ピティナ調査・研究

連載:第15回 ブルグミュラーとバレエ音楽(1)

みんなのブルグミュラー

久しぶりの連載記事、今回は今までとちょっと視点が違います。25練習曲からは少し離れて、なんとブルグミュラー作曲のバレエ音楽のお話です。

チャンスはここから

みなさんは、ブルグミュラーが実は大のバレエ好きだったということをご存知でしょうか。彼の600曲以上にも渡る作品群の中には、バレエ音楽のピアノ編曲版がいくつも見られます。19世紀半ば、パリでピアノ教師として大活躍していたブルグミュラーは、バレエのお稽古場で奏でられるピアノのために、いくつも編曲を手がけていたのかもしれません。
そんなブルグミュラーに、全編みずからの手によって本物のバレエ音楽を作曲するチャンスがまわってきました。それが、1843年のバレエ作品「ラ・ペリ」の誕生です。フル・オーケストラ、全二幕の大作ですよ!やったね、ブルグ!!

 おっと、その前に。実は、ブルグミュラーが「ラ・ペリ」の作曲に至ったことは、さほど驚くことではないのかもしれません。というのは、ブルグミュラーはひそかに、すでに一作バレエ音楽を成功させていたのです。有名な「ジゼル」というバレエがありますね。この作品の音楽はアダンという人の作曲として知られていますが、実はこの中にはなんと、ブルグミュラーが作曲している部分があるんですよ!第一幕の「村人のパ・ド・ドゥ」です。物語の大筋には関係のない部分ではありますが、観客を魅了するダンスシーンの音楽なのです。

◆ 層の厚さを今一度、実感。
 筆者の渡豪により、この「みんなのブルグミュラー」コーナーへの寄稿が一時休止して約一年が経ちました。2007年7月、ちょうど一時帰国で東京に戻った私のもとに、ある読者の方から一通のメールが寄せられました。この方は私と同世代の「元昭和ピアノ少女」。そして小学2年生になられる娘さんが、ブルグミュラーを弾き始められたとのことです。メールには、親と子の二代に渡って同じ曲を弾けること、ご自身が懐かしさで胸がいっぱいになりつつも新たな発見を覚え、今また娘さんと一緒に楽しまれていること、そんなご様子が生き生きと綴られており、私もまた改めて感動をいただきました。これぞ、「みんなの」ブルグ。
 私たち「ぶるぐ協会」はさらに研究を深め、どんどん楽しくご紹介しようという思いを新たにいたしました。ありがとうございました。
写真
ジゼルを踊るプリマ・バレリーナ
カルロッタ・グリジ(1841)
「ジゼル」挿入曲

どんな音楽なのかざっとご紹介しましょう。これは全体が6つのパートに分かれています。導入は元気なアレグロ・アラ・ポラッカ。つづくアダージョはフルートの旋律がなんとも甘美、これぞブルグの真骨頂とも言えます!アダージョでしっとりしたあとはヴァリアシオンというバレエの見せ所音楽が3つ続いて、アレグロのコーダで終わります。
さて、このコーダですが、この曲は一部ピアノで弾くことができます!というのも、この部分は元来ブルグミュラーがピアノ曲として作曲した「レーゲンスブルクの思い出~華麗なるワルツ Souvenir de Ratisbonne, valse brillante op.67」から取られているのです。レーゲンスブルク...、そう、ここはブルグミュラーの生まれ故郷。このコーナーの連載第3回でレポートしたあの地でございます。どんな曲調かといいますと、これがまた、ノリは25練習曲の中の「スティリエンヌ」にそっくり。筆者の手元には今、国立音楽大学が所蔵している版がありまが、これは20世紀に入ってからパリで出版されたもの。バレエでは原曲の冒頭から40小節目までが使われていることがわかりました。

謎の作曲経緯

さて、「ジゼル」は1841年パリのオペラ座での初演より大成功を収めます。しかし、なぜアダンの作品に、一部分だけブルグが関わることになったのか。その詳しい経緯はわかっていません。当時のパリで、ブルグミュラーはコレペティ(バレエやオペラなど舞台芸術の音楽指導)として売れっ子であったということから推測し、我がぶるぐ協会では俗説もまじえて「こんな感じだったかも!?!」という妄想シナリオを作ってみました!


ぶるぐ協会編:「ぶるぐ氏、ジゼルの作曲に関わるの巻」
・テオフィル・ゴーティエ氏(ゴ): 売れっ子台本作者&プロデューサー、「ペリ」の台本でも有名。
・ぶるぐ氏(ぶ): ベテラン・コレペティとして活躍中(当時)、「ジゼル」公演にもコレペティとして参加。
1841年、「ジゼル」初演を間近にひかえたパリ・オペラ座の廊下での一こま。
ゴーティエ氏が楽譜を片手に頭をかきながら、登場。そこにぶるぐ氏が通りかかる。

ゴ:あっ!!ねぇねぇ、フレデリックぅ、ちょっとちょっとぉ~」

ぶ:「あぁ、ムッシュー。どうされました?」

ゴ:「アダンがさぁ~、1幕の幕切れの、そ、そうそう、あの大変なとこぉー。あそこを書くのにちょっと手間取ってるらしくってさぁ。で、後回しにしてるパ・ド・ドゥ、間に合いそうにないんだよねぇ。もう、振りをつけるとしたら、ぎりぎりだしさ。フレデリック、作曲もするんでしょ~?何か、こうささっとさぁ、気の利いたやつ書いてくれないかなぁ。」

ぶ:マジですか?そっかぁ、すぐに作曲しないと、ですね...。オペラ座パトロンのあのマダム、もっと曲数欲しいっていってるし、アダンもストレス抱えちゃってるしな。あっ、じゃあ一部を私のピアノ曲使ったりして、なんとかしましょう!
(やったぁ!・・・バレエ界に僕のレーゲンスブルクへの思いを投入しちゃおう!それにこんなチャンスめったにないし、一気に素敵なパ・ド・ドゥを作曲してみせるよっ!次の仕事につながるといいなぁ・・・)

この挿入曲、作曲の経緯ばかりでなく、作曲の事実すらあまり語られることのない部分です。ちなみに筆者は初めてこの作品のDVDを見たときに、どの部分がブルグ曲なのか、言い当てることができました(笑)!そのくらいに実は、アダンの音楽に比べると明らかにブルグ作曲の部分はメロディアスで、、しっとりとした風情が漂っています(特に上述のアダージョは泣かせます)。皆さんもお手元に「ジゼル」のCDやDVDなどがあれば、ブルグ好きのお友達に「どこがブルグかな?」と聴き当てクイズをやってみては?

野望への階段??

「ジゼル」挿入曲の創作を通じ、禁断の野望の引き出しを開けてしまったブルグミュラー・・・・いつかきっと全曲自作によるバレエ音楽を書くことは、ブルグミュラーにとって大きな夢であったかもしれません。それが結実したのが、「ジゼル」より2年後に発表された夢の作品、「ラ・ペリ」。次回はこの作品について、ご紹介したいと思います。お楽しみに!


目次 | 資料