ピティナ調査・研究

ZADAN:第04回 全音さんに行く!~全音ピアノピースってすごいよね!!~

みんなのブルグミュラー

皆様こんにちは。ぶるぐ協会広報飯田です。
今回のZADANコーナーは通常の前島会長&広報の対談形式ではなく、特別レポートとしてお届けしたいと思います。
ついにわれわれは全音ピースの生みの親、全音楽譜出版社さんを訪問して参りました!!この際、勝手ながら、胸に蓄積するピースへの熱い思いをお伝えし、そして数あるピース・ミステリーの謎をぶつけてみる、という大チャンス。快く対応して下さったご担当者の「コアラ(匿名)」さんと「ペンギン(匿名)」さんからは、他ではゼッタイに得られない最新発掘超貴重情報をご提供いただきました!!

全音さん、こんにちは

2008年4月某日、降りしきる雨の中、ぶるぐ会長&広報は全音楽譜出版社(以下、全音さん)のビルがある新宿区は上落合へと向かった。まずはビル近くのマックで打ち合わせ。
広「いよいよですよ。なにきく?なにきく?」
会「いやぁ、いろいろ知りたい。選曲・難易度・・・そもそもの始まり、とか。」

全音さんのホームページを開けば、なにやらクールでシャープなデザイン。コンテンツには三つの"e"、emotional感動創造、education教育、e-commerce電子商取引の文字がならぶ。それぞれの説明は「ゼンオンスタイルです。」で結ばれている。う?ん、「ゼンオンスタイル」。あの全音ピースのサロン的・小品的世界観の印象からすると、ぐぐっと現代的だ。緊張と喜びがせめぎあう中、待ち合わせの時間にビル内へ。

写真

最初にお出迎えしてくださったのは、創立者の像だ。
「おおっ!こっ、この方が!」
こんにちは、そしてピースを作ってくれて、ありがとう。勝手に感謝のご挨拶を済ませたところで、ピアノ楽譜のフロアへ。

お通しいただいたのは、フロア片隅に位置する応接ブース。ブースなので、お仕事に静かに集中されているスタッフの皆さんのジャマになるような大声を避けなければいけない。でも、自信はない。ピースネタではすぐに興奮する会長と広報だ。細心の注意が必要だ。 そこへ、「コアラ」さんと「ペンギン」さんがいらした。お約束の名刺交換を済ませ、われわれはピースがとても好きなのだ、どうぞよろしく、と熱意を伝える。
「選曲、難易度、そもそもの出版経緯、なんでも教えてください!!」
そんなわれわれの熱意をガッチリ受け止めます、と言わんばかりの美人編集者「ペンギン」さん、その瞳の奥にはひそかな炎が見えた。
「まずは、アレからいきますか。」
そううやうやしく、「コアラ」さんに耳打ちをし、相槌を受けたと思えば、なにやらブースを一端出て、再び戻られたその手には軍手、真っ赤で重そうな年代モノの楽譜集が。それがなんと。ずばり、ピースの「元」つまり底本になっているかもしれない楽譜集だという!

The Scribner Radio Music Library. C. Scribner's sons, 1931, New York, Edition by Albert E. Wier

楽譜

これはアメリカで1931年に出版された楽譜集で、当時人気のピアノ小品やオペラやバレエのピアノ編曲版、歌曲版がずらりと収められたもの。Radioと付いているだけに、当時、ラジオ番組でよく聞くアノ曲はコレ!といった感じで、家庭のピアノで弾いて楽しむための、ちょっと気の利いた楽譜集だったのかもしれない。
編集者はAlbert E Wierという人物。20世紀初頭の米国において、大活躍した楽譜編集者で歌やピアノ、オーケストラ作品など幅広いジャンルの選集モノを手がけている。

全音さんに所蔵されていたのは、上記楽譜の第1巻から第4巻まで。出版年の1931年といえば、全音さんの前身会社が設立された昭和6年。ぴったりではないか。おそらく設立当初、アメリカから買い付けた創立メンバーが、「ここから日本のピアノ愛好者たちに、作品を紹介したい!」と、そう思ったのではないか。 このメリケン楽譜、開いてみると、目次のラインナップ(写真左)が、なんとも全音ピースワールドを彷彿とさせる作品ぞろい!ベートーヴェンの「月光」、モーツァルトの「トルコ行進曲」、バッハのメヌエット・・・。左は目次ページの写真。おや?よーく見てみると・・・

!! Piece(ピース)という書き込み文字が!
そして、作品には赤くチェックされたものがある。その作品の各ページを見ると、Pieceって書いてあったり、チェック印が付けられている!

例えば、バッハのメヌエット。現行の全音ピースと、Radio Music楽譜を比べて眺めてみてみると、いくつか共通点が伺える。強弱記号などの解釈が近い。楽譜としての印象が近い。つぶさに見ていくと、指番号や記号の位置などが異なっている。しかしこれを目にする限り、Radio Music版がピース作品の選曲に多いに関わりがあったように思える。そうにらんでもいいですか?全音さん。

楽譜

「実は、確たる証拠となるような情報は残ってないんです。」

担当者のお二人は、ちょっと残念そうに語る。OBに電話調査されたり、関係機関などへ資料調査もされたそうなのだが、確たる情報にはぶつからないという。
戦前に誕生し、戦後の混乱期をも乗り越え、業界大手として楽譜作りを続けてこられた全音さん。社史を逐一まとめることはなく、まさに駆け抜けるようにして楽譜を世に送り出してきたその経緯。こうして現代の編集者お二人が、今ここで振り返られたその情報は、日本のピアノ曲受容史において非常に貴重な情報でなくてなんであろう。

そして、ピースの源として推測できる、さらなる物件があるという。
「そろそろ次、行きましょうか」
再び怪しい眼光で「コアラ」さんに耳打ちをした「ペンギン」さん、一端ブースを外して再登場したその手(軍手つき)には、またしても分厚いファイルたちが!! 開けて、びっくり・・・。そこには戦前・戦中・戦後まで、日本でワンサカと出版されていた、さまざまな出版社のピースが収められていたのだ。われわれが見たこともない、色とりどりの表紙のピースたち・・・。え?「みさごピアノ樂譜」?初めてききました。

「実は、ここに、お二人の大好きなカリニコフの『悲歌』、あったんですよ。」

おお!

この楽譜、見れば印刷が昭和10年11月5日となっている。全音ピースに「悲歌」が登場したのは、No.18シンディング「春のさゝやき」に入れ替わる形で昭和25年から27年の間であるから、こちらが先ということになる。

楽譜

中を開けて、見比べてみた。

上が「みさご」、下が現行全音ピース。
比べてみると、ペダルの付け方や、運指などは違っている。しかし見た目の印象、そして何より「みさごピース」そのものがファイルされているところからしても、おそらくこちらが底本となったことは想像に難くない。

楽譜

この「みさご出版」、編集者の篠野静江氏は日本のハーピストとして草分け的存在として活躍された人物らしい。ハープ奏者がピアノ楽譜の編集?その経緯も気になるところだ。
戦前までは、日本に小さな楽譜出版社たちが数多く存在していたという。そうした出版社たちが、自ら抱えていたピース作品を全音さんに受け渡すようにして今は姿を消している。作品たちは全音ピアノピースとして生まれ変わり、今も呼吸を続けている。よかったね、今でもあなたたちは、こうして手にとることができるよ。

この全音さんのピース・コレクションファイルは非常に貴重だ。この中には、あ、こんな会社もピース作っていたの?!というような、今は存在しないピースたちが眠っている。その一つに、なんと音楽之友社さんのピースも納められている!じつは会長と広報、すでに音楽之友社さんピースには関心を寄せており、音友さんご協力のもと、こちらもひそかに取材を続けている。近日中に「実はあった!音友ピース!」と題してお送りする予定です。

さて、美人編集者「ペンギン」さんの眼光は、一層鋭く光を増している。「コアラ」さんからのアイ・コンタクトを受け、さらに全音ピースの源流をわれわれに提示してくれることになる!
こちらについては、次回のレポートを待たれたい。もったいぶって、ごめんなさい。どうぞお楽しみに。

ZADAN第四回後記:広報
ついにピースの本丸・全音楽譜出版社への訪問が叶いました。ご協力いただいた「コアラ」さんと「ペンギン」さん(ご本人からいただいた仮名ですが、お二人を動物に例えますと確かに・・・微笑)そして全音の皆様ありがとうございます。
写真
このような取材をさせていただきますと、ピースという入り口から日本のピアノ楽譜文化が透けて見えてくるような気がします。「こんなにたくさんのピースたちが存在していたなんて!」今は見ることのない昭和の始めに発売されていた様々なピースたち。それらのラインナップをつぶさに弾き込むことによって、日本人の生活にピアノ音楽が刷り込まれ、そしてその文化が育っていったのだと言えましょう。今日、楽譜は私たちの身の回りに溢れ、諸外国の作品にもアプローチが格段にしやすくなりました。しかし曲の選択肢が広がる一方で、レパートリーの固定化が起こっていることも否めません。ある作品がポピュラリティを獲得していく一方で、別の作品は次第に忘れられていくという事実。全音ピースの約500に及ぶ作品たちは、どの一曲一曲も変わらぬ存在感でわたしたちの手に届くところにあります。ピースのラインナップ中にまだ耳にしたこともない作品があるのなら、日本ピアノ音楽受容の一端を担うその一曲を今、手にとってみるのはいかがでしょうか。

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