ピティナ調査・研究

エッセイ:第03話 昭和ピアノ少年少女たちへ

みんなのブルグミュラー

この「みんなのブルグミュラー」コーナーの入り口に、先日から「お声をお聞かせください」というアンケート欄を設けました。こちらに届いたお便りのなかに、時代の空気漂うとても香しい文章がありました。本来は公開のためにエピソードを募ったわけではありませんが、あまりに気持ちの込められた素敵な内容でしたので、ここにご紹介させていただこうと思います。お寄せくださった方、心よりありがとうございました。そして私の勝手な判断をどうぞお許し下さい。ハンドルネームも伏せさせていただきます。

*********以下引用

「昭和ピアノ少女時代」、、、そう、昭和30年代に生まれ、日本の高度経済成長のまっただ中、小学生だった私には、まさしく「昭和ピアノ少女時代」と呼べる数年間があった。

クラスの女の子のおそらく半分位の子たちが、ピアノを習っていた。休み時間になると、教室の片隅にあったオルガンを弾き始め、覚えたての曲を披露していた子。私はそんな子を囲む残り半分の一人だった。

小学校3年生にもなると、それまでの定番「ねこふんじゃった」からいつの間にかブルグミュラーに。「アラベスク」が演奏されると、私はじっとその女の子の手を見つめていた。黒いのが3本並んでいる所の真ん中から左手が始まり、その後は、2本並んでいる所の左側から始まる、、、。その子がどんな表情で弾いてい たかなんて覚えていない。覚えているのは、何かが迫ってくるようなリズムと、右手と左手が交互に何かを語りかけてくるようなメロデー。そして「アラベスク」という童謡でもない、文部省唱歌でもない、聞けば外国の曲と想像されるそのタイトルだった。

親にねだり、私もピアノを習い始めた。嬉しかった。毎日学校から帰ると、ピアノを弾くのが楽しみだった。バイエルを終えて、私もいよいよブルグミュラーかと思いきや、渡された楽譜はブルグミュラーではなく、バッハのプレインベンションそしてソナチネだった。結局ソナチネを2曲位習ったところで、私のピアノレッスンは終わった。でも、それからはおこづかいで楽譜を買うのが楽しみになった。

 今でも、ページを開くことがある。

 全音 赤帯 「ブルグミュラー 二十五練習曲」 ¥130

 2番。 ラシドシラ ラシドレミ レミファソラ ラシドレミ

**********引用おわり

「昭和」、「高度経済成長時代」、日本中でどのくらい、こうした現象が起こっていたことでしょう。どのくらいの少年少女たちが、「アラベスク」や「貴婦人の乗馬」の響きに憧れ、おこづかいで楽譜を買ったり、自分の指が奏でる「あの曲」にうっとりとしたり、思うように弾けない不甲斐なさに悲しくなったりしたことでしょう。
きわめて個人的な体験。その特殊性こそが普遍性へと突き抜ける。どこかで聞いたそんな言葉が思い起こされます。

「みんな当時、本当に『貴婦人の乗馬』に憧れてたよね。私もギリギリ弾いてた。」
というのは私と同世代のある人の言葉。
「ギリギリ」というのは自分の持てる限界までの努力を投入して、何とか形にしたくて、何とか響きを鳴らせてみたくて、がんばって弾いていたということ。テンポは揺れに揺れていたかもしれない。指ももつれていたかもしれない。ヘタクソだったかもしれない。それでも。
たとえそんな音であってもきちんと感動していた。あの空間こそ、強烈な音楽の原体験。

天才でもない。ピアニストでもない。ただただピアノの音色が好きで、どうしてもそこに帰りなくなる。そのような、ややもすれば「普通の人々」として囲われてしまう、私たちの切実な想いを、ないがしろにして忘れてはならないと感じます。なぜならばそれこそが、日本のピアノ文化の土台であり、現実であるからです。私たちの「個人的な体験」こそが、連鎖となって大きなうねりをつくり、今日の「天才」を育てているのです。しかしこの大きなうねりは、大きすぎるがゆ えに見失われ、もともと「なきもの」として歴史のひずみに埋もれてしまいがちです。日本のピアノ文化を考えるとき、本来「なきもの」としてふたをされてし まってはいけないこうした言説を、ひとつひとつの物語を、少しでもひずみから救い上げることができたなら。

元昭和ピアノ少年少女たちへ。
もう一度ブルグミュラー、弾いてみませんか?
物語を思い出したら、どうぞ聞かせてください。心からお待ちしています。

 (第3話 おわり)


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