エッセイ:第02話 その奥にあるもの
ブルグミュラー「25練習曲」全曲熱唱と解釈トークをすっかり終えた私と会長は、なにやら急に恐ろしくなった。なぜ、歌えてしまったんだろう?なぜ、こんなに覚えているんだろう?私は北海道、会長は埼玉県でそれぞれ二十数年前に小学生時代を送っている。その二人が今ここでこんなに熱く語ることができるのは、単純に昭和少女時代へのノスタルジーの共有にしては、何かもっと局所的で偏愛的な感覚もある。それがピアノというものか?それが音楽というものか?
「刷込みだよ」
翌日、もう一人の同僚である向井氏に尋ねてみたとき、彼はいつもの柔らかい笑みを浮かべながら、このなにか邪悪な響きの一言を放った。 刷込み・・・。なんと恐ろしいことを。ちなみに刷込みとは、ヒナ鳥が生まれてまもなく目にしたものをずっと親だと信じ込んでしまったりするあの現象だ。一種の刻印付け。なるほど。タイトルはなく番号しかついていない「バイエル」、それはコドモからするとちょっとした禁欲の世界だ。そこからブルグミュラーの音楽と出会う。タイトルの言葉たちと出会う。「おしゃべり」「心配」「貴婦人の乗馬」などの言葉に助けられて、子供たちの頭に、いや心に、急にイメージの世界が膨らみはじめ、音楽がにわか生き生きと響きはじめる。そのときの強烈な喜びが、四半世紀もの時を越えてもなお、ひそかに記憶の中で脈うっているということか・・・。これはすごい。すごすぎる。
「さすが鋭いキーワードだね、向井くん。どうしてこんな刷込みがありうるのか考えてみたくなってきたよ。われわれの音楽体験としては、強烈すぎたってことだものね。」
「この刷込みについて考えるなら、お二人に限定されない可能性があるよ。ブルグミュラーがどれだけの人に弾かれてきたのか考えてみてよ。」
背中がうすら涼しくなるのを感じた。そうだ。思い起こせば、昭和ピアノ少女時代、私のクラスメートの大半はやっぱりピアノを習っていたし、友達同士で「今何番?あたしねー、もう少しで『小さな嘆き』おわるんだー」「えーうそー、○○ちゃんは『舟歌』おわったんだってー」とか話していたのを思い出したのだ。結構メジャーな会話だったような気もする。
自分たちの年代だけを考えてみても相当なものだが、しかしこれが親の世代や子供の世代にまで波及しているのかもなんて考え出したら、これはもう只事ではない。日本のピアノ人口の広がりのなかで、ブルグミュラーはどれだけの人々にどれだけの時代を経て弾かれつづけてきているのだろう・・・。その層が気になる。その層の厚みが気になる。つまりは日本におけるブルグミュラー受容の実体が気になるのだ。
仕事が終わり、帰りの電車のなかで、私は何かに取り憑かれたように下記のようなメモ書きをのこした。自動筆記のようなスピードで。
さまざまな疑問が私のアタマの中を回り始めた。明治から現代まで。日本人とピアノ。日本人とブルグ。ブルグと刷込み、あるいは限界、偏愛、信頼・・・。わけがわからないながら、こういう状態をブレーン・ストリーミングというのだろうと思った。これらの謎を整理し、研究の形にしていくためには、資料収集や論理構築の能力ある人間が必要だ。プロジェクト「ブルグミュラー再考」を進める上で、欠かせない人物は誰か。そうだ、あの男しかいない。私をここまでストリーミング・ハイに陥れた、まさに向井氏その人だ。気づけば私は彼を「ぶるぐ協会」のブレーンに仕立て上げることを決意していた。
そんなブレーンは、音楽学研究の生活のなかで洗練された日本語使いができる数少ない人だ。「『ブルグミュラー再考』プロジェクトに、なにかこう、ピンとくるプロジェクト名つけようよ」そう相談をもちかけて数日後、ある朝彼が私に「降りてきた」と言う。ものすごい期待感で私の胸は膨らんだ。やっときた!
向井氏はほとんど表情を変えず、いつもの柔らかい笑顔を浮かべて静かにささやいた。
「みんなのブルグミュラー」
そう言い残して、彼は仕事の持ち場へと消えていった。
残された私はその言葉のあまりの単純な響きにたじろいだ。「みんなの」??
数秒後、じわりと何かが実感された。あのブレーンが、そうそう単純に、そうそうナイーヴに「みんなの」なんて言葉を使うはずがない。「みんなの」という言葉に何を含み、何を席巻しようというのか。プロジェクトの展望のようなものが、キラリと私の脳裏をかすめた瞬間だった。
(第2話 おわり)