ピティナ調査・研究

25.ピアノ編曲の用途

25.ピアノ編曲の用途

ピアノ編曲は何のために作られたのでしょうか。またはピアノ編曲は誰のために作られたのでしょうか。この疑問に対してはさまざまな答えが出てきますし、ソロ・ピアノ用、連弾用、二台ピアノ用と、ピアノ編曲のタイプによっても異なってきます。しかしピアノ編曲が作られ始めて以来、現在まで変わらぬ二つの主要な目的があるようです。それはすなわち、「練習用・学習(研究)用」と「家庭での演奏」で、特に大編成の作品はこうした用途のためにピアノ用へ編曲されていました。前者は歌手の練習や、全体を把握する必要のある指揮者用という実用的な理由であり、後者は録音に代わって作品を普及させたり、家庭で大規模な作品を再現したりするという、これまでにもお話ししてきた理由です。1802年に刊行された『音楽辞典Musikalisches Lexikon』において、理論家のハインリヒ・クリストフ・コッホも「クラヴィーア・アウスツークClavierauszug」の項で以上の用途を挙げています注釈1
ただし、ピアノ編曲の作り方、いわばピアノ編曲の「様式」は一様ではありませんでした。また、「様式」に呼応する形でピアノ編曲に対する考え方も時代とともに変わっていったようです。

個人で楽しむピアノ編曲

「クラヴィーア・アウスツーク」が早いうちから家庭での私的利用に使われていたというのは、18世紀初期のクラヴィーア・アウスツークが侯爵らの蔵書に保管され、手稿譜で見つかっている、という事実に支えられています注釈2。私的空間で音楽を楽しむ人は職業音楽家のような腕前を持つ人ばかりではありません。また音楽作品を楽しみたいという気持ちも演奏の腕前で決まるものではありません。初期に作られた大編成の作品のピアノ編曲は、オリジナルのパート全てを忠実に再現するのではなく、簡素に作られる傾向があったようです。
作品が主に手稿譜で出回る時代から時を経て、楽譜出版業が発展してくると(そして推察するにピアノという楽器が普及してくると)、大編成の作品をピアノで演奏して楽しみたいというアマチュアの欲求は、商業的に利用されるようにもなりました。たびたび触れていますが、18〜19世紀において大編成の作品の楽譜はしばしばピアノ編曲と同時に出版されていましたし、スコアやパート譜が出版されるよりも前にピアノ編曲が刊行されるのも珍しくありませんでした。そして出版社だけでなく作曲者も世間の趣味嗜好を見定め、自らピアノ編曲を出版社に売り込むこともありました。例えばベートーヴェンは自作のオペラ《レオノーレLeonore注釈3第2稿について、出版社のブライトコップフ・ウント・ヘルテルに序曲(《レオノーレ》第3番)のピアノ編曲が提供できると申し出ています。こうした機会にはしばしば作曲家本人ではなく弟子などに編曲が任されたものです。この序曲の場合、編曲を任されたのはカール・チェルニーでした。チェルニーは自伝の中で、ベートーヴェンが編曲についてくれたコメントが後々、チェルニー自身が編曲を行っていく時にも役立ったと感謝の気持ちを述べています注釈4。ただし、悲しきかな、弟子などが編曲して出版されても編曲者である弟子の名前は表紙に載らないことも多く、また弟子がもらった報酬がいかほどかというのもわからなかったりするのですが……。

出版社が経済利益のために編曲を利用したことは繰り返し述べてきましたが、ピアノ編曲に関しては特に19世紀、かなり戦略的な楽譜刊行に乗り出した楽譜出版業者もありました。それは「ピアノ編曲シリーズ」の発刊です。例えば1806年にウィーンのカッピ社は、『音楽週刊誌Musikalisches Wochenblatt』と題して、人気の舞台作品の抜粋によるピアノと歌唱声部のための編曲を定期刊行しているのです(年間四巻の冊子にまとめられています)注釈5。カッピは週刊誌を創刊するに当たり、新作だけではなく旧作も尊重する旨を述べています注釈6。その言葉通り、例えば第1巻を冒頭から見てみますと、W. A. モーツァルトの《イドメネオ》(1781年初演)の序曲に続いて、アントン・フィッシャーによるオペラ《エルベ川の要塞 Die Festung an der Elbe》(1806年初演)から行進曲、ニコラ・ダライラックの一幕もののコメディ《ニーナNina》(1786年パリ)からロマンツェなど、一昔前の上演作品から最新作まで内容は彩り豊かです。
同じような試みは他の出版社にもあります。ハースリンガー社は『歌とピアノフォルテのための演劇ジャーナル Theater-Journal für Gesang und Pianoforte』や『若者のための劇作品集Theater Bibliothek für die Jügend』と題したピアノ編曲シリーズを出しており、カール・チェルニーは後者のために多数の編曲を作っています(チェルニーは相当な数の編曲を作っており、本人自身も自伝で自作品の数について触れるとき、編曲は入れていない、と言っています注釈7)。
それでは、ピアノ編曲そのものの内容はどんなものでしょうか? 先に上げたカッピ社の『音楽週刊誌』で言えば、一曲のページ数は大体、1〜2ページ程度。概ね見開きページで曲の全体が見られるので、弾いている最中にページを捲る必要もありません。ピアノ声部は一定の音形の単純な反復が多いほか、和音の音の数もぎっしりということもなく、総じてレベルは低めだと思えます(下手な筆者でも大体のところ初見で弾けそうです)。ここから、対象はアマチュア奏者で、さほど修練を積んでいない人でも楽しめるように作られているのは明らかです。演奏会などではなく、余暇的な楽しみで演奏するなら、演奏レベルを低く抑えて広い層に買っていってもらう方が良いでしょう。
そして、なぜこうしたシリーズがピアノのために発刊されたのかといえば、その背景にはやはり19世紀に進んだピアノの普及も関わっているのではないでしょうか。受容者の側にも出版社の方にも歓迎されるだろうピアノ編曲シリーズは、現在でも毎月毎月、新しいレパートリーを求めてピアノ雑誌を買い求めるのと似ていますし——こうした現在の習慣へ続いていく元になるものだったのかもしれません。

  • Heinrich Christoph Koch , Musikalisches Lexikon, Frankfurt am Main: August Hermann der jüngere 1802, Faksimile-Reprint (Kassel, et al.: Bärenreiter, 2001), 342–343.
  • MGG Online, “Klavierauszug.”
  • 正式なタイトルは《レオノーレ、または夫婦愛の勝利Leonore oder der Triumph der ehelichen Liebe》ですが、劇場側がベートーヴェンの意に反して勝手に「フィデリオ」とタイトルに入れてしまいました。このオペラには複数のヴァージョンがあり、現在は最終稿のみを《フィデリオ》、それ以前の稿を《レオノーレ》と呼ぶのが慣習になっています。なお、現存するオペラは最終稿を合わせて3つの稿がありますが、序曲は全部で4曲伝わっています。最終稿の序曲は《フィデリオ》序曲、それ以前の3つは成立順に《レオノーレ》序曲第2番、第3番、第1番と呼ばれています。番号が成立順と異なるのは、後世の研究者が成立順を誤解したためです。
  • Cahl Czerny, Erinnerungen aus meinem Leben, edited and commented by Walter Kolneder (Strousbourg: P. H. Heitz; Baden-Baden: Heitz, 1968), 20 (Sammlung Musikwissenschaftlicher Abhandlungen, Bd. 46).
  • 下記文献で譜例を見ることができます。
    Ladislaus Lang ed. (2011), Bibliographie der österreichischen Zeitschriften 1704-1850. Edited by Helmut W Lang, Österreichische Retrospektive Bibliographie, Series 3, Österreichische Zeitschriften, vol. 2. M-Z. Berlin, Boston: De Gruyter Saur, 84.
  • Wiener Zeitung, 1806, No. 82, 11. Oct. p. 5149.
  • Czerny 1968, 27.