみ!
これは学会発表並みの発見なのでは?!「狩猟」は、もともとはきっと、その前までの曲と同様に、短い半ページの曲だったんですね。
実際弾いてしまえば、調性関係的には自然だし、曲にメリハリも付くので、結果的には曲としてなんとなく弾けてしまう。
でも、解釈をしていくと、ここは本当にわかりにくかったところ。そしてさらに「さようなら」という曲の重要性も増しますね。
全部で 25曲ですからほぼ中間に位置するのが「さようなら」です。この曲はキーとなる曲なのかもしれないね。この鼎談での検証はまだ先になりますが。
これまで検証を進めてきて感ずるに、どうやらこの25の練習曲は、1曲ずつだけを見ていたのでは、完結できない要素がありますね。「狩猟」というこの1曲だけでは見えてこないものは、一種の、隠された引用ですよね。フェデリコ・モンポウの作品に、ショパンの前奏曲のテーマを用いた変奏曲(「ショパンの主題による変奏曲」)があるんですが、あの作品でも途中にエヴォカシオンといのがあって、そこだけ幻想即興曲のテーマが突然ポッと現れるんですよね。つまり、「ぜんぜん関係ない」っていう断絶が感じられる、そうした亀裂をあえて置くことで、生まれてくるものがあるんですよね。その効果を、ここでも思い出します・・・。
背中がぞくぞくする話です。ブルグが墓から蘇って後ろにいるような気がします。
ブルグミュラーからの強烈なメッセージに、われわれは今気付き、受け取ってしまったのですね。彼が「さようなら」一曲だけでは語りきれなかったほどの心の痛みが、気付いてくれと言わんばかりに、この「狩猟」に込められていたんですね・・・(半泣)。