特別番外編 祝!ハノン生誕190年記念 第02回
ぶるぐ協会会長 前島 美保
ブルグミュラーやバイエル同様、ハノンが作曲家であると認識したのは小学校を卒業してからでした。いや正直なことを申し上げれば、『ハノンピアノ教本』(以下『ハノン』)以外の作品に触れなければ何やら人間とは解しがたい、私にとってハノンは一貫してそんな存在でした。今回はハノンの生涯と作品に触れながら、人としてのハノンを造形していきたいと思います。
とはいえ、今のところ典拠は限られています。ここでは『ニューグローヴ世界音楽大事典』(第2版)の「ハノンの項目(Philippe Rougier執筆)を拠りどころにとりあえず話を進めていきます。 Charles-Louis Hanon (シャルル・ルイ・アノン。日本ではもっぱら「ハノン」と呼ばれてきました)は、1819年7月2日フランスのルヌスキュールで生まれました。1820年生まれ説もあるようです(『音楽大事典』平凡社)。敬虔なカトリックの家に生まれ、地元のオルガン奏者に就いて学んだ後、1846年27歳の時にブーローニュ・シュメール・メールに移り、1853年まで合唱指揮者兼オルガニストを勤めました。その後は兄弟で歌やピアノを個人的に教えたり、時にはオルガンを弾いたりしていたようで、この頃から自分の作品を世に送り出したとみられています。フランシスコ派の第三階位や国際的慈善事業団体の聖ヴァンサン・ドゥ・ポール協会の会員として、敬虔で奉仕的人生を送ったその背景には、彼の「極端に保守的な性格(ultra-conservative in nature)が見え隠れするようです。ハノンの作品はすべて教育的配慮の行き届いたものや大衆性をめざしたもので、その発想は宗教的で道徳的なものが多いとPhilippe Rougierは述べています。その実、ピアノやオルガンの伴奏法のメソッドや教会用の賛歌の作曲が知られており、単旋聖歌の伴奏法を著した『Systeme nouveau pour apprendre a accompagner le plain-chant』(1859)という教本の功績から、ローマ法王より「マエストロ」の称号を授かっています。『ハノン』(Le Pianiste Virtuose)もこうした教本の一。『ハノン』は1873年、ハノンが54歳の時に地元ブーローニュで出版されました。この出来事は彼にとって転機となったに違いありません。というのも、この曲集、ハノン存命中よりパリ音楽院で用いられた上に、頻繁に版を重ね、諸言語に翻訳されているからです(英語版は1894年)。『ハノン』が受け入れられた理由を、Philippe Rougierは、当時のほかの教則本よりもシンプルだったからと分析しています。ハノンは教本類のほかにもイタリアオペラのアリアや、ドイツ作曲家のサロン曲なども編曲していたようです。1900年3月19日、90歳で亡くなるまで、ブーローニュ・シュメール・メールで暮らしていたと思われます。
さて、今、最も我々の興味関心をひくのはこうした教本類というよりむしろ、ハノンがある想いや感情を託した作品群ではないでしょうか。記念年の今年、こんな機会はめったにないということで、大英図書館からハノンの楽譜をいくつか取り寄せました。教則本やオルガン曲などを除く7本、計121ページ。取り寄せた楽譜は以下の通りです。
- Le Bourriquet de la Mere Gregoire, rondo brillant pour Piano (1865)
- Souvenirs de Suisse, fantasie pour Piano (1865)
- You, you, pastorale pour Piano (1865)
- Stella Napolitana, tarentelle, caprice de genre pour Piano (1866)
- Souvenirs de Bretagne, fantasie brillante sur des airs populaires Bretons, pour Piano (1868)
- Un Reve de Bonheur, caprice pour Piano (1872)
- Six Fantaisies elegantes sur les plus beaux Motifs de Bellini et de Rossini (1876)
作曲の全体的な特徴としては、まず、予想に反して(というのも、私は『ハノン』の60番の中間部の印象から、ハノンは短調好きだと想像していたのです。)長調の曲が目立つということ。しかし中には、『Un Reve de Bonheur』(d moll)のように哀切漂う作品もあります。ちなみにこの曲は、1906~10 年に出版されていた楽譜を一覧にしたFranz Pazdirek『Universal-Handbuch der Musikliteratur』(1967)にも掲載されています。取り寄せた大英図書館の楽譜は第二版。当時、一定の需要があったものと推測されます。また、いずれの曲にもモチーフを数回繰り返す傾向が見出せるほか、『ハノン』で練習したパッセージを確認できるような作品もあり(『Souvenirs de Bretagne』コーダの左手トレモロなど)、ハノンの音楽語法を見る思いがします。そして見逃せないのが、以上の楽譜すべてが地元ブーローニュ・シュメール・メールで出版されていること。土地の伝説や民謡にインスピレーションを得て作曲されたような曲もあります(『Le Bourriquet de la Mere Gregoire』、『You, you』など)。地元密着型の音楽家の風情です。一曲ずつ詳細にみていきたいところですが、紙面も尽きてしまいました。最後にこれらの中から『Souvenirs de Bretagne』をお届けしたいと思います。
そう、これ、19世紀サロン音楽です。まぎれもなくハノンも人の子。同時代のオペラを見聴きし、ブルターニュやスイスを旅していた様子が窺えます。あまりにも有名な『ハノン』の陰で、こんな作品が眠っていました。
緊張しながら封を覗きます。それはそうです。あれだけのストイックな指の訓練をさせるハノンの性格的小品が、今まさに眼前に立ち現われようとしているのですから。まず驚いたのが表紙。どの譜もタイトルにふさわしい絵が実に丁寧に描き込まれています。コピー譜なので原本に着色があったのかどうかわかりませんが、色を入れたらとても映えるだろうと思われます。
「ブルターニュの思い出~ブルターニュの旋律によるピアノのためのファンタジー・ブリランテと題されたこの曲は、1868年、ハノンが49歳の時に出版されました(『ハノン』が出たのはこの5年後です)。全13頁。「敬愛なるジョセック博士」に献呈されています。下の写真の通り、表紙には土地の名跡や風景画が並び、まるで案内記のようです。これらは、ハノンがブルターニュで実際に見聞したものでしょうか。
曲はEs durの序奏にはじまり、聖アンヌ教会の巡礼者たちのテーマ、貧しい人々の描写、ドローンを鳴らしながら弦楽器で古びた旋律を奏でる流し、羊飼いの歌、六月祭の盛り上がりなどをオムニバス的につないだ後、最後はテーマ曲の華々しいフィナーレで終わります。場面場面は嵐のようなカデンツァで区切られ、テンポよく情景が切り替わります。 それでは、19世紀のブルターニュ地方に、そしてハノンや『ハノン』に思いを馳せながら、どうぞお聴きください。
「ブルターニュの思い出
~ブルターニュの旋律によるピアノのためのファンタジー・ブリランテ」
演奏:友清祐子
☆お知らせ☆
第2回サロンコンサートを9月23日(祝)に開催します!今回は、ブルグミュラーとハノンに焦点をあてておおくりする予定です。大英図書館から取り寄せたハノンの作品も演奏します。みなさま万障お繰り合わせの上、お越しくださいませ。
次回、第3回はいよいよお待ちかね(?)『ハノン』を検証します。
(文・前島美保)