ピティナ調査・研究

25曲を斬る!第01回 La candeur 素直な心 ~真白き中に隠されたもの~

みんなのブルグミュラー
25を斬る!~大人のためのブルグミュラー

連載「25曲を斬る!」は、当コーナー《みんなのブルグミュラー》にフランス音楽専門の音楽学者・藤田茂氏をお迎えし、「25の練習曲 作品100」を今一度鋭く深く切り込んでいこうという企画である。通常、子供の指導用教材として見なされている「25練習曲」だが、ここには奥深い美学、そして解明し尽くせない謎が満ちている・・・。
この鼎談は、「25練習曲」を「大人」の視点から容赦なく切り込もうとする三者の自由な語りである。それはときに既存の楽曲解釈に一石を投じるキケンなものとなるかも知れない?!?確信あり妄想あり・・・あの25練習曲に隠された真の意味とは?禁断の扉が今開かれる!

◆ 鼎談参加者
藤田茂:音楽学者/ぶるぐ協会会長・前島美保 &広報・飯田有抄

藤田茂(ふじた・しげる)プロフィール
音楽学者。フランス音楽を糧とする歴史家にして美学者にして分析家。「いいものはいい、誰がなんといおうといい」を貫きたく思っています。絶望には希望を!音楽とは希望の原理なのです。

第一回:La candeur 素直な心 ~真白き中に隠されたもの~
失われた時を求めて

まずは第一番から参りたいと思います。タイトルは、いかがでしょう。原題はフランス語で、"La candeur" 、日本語では「素直な心」などと訳されていますが。

そうですねぇ・・・「素直な心」というと、若干不十分な感じがしますね。

そうですか、"La candeur"、辞書的にはどういう意味で使われる言葉ですか?

辞書的には、「バカ」の意味で使いますね。

・・・「バカ」・・・ですか?!?

Candeurというのは策略に対して弱いというか、・・・要するに「オマエはcandeurだ」という場合、「騙されるオマエが悪いんだ、騙されるほどバカだ」というような意味で使う。

ほぉ!

もちろんそれは積極的な意味でも取れるでしょ。ドストエフスキーの小説のように。『カラマーゾフの兄弟』に出てくるアリョーシャのように。バカなんだけど、バカがいい、みたいな。だからもしかしたらこの曲は、単に「すなおな、いい子ちゃんだねぇ~」というのではないかもしれない。

なるほど。なにやらブラックな香りがしてきました(笑)

もっともっとこう、一枚も二枚も深い意味があって「バカを装う」みたいな。こういう、繰り返される音型とかね。

はぁ、なるほどね。これ見せかけなんですね?!

そう。見せかけですよ。いろんな策略をした後に、たどり着いた境地なんですよ、これは。いろんな悪いことをして来た、そして最後にたどり着いた境地を、第一曲目で示したんですよ、ブルグミュラーは!

(爆笑)す、すごい・・・。

結末先取り、みたいなね。

あ。でも、そうですよ。ブルグって、そういうとこある(なぜか小声)。『18の練習曲』もね、「ないしょ話」っていう曲が1番目に来てるんですよ。終わりの方はけっこう「バカ」っぽいというか、「マーチ」とか「つむぎ歌」とか、裏のない感じの曲になってるのに・・・。だから、ブルグにとって、第1曲目って、なんかあるのかもしれませんね・・・。

そう。だからね、この"La candeur"には単に「そのままがいいんだ」っていうような浅薄さは恐らく無いですよ。きっとこれは、大人になって、いろいろな経験を経て初めてわかる「純真さ」というものへの懐かしさ、大切さみたいなものなんですよ!失われたものの大切さ、みたいな!!失われたものへの郷愁、みたいな!!(声、裏返り気味)

おおおお!ふ、深い!!

これは・・・暗号かもしれませんよ?!

あ、暗号?!?!

「わかる人にはわかるだろう」みたいな。

あぁそうか、最初からブルグは問いかけをしてきているわけですね。

手前の所で納得しちゃってる人は、それ以上進めないのかもしれない・・・。こわいですねぇ。

こわいこわい。こりゃ完全にわかってやってるね、ブルグは。この練習曲集は45歳の時に一気に書いた。45歳なら、酸いも甘いもわかってる。

クープランのことは絶対好きだった

この人、どういう境遇でしたっけ。

生まれは南ドイツの田舎、デュッセルドルフで音楽監督だったの父親の後継ぎにはなれなくて、スイスの方に行ってみたり・・・26歳でパリデビュー。貴族に雇われてピアノの先生してました。バレエ音楽でヒットを飛ばしたしたことも・・・。

いやはや、やっぱり深いですよね。宮廷とか貴族のお雇い音楽家として、そうした社会を見てきた人たちの目というのは、ものすごく鋭いと思うんですよ。クープランなんかもそう。クープランは、宮中の人たちのことをずーっと見ていて、その中に渦巻く嫉妬や媚やら何やらを、頭巾の色をタイトルに表現した12の変奏曲にしてますね(クラヴサン曲集 第3巻 第13組曲「フランス人気質またはドミノ(仮面舞踏会の頭巾)1~12」)。クープランは確実に、こういう曲によって、自分がよくよく見てきたもの、この世界の複雑さや汚さなんかを描いているわけです。
たぶん、ブルグミュラーも、そういう大人社会のことをよく見ていて、よく知っているはずなんですよ。だから、クープランは絶対好きだったはずなんですよ。
しかし!ここがブルグらしいというかね・・・(含笑)・・・彼の場合はそんなに嫌味にはできないの。クープランほど斜には構えられない。その「素直さ」が、ここ(25練習曲)に出てきてるの。深いよね!!

やっぱり、ブルグは根が田舎っぺなんですよ、結局は。南ドイツの生まれでね。だから、クープランみたいに洗練された冷笑家にはなれない。でも、「クープランは絶対好きだった」説は、いただきます。

そう。絶対好きでしたよ。何の根拠もないけど(笑)。

いや。好きだったはずです。この妄想力こそ、「ぶるぐ協会」のキモですから。

やっぱりね、いろんなもの見た上でこの曲書いてるはずです。だから、この曲どことなくギコチないでしょ。自分の田舎くささや素直さは、むしろこの曲には表れていない!(ビシッと楽譜を叩く)

そうなんですよね。後ろに出てくる「牧歌」とかの方が、よっぽど素直に田舎風なんですけど、1番はちょっと、実はどうしたら良いかよくわからなくて、弾きにくいんですよ。

そうそうそう。

ソミレドソミレド・・・って、これどうしたものか。

(冷静に)うん。入り込んではいけないのね。うん。うん。これはちょっと入り込めない曲なんですよ。

はぁ・・・なるほど。たまにこういう人いますよね。素直っぽいんだけど、入り込めない人。この曲名刺代わりにしたらいんじゃないか、っていう。

そう。真っ白な壁を張ってる感じの人ね。いるいる。しかもその白さったら綺麗なんだよねぇ・・・(遠い目をして声裏返る)

いやぁすごい。"La candeur"はそういう曲だったのかぁ。

第一回 "La candeur" 後記
初回の鼎談では、藤田氏の熱いテンションに「ぶるぐ協会」は完全に飲まれる勢い。ほとんど合いの手くらいしか入れていないのだが、第一番への解釈が一層深められたように思っている。真っ白い壁を張り巡らした、ちょっと入り込めない綺麗な人、あなたの身の回りのそんな人物を思い描きながら、この曲を弾いてみるのはいかがだろうか。

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