27.「より本物らしく」—ピアノ編曲を通した作品理解(後半)
前回は、当初のピアノ編曲は比較的簡素に書かれていたのに対し、19世紀になるとより原曲の姿に近づくような編曲が生まれてきたことを、カール・マリア・フォン・ウェーバーの編曲を挙げて説明しました。
同時に、ピアノ編曲というものに対する人々の認識もウェーバーの作るような編曲の誕生に関連しています。気軽に演奏できる編曲を求める大衆や出版社とは逆に、理論家や作曲家の側では弾きやすさや販売可能性を重視した編曲に対する批判もありました。逆に彼らが求めるのは、「オリジナルの姿がわかること」「オリジナルが理解できること」でした。この考えそのものは全く新しいわけではありません。というのも貴族邸の蔵書から出てきたクラヴィーア・アウスツークにも、指揮者用・学習用といった意味はあったと言いますから。初期のクラヴィーア・アウスツークの中にはオーケストラの楽器が小さな音符で版刻されている場合もあり、オリジナルを映し出そうという意図が明らかに見て取れます。中には、ピアノ編曲は「出来るだけオリジナルに忠実に」と明言したクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ(1748〜98年)のような作曲家もいました。
現代とは異なり、まだ18世紀にはオーケストラやアンサンブルのための作品がフルスコア(総譜)で出回るという習慣は整っていませんでした。流通しているのはパート譜です。そうした状況下でネーフェは、ピアノ編曲が「総譜がない時に指揮や学習に使えるように」とコメントし、その考えのもとで楽器名を楽譜に記すよう薦めているのです。例えばネーフェが作ったモーツァルトの《フィガロの結婚》のヴォーカル・スコア編曲では注釈1、鍵盤楽器のパートは音符が密集していて、片手で複数の声部を弾き分けなければならないところも珍しくなく、とても初見では演奏できそうにありません。楽器名こそ書いていないものの、楽譜を眺めているだけでオーケストラの響きが聞こえてきそうです。先のヒラーの編曲と譜面を見比べてみるとこの違いははっきりわかるでしょう。
「オリジナルを表す」という理想は理論家の著作にも表れています。ハインリヒ・クリストフ・コッホも『音楽事典』(1802年)の「クラヴィーアアウスツーク」の項で、編曲の用途が作品内容の理解・学習であると明言しています。
さらに19世紀には、ゴットフリート・ウェーバーGottfried Weberが定期刊行物においてクラヴィーア・アウスツークのあるべき姿を詳細に論じています。彼は、アマチュア向けで商業ベースのピアノ編曲を批判し、編曲が誰のために作られていようとも、作品に忠実であるように、編曲は指揮者用の総譜として役立ち得る質でなければならないと説いています注釈2。
このような編曲をめぐる思想や状況の二極化から、単なる愛好家の趣味とは別に、プロや音楽知識人たちの求めるピアノ編曲の潮流があったと捉えてみれば良いのでしょう。彼ら音楽を生業とする人々や、プロまで行かずとも音楽に造詣の深い人々にとってみれば、ピアノ編曲はパート譜ばかりの時代に作品の全容を細部まで見通せるものであり、それによって作品の理解を助け、彼らの学究意欲を満たす必要があったのです注釈3。実際、シューマンはベルリオーズの《幻想交響曲》を研究するのにリストのピアノ編曲を「レジュメ」として使ったようですし注釈4、専門家たちは作品の細部を知るためにピアノ編曲の力を借りていました(なんだか現代の我々が建築の構造を学ぶのに模型を見るのと似ている気もします)。
こうした用途のピアノ編曲なら、演奏する「楽しみ」は二の次でしょう。G. ウェーバーはピアノ編曲であれ「演奏可能であること」を重視していますが、その際にオーケストラのパートを書き込んで複雑になるのを見越して、場合によっては省略していい音を指示するように勧告するほどです注釈5。
楽曲内容の理解を演奏の楽しみより優位におく姿勢として面白い例が、ベートーヴェンが自作の弦楽四重奏曲《大フーガGrosse Fuge》op. 133(1825年)注釈6をピアノ連弾用に編曲したケースです(1826年に完成したピアノ編曲はop. 134として単独出版されました)注釈7。これは第三者(アントン・ハルム)が作った編曲を不満に思ったベートーヴェンが自ら編曲し直した楽曲の一つなのですが、どうやら彼はオリジナルのフーガの声部進行が崩れてしまうのを忌避したらしいのです。その結果として、連弾を弾こうと思えば奏者同士の手のぶつかりや交差が生じる箇所が少なくなく、実に弾きにくい。ただしその反面、オリジナルの声部進行が分断されるのは避けられています注釈8。これはすなわち、弾けるかどうかよりもオリジナルの楽曲の構造がわかるかどうかの方が優先順位が上ということ。まさしくピアノ編曲に作品の理解の一助を求めた思想に合致します。
このように、19世紀におけるオリジナルの響きに近づいたピアノ編曲は、ピアノという楽器の発展や職業音楽家・理論家の思想を支えに作られていったのです。その際に演奏できるかどうかは最重要事項ではありません。特にフランツ・リストの編曲は、リストなら弾けても生半可な腕前では太刀打ちできません。もし録音もフルスコアの出版も普及していたら、演奏に多大な苦労を強いるピアノ編曲を使って学習しようと思う人がそこまでたくさんいたでしょうか。録音、フルスコアともに充実した現代だったら、考えつかなかったことかもしれません。そしてリストらの編曲を聴いてみると、オリジナルを想起させながらもオリジナルとは別の「ピアノ曲」としてのダイナミックさが魅力的です。技術の発展が万事に関して「発展」と呼べないなあと感じるとともに、不足の事態は創造の原動力にもなる、そんな一文も浮かびます。
- IMSLPで楽譜を閲覧することができます(第2幕以降のヴォーカル・スコアも掲載されています)。
- Gottfried Weber, Über Clavierauszüge überhaupt, und insbesondere I. über die von Händel/s Josua, II. Schneider's Sündfluth, III. Mozart's Misericordias, IV. Weber's Eurzante, V. Spointini's Olimpia, VI. Spohr's Jessonda, VII. Feska's Kantemire, VIII. dessen Omar und Leila, IX. Carafa's Solitaire, X. Auber's Neige, XI. dessen Leocadie, XII. Rossini's Semiramide, XIII. dessen Telmira, XIV. Mozart's Figaro, XV. Marschners Holzdieb, Cäcilia, 1825/3: 23–72. Schaal and Burmeister (2016)およびMarkus Bandur (2016), "Die Entstehung des professionellen Klavierauszugs. Carl Maria von Weber, Gottfried Weber und die Nachbildungen des vollständigen Werkes in verkleinertem Masstabe," in Schumann Forschungen, vol. 15, Klavierbearbeitung im 19. Jahrhundert. Bericht über das Symposion am 25. November 2012 in Köln, eds. Birgit Spörl (Mainz et al.: Schott), 135–139に引用。
- 学習の機能はG. ウェーバーの論考にも書かれています。19世紀には、4手ピアノ編曲が特に作品の内容に親しむのに適するという見解が見られます。作品の普及や理解等、4手ピアノ編曲が担う意味や当時の需要の高さについては、Thomas Christensenの論文が詳しく扱っています。
Thomas Christensen (1999) “Four-hand piano transcription and geographies of nineteenth-century musical reception.” Journal of the American Musicological Society. 52, no. 2: 255-298. - Edler 2016, 31.
- Bander 2016, 138.
- 元々は弦楽四重奏曲op. 130の終楽章になるはずだったもので、あまりの長さに他楽章から切り離して単独出版されました。
- この編曲でベートーヴェンは冒頭に「Overtura」と上書きした4手のオクターヴによるトレモロのセクションを付け加えており、この点にはオリジナルに対する忠実性ではなく、ベートーヴェンの自作編曲にしばしば見られる創造性が認められます。ひょっとしたら単独作品としての出版を意識し、体裁を整えようとしたのかもしれません。
- 土田英三郎「いっそうの普及と『いっそうの普及と収益のために』 ─編曲家としてのベートーヴェン─」『国立音楽大学音楽研究所年報』14(2000):5.