ピティナ調査・研究

連載:第01回 タイトルと日本語訳

みんなのブルグミュラー

連載の第一回目は、ブルグミュラーにまつわる最新の研究報告です。新しいブルグミュラーの顔を発見してもらえればと思います。


1. タイトルが大切なわけ

「25の練習曲op. 100」であまりに有名なブルグミュラー。意外に知られていない事実ですが、この作品は彼が45歳の年、1851年に作曲されたものです。一曲一曲にはタイトルが付いています。これはとても大切なことだと思います。なぜなら、「やさしい花」「心配」「天使の声」といった言葉がもたらすイメージは、演奏する人にとって大きな助けとなり、音楽をどのようにして豊かなものに色づけるか、その訓練をさせてくれるからです。それがこの曲集が「練習曲」とうたっている理由でしょう。とりわけ、バイエルやバーナムなど、番号や目的だけが付いた教材を弾いていたピアノを始めたばかりの子供にとっては、この曲集に入って初めて香しい言葉たちが寄りそう音楽作品に出会うのです。その体験は生き生きとした表現へのステップとなるはずです。

2. いろいろな日本語訳

ところで、タイトルの原語はフランス語だということをご存知でしょうか。日本で手にすることのできる楽譜には、フランス語から日本語への訳がついています。驚くことにこの日本語訳のタイトルは、実に様々なバリエーションをもっています。というのは、たくさんの出版社が「25の練習曲」を出版していて、それぞれが別個の邦題を付けているのです。通常、楽器店や書店で買いやすいものだけでも、20冊近くがすぐに見つかります(写真の楽譜はその一部)。代表的なものを一覧表にしてみました。 ここ をクリックして、一曲一曲のタイトルを比較してみてください。「やさしい花」や「せきれい」など、ほとんどどの版も変わらない曲もありますが、なかには一見しただけでは同じ曲とは思えないほどの違った日本語があてられた作品もあります。

そのひとつに14番《La Styrienne》があげられると思います。年間9万部を売り上げるという全音楽譜出版社の新版(1997年10月からの発売)では、このタイトルは「シュタイヤー舞曲(アルプス地方の踊り)」という日本語に訳されています。私自身がこの曲を練習していた小学生の頃(昭和50年代)には、「スティリアの女」というタイトルが一般的でしたので、最近になって新しい訳を知ったとき、本当にびっくりしてしまいました。

一方で、女でも舞曲でもない第三の訳として、「スティリアンヌ」というタイトルを付けている版もあります。イメージとしてはちょっと漠然としていています。しかしこれはある意味では無難なタイトルなのかもしれません。つまり、この場合は読み手にまかされているのです。「女」ととってもいいし、「舞曲」ととってもいいよ、と。

タイトルの訳し方ひとつで、同じ作品に女性の姿や踊りのシーンが見えたり見えなかったり。これは、日本がブルグミュラーを受容するうえで、「翻訳」というプロセスが介在するために生じる特殊なねじれ現象です。おもしろいことだと思いませんか?

3. 言葉のゆるやかさをどう生かすか

実際のところ、原題の《La Styrienne》にブルグミュラー自身がどのような意図をもたせていたのか、その真意を知ることは誰にもできません。しかし、そこに問題があるわけではないのです。作品のオーセンティシティ(=真正性)を後世の人間である私たちが追求すること、それが作品の真価を高めたり生かしたりするわけではないからです。
ブルグミュラー受容において大切なのは、21世紀に日本でこの作曲家の音楽を演奏する「今、ここ」の私たちが、彼の音楽にどのような幅を許し、なにを受け取り、なにを伝えていくか、ということなのです。

ピアノ指導者にはいくつもの選択肢があり、能動的にそれらを生かすことが出来るということに心を留めておきたいものです。

「スティリアの女」という言葉からそこはかとなく漂う香しいイメージが、音楽性の萌芽のかたまりである子供に、詩的な表現力をもたらすならそれでいいし、一方で、即物的な「シュタイヤー舞曲(アルプス地方の踊り)」というタイトルの根拠を考え直してみようとするのもまた面白いと思います。「スティリアンヌ」を選ぶなら、子供たちからの「先生、これどういう意味?」という質問に、どんな豊かな答えを用意しうるのか、思いを馳せる必要もあるかと思います。
言葉のゆるやかさから引き出される豊かさ。大切なことはそこにあるのだと思います。


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