第7回 オーストラリアのピアノ教育:ジョーダン・エレリー氏の場合
連載第4回でご紹介したとおり、オーストラリアでのピアノ教育システムは全体としてAMEBのグレードを軸として、理論と実践の両面から体系的に子供たちに音楽的能力を付けさせることがわかりました。
さて、今回お話を伺ったのは、現在EMIで音楽プロデューサーとして活躍されているジョーダン・エレリー氏です。シドニーで生まれ育ち、子供の頃より徹底したピアノ教育受け、AMEBでも最高レベルのグレードAMusAをお持ちのエレリーさんは、現在31歳。幼少のころ、彼がどのような音楽教育、ピアノ教育を受けてこられたのか伺ってみました。
5歳のころ、家にあったハモンド・オルガン※1 が最初の鍵盤楽器との出会い。お母さんが横に座って簡単な曲を教えてくれたそう。家族と毎週末教会に通い、聖歌やオルガンといった教会音楽にも親しんでいた。ピアノや読譜を本格的に習い始めたのは9歳から。レッスンは入学した私立小学校で始まります。トリニティ・グラマー・スクールTrinity Grammer Prepatory School、ここで出会ったクリスティーヌ・マッカーシー先生Christine MacCarthyが週に2回、ランチタイムの後30分のレッスンを特別に付けてくれた。「そのために僕は午後の国語の授業に遅刻していくことになるのだけど、あとで補習をすればいいことになっていた。それがトリニティの方針だったんだ。」マッカーシーは40年にわたりオルガニスト、指揮者として豪・米で活躍し、ABC放送局専属伴奏者を務め、シドニー音楽院でも後進の指導にあたっているという多忙な先生。レッスン開始2年後からは、先生のご自宅でレッスンを受けることに。
「レッスンの始まりは聴音から。先生がピアノで弾く音程や和音、アルペジオによる音型を度数で答えました。それからハノンのスケールをやって、次に課題の曲を弾きます。グレードのために選んだ曲が中心。演奏では、よく指や手首の使い方に注意を受けました。また、曲についての知識、たとえば『ミクロコスモス』ってどんな意味か、この作曲家はどんな人だったのか、辞典類なども使って教えてくれました。曲は最後の仕上げ段階で、先生の解釈によるフレージングやスラーを付けてもらいました。」非常に包括的な内容のこのレッスン、1時間あたり当時で90ドルの謝礼。「先生はいつも暖かく指導してくれました。僕の手が赤インクで汚れていたとき、僕が流血しながら弾いてるんじゃないかと慌ててくれて・・・(笑)」
ピアノ作品との出会いはグレード用にまとめられた課題曲集があり、ほとんどがそこからだったという。毎年、グレードをクリアするごとに、先生が次のグレードの課題曲集を丸ごと一冊目の前で演奏してくれた。「そこから好きなのを自分で決めるんです。バッハやモーツァルトが僕は好きでした。」
15歳、トリニティでの最終年にこの学校で得がたい体験をした。オーストラリア出身の代表的なピアニスト、ロジャー・ウッドワードの公開レッスンを受けることが出来たのだ。「楽曲の構成を非常によく説明してくれた。このレッスンのおかげで、僕は数日後のインナー・ウェスト・ピアノコンクールで優勝することができたんです。」
- 1 ハモンド・オルガンとは、もとはアメリカで1934年に発明された電子オルガン。安価で教会に設置できることを狙いとしていましたが、後にジャズやロックで使用されるようになりました。耳にすれば「ああこの音色」と思われる方も多いと思います。(少々古いですが、昔のTVドラマ「太陽にほえろ」のテーマ音楽はハモンド・オルガンで演奏されているそうです。)日本のエレクトーンに見た目は良く似ていますが、音を出す仕組みは違っています。
また、学校の通常の音楽科目も非常に充実していた。生徒たちは全員自分専用の鉄琴か木琴を使って授業を受けるという。バロック、古典派、ロマン派といった音楽史の流れはそこで押さえることができた。
しかし、ここで残念なのは、こうした授業やレッスンでは、ほとんどオーストラリア人作曲家について触れられる機会はなかったという。エレリーさんは、受容層が薄かったことが原因だと見ている。しかし前回の連載でもご紹介したとおり、AMEBの課題曲ではオーストラリア人作曲家の作品を多く取り入れている。エレリーさん自身はグレード5の課題曲リストの中から、スカルソープの《雪月花》を選曲し、演奏した。
AMEBのグレードは実技だけでなく理論の試験もあるため、同じく9歳のころから、理論の個人レッスンも開始する。楽典やソルフェージュ全般はミリアム・ハイド Myriam Hydeに師事した。ハイドといえばオーストラリアを代表するコンポーザー・ピアニストであり(ピアノ曲事典参照)、AMEBのシラバスを書いたその人だ。「先生の家の裏庭には温室があってね、先生は植物に水をやりながら僕に問題を出すんですよ。」なんとも大胆でおおらかなレッスン風景・・・。「いつも大き目のドレスを着て、快活な方でした。でも時に厳しい先生でしたね。」
ところで、オーストラリアといえばスポーツが非常に盛んな国。野球とよく似たクリケットというゲームが国民に人気だ。トリニティではこのクリケットの課外練習も必修だったそうで、エレリーさんは毎日クリケット練習のあと、週4回(実技2理論2)のレッスンに通い、夜は自宅でまた30分ピアノに向かうという忙しい子供時代だった。
高校はニュータウン・パフォーミング・アーツ Newtown High School of the Performing Artsへ進学。トリニティと個人レッスンで習得した技術によりオーディションには楽々合格。この学校で舞台音楽や指揮法などを身につけ、さらに奨学金を得てオーストラリア音楽大学 Australian Institute of Musicへ進学。ここでは専攻をジャズへと切り替え、現在の音楽プロデューサーの仕事へとそのキャリアを繋げた。大学在学中にグレード最高レベル AMusAを取得。現在も自身の音楽活動の根底には、クラシックで培った基礎が息づいていることを実感しているという。
このように、エレリーさんの受けた音楽教育は、
1.学校教育と個人レッスン両面からの充実したサポート
2.AMEBのグレード制度を主軸とした包括的アプローチ(実技・理論・音楽史)
により支えられている点が特徴的だと感じます。現在でもオーストラリアはピアノを習う子供は多く、日本からのヤマハやスズキ・メソッドによる音楽教室の活動も盛んです。今後、オーストラリア出身の若いピアニストたちが大いに活躍することを楽しみにしたいと思います。