ZADAN:第05回 ピースに何が起こったか!~全音ピアノピースってすごいよね!!~
私たちに馴染み深い「全音ピアノピース」。このピースに並ぶ作品たちはいったいどのようにして選ばれて、ラインナップされているのでしょうか?その答えの一つと言えるのが、底本。つまり現在のピースの元になったと思われる楽譜たちです。全音楽譜出版社の取材協力のもと、時代をさかのぼって参りましょう。(前回の全音取材の様子はこちら)
ピース底本をめぐる調査は、佳境を迎えんとしていた。全音担当者の「ペンギン」さん(仮名)、「コアラ」氏(仮名)に目配せし、さらなる驚き物件を提示してくれた。
「これなんです・・・・」
思わず軍手を力強く握った。なにやら見たこともない表紙のピースがゾクゾク登場したのだった!それは、戦前・戦後の日本の各出版社から出されていたという、ピアノピースの数々・・・。我々の世代では聞いたこともない出版社による、見たこともない表紙デザインの楽譜たち・・・。以下、目もくらむばかりに味わい深い「昭和ピアノピース・コレクション」でございます。
「白眉音楽出版社」、昭和25年。あの滝廉太郎の曲をもとにした、「荒城の月変奏曲」。22ページの凄い大作であります。難易度の高いゴージャスな「荒城の月」。この作品を書いたのは、笈田光吉氏。この人、巨匠ピアニスト・クロイツァーに学んだ人物なのだ。ドイツ留学から帰ってきて、「笈田ピアノ塾」を開き、音感教育やペダリングの研究を重ねている。この白眉ピースもまた、お馴染みのピース系作品を38曲ラインナップしている。「ランゲ」や「モツァルト」、「シューベルト」などと並んで「オイダ」として笈田作品2曲が入っているところが、心にくい。この作品のように、格調高く、いわゆる「日本的」な作品が、出版事情のため世の中から消えてしまうのは、なんとも勿体無く寂しいことだ。
さてこちらは「鹿鳴閣」ピース、昭和28年。乙女がなんと、なげいている!!作曲者は「乙女の祈り」のバダジェフスカ、ではないです。ホルヴァートっていう人。誰でしょうか。
この鹿鳴閣ピースのいいところは、解説がついているんですね。引用してみます。
「ホルヴァートは1868年5月27日ハンガリーのKomaromで生れ、ウィーン音楽教師をしていたことまでは判つていますが、現在まだ生きているのかどうか不詳であります。」
生存確認ができていないとは!どこか生々しさが漂う記述であります。
「芸術的というよりも教育用のピアノ曲をたくさん作曲し、ほかに合唱曲や歌曲を作りましたが、音楽史上にエポックを劃するような大作曲家ということはできません。」
そうですか、残念です、でもたしかにそうです。エポックは刻んでいない、ホルヴァート。
「『乙女のなげき』Op.20, No.2は、極めて単純且つ易しい曲であり、ピアノの初心者用として、各国で用いられています。(小泉功)」
エポックは無理でも、「各国」ですか!すごい乙女です。・・・いや、でも、今日ほとんどお耳にかかれないかと。曲はイ短調の3拍子。バダジェフスカの祈りとはまったく違って、たしかに易しく、初級者用のちょっと練習曲的なものでした。
出ました全音ピース。これは連弾用のもの。
昭和25年です。キリン模様のようなデザインだった。
そして、コレ。東京鶏鳴社とある。KEIMEISHA PIANO SERIES。「鶏鳴」だけに、声も高らかに二羽のニワトリたちが、古代ギリシャのパルテノン神殿ばりに美しい柱の上で、声も限りに賛歌を歌い上げているよ。No.1はあのワイマンの作品です。「銀波」の文字が、太陽のようなま白きサークルに入っている。まぶしい。この鶏鳴社ピース。全音さん所蔵中、最も古いもので昭和8年。このときは80曲がラインナップされている。最も新しいもので昭和16年、こちらは150曲まで。
これがラインナップ一覧だ。
どんな曲が入っているかというと、1~5番をあげてみよう。
No.1 銀波:A.P.Wyman
No.2 アルプスの夕映え Theodor Oesten
No.3 花の歌 Lange
No.4 ショパンのワルツ F.Chopin
No.5 嵐の曲 Henry Weber
こんな感じです。ショパンのワルツって、どのワルツ?嵐の曲のヘンリーって、あのウェーバーじゃないし、誰ですか?ともかく、この全音ZADANコーナー的には超メジャー人物であるワイマン、オースティン、ランゲが入っている。納得だ。
当然「乙女の祈り」はNo.44、「月光の曲」はNo.50にちゃんとある。「エリイゼのために」はNo.132と、意外と後ろ。その他「郭公鳥」や「勿忘草」、「波濤を越えて」などなどピースとしてお馴染み感ある作品がぎっしりだ。「誰??」という人名も多く並ぶ一方、ロシア五人組の作曲家キュイの「オリエンタル」なんていう作品が混じっていたりして、なかなか意欲的。
全音さんはこの鶏鳴社ピースを数十冊と保管しているのだが、そのうち一冊に、実に生々しい記録の跡が見つかった! 丸印の下に「版下アリ出版予定」チェック印の下に「出版希望」って書いてある。
ピース選曲にあたり、このニワトリ一覧表をつぶさに研究した痕跡だ。チェック印は、ドヴォルザークの「ユモレスク」、マリーの「金婚式舞曲」、グリーグの「蝶々」、ショパンの「雨だれの曲」などについていて、現在の全音ピースにきちんと入っている。
この一覧チェックから推測するに、全音ピースは、鶏鳴社を中心に上記の各社ピースなどを合わせて参照し、選曲し、自社ピースの作成に及んだと考えられる。戦前の発刊は確認されていないので、発売開始は戦後の昭和20年代初頭と思われる。そしておそらく全音さんは戦後からピース出版に乗り出した。
このチェック表そのものは、昭和16年発行の「郭公鳥」鶏鳴ピースの裏にある。昭和16年。そう、それは、太平洋戦争の始まりの年だ。
数々の楽譜出版社が、大正時代からこの太平洋戦争までの間に誕生している。上記鶏鳴社のほか、「共益商社書店」、「セノオ楽譜出版社」(竹下夢二の絵が表紙を飾るピースは美術品扱いで、現在残る貴重なピースは高値で取引されている)を初めとし、ブルグミュラー連載で紹介した「好楽社」、「新興音楽出版社」、「みさご出版」、「全日本音楽出版社」などの会社だ。
第二次大戦が始まる前までに、こうした大小の会社から楽譜出版が華々しい。日本のピアノ文化の最初のムーブメントは、どうやらこの頃に起こったのではないだろうか。今日のようにテレビもパソコンもカラオケも無く、娯楽の少ないこの時代、ピアノを所有する家庭では、手に入る楽譜があればどんどん受容したに違いない。とはいえ、当時は海外から輸入されるピアノ作品には限りがあっただろうから、各社のピース作品の顔ぶれがほとんど等しくなるのも不思議はない。現在の全音ピースに見られるような、19世紀のサロン音楽が主流だ。こうした戦前もののピースを手にとると、意外なほどに紙質がよく、保存状態もとてもいい。楽譜出版は時代の波に乗り始めたのだ。
ところが、時代が戦争開始の昭和16年発行に近づけば近づくほど、ピースの紙質が如実に悪くなることがわかる。社会全体に物資の供給が乏しいなか、楽譜を作り続けることの困難さが伺える。まさに歴史を肌で感じる思いだ。戦時中および戦後直後の鶏鳴社ピースなどは、わら半紙の如く。今や変色し、強く触れると砕けてしまいそうな紙質だ。残念ながら、この頃日本で出版された楽譜は、古楽譜店などでもなかなか出会えない。戦火に焼けたこともあろうが、長年の保存に耐えられなかったのだろう。
戦時中、廃業したり戦火に焼かれてしまう会社が出る一方、紙の配給問題を乗り越えるべく、大小さまざまな出版社は統合し、生き残りを果たした。そして迎えた戦後。楽譜出版社は再興し、いよいよ全音さんが昭和20年代前半からピース出版を開始する。昭和20年代後半には上記写真のような各社ピースが出回り、30年代に入って音楽之友社ピースも登場する(今後のZADANで取り上げる予定です)。一般家庭にピアノが置かれることも珍しくなくなり、まさにピアノ・ピースの黄金期と言える時代が到来した。
「ピースは在庫確認、流行廃り、権利関係などから、実際管理が非常に大変です。」全音の「コアラ」氏はそう語る。現在500を数えるレパートリーに欠番が多いのも、そのあたりの事情が大きいとのことだが、戦後登場した数々の会社のピースが今は存在しない理由もここにある。各社のピースたちは、その楽曲を全音ピースに収斂させるようにして消えていった。残る「全音ピアノピース」にこそ、日本の人々が愛し続けてきたピアノ小品の数々が、凝縮されている。嗚呼!全音ピアノピースって、すごいよね!!
昭和も40年代以降、ほぼ日本のピース界の代表的存在になった全音ピース。その特色はなんといっても、他の会社にはなかった作品群。それが、一連の日本人作曲家作品だ。滝廉太郎、山田耕筰といった日本の大御所、八橋検校、宮城道雄、杵屋六左衛門らの邦楽家、松平頼則、池辺晋一郎、一柳慧らといった20世紀音楽の先鋭たち。彼らの作品が加えられたことで、全音ピースは19世紀西洋サロン音楽に彩られたピースの世界とは一線を画すこととなる!
今後のZADANでは、ぶるぐ協会会長の邦楽魂@全音ピース、そして当ピティナ読み物内、須藤英子氏の「ピアノ曲 Made in Japan」との連動企画により、ピースの邦人作品について考えてみたいと思います!