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コラム:オマージュとしての編曲

コラム:オマージュとしての編曲

これまで見てきたように、編曲は経済的利益の増加や演奏レパートリーの拡大といった実利的な側面、そしてオリジナルに多数の変更を加えてオリジナルとはまた別の楽曲のあり方を実現するという芸術的側面、それぞれに意義が見出せました。この回ではさらにもう一つ、オマージュとしての編曲の意義に簡単に触れましょう。
編曲を作るとき、編曲者はどのような基準で楽曲を選んでいるのでしょうか。経済的利益を望むのなら人気のある作品を選ぶでしょう。以前紹介した、《後宮からの誘拐》の編曲に対してモーツァルトが述べたコメントはそれをよく表しています。作品ではなくて作曲家の人気の度合いも基準になり得ます。芸術的欲求から編曲を作るとすれば、作曲家が昔の作品を見返して「今ならこうするのに!」と編曲を決断するのかもしれませんし、知り合いの演奏者からインスピレーションを受ける可能性もあります。他にファン・スヴィーテン男爵がヘンデル作品の上演を望んだため、モーツァルトが編曲を行なったように注釈1、第三者から依頼を受けるケースも考えられます。
さて、様々な動機で行われる編曲の中で比較的多いのが、オリジナルの作曲者に対する尊敬の念に端を発すると思われる編曲です注釈2
一見すると、この編曲の動機には矛盾があるようにも思えます。元の作品を優れていると感じたり、作曲者を尊敬したりしているならば、編曲によって自分が価値を認めた元の作品の姿が変えられてしまうことに抵抗があるのではないか、と疑問になります。または、オリジナルを変えるのは作曲者に対して失礼に当たる、と遠慮を感じるのでは?
しかしどうやらこれは、オリジナル至上主義に侵されてしまった考え方かもしれません。というのも19世紀の作曲家らは、編曲による改変をもっとポジティヴに考えて、場合によっては必要性すら感じて編曲していたようなのです。
そうした編曲の一つに、チャイコフスキーの管弦楽組曲第4番《モーツァルティアーナMozartiana》(1887年編曲成立)があります。この作品はモーツァルトの鍵盤楽器のための4つの作品を大編成の管弦楽用に書き直し、それらを組曲の各楽章に割り当てた作品です(第1楽章のジグはK. 574、第2楽章メヌエットはK. 355/567b、第3楽章「祈りPreghiera」はモーツァルトの《アヴェ・ヴェルム・コルプス》K. 618に基づいたリストの作品《システィーナ礼拝堂で》S. 461の管弦楽編曲、第4楽章の主題と変奏はグルックのオペラ《思いがけない巡り合い》より「我ら愚かな民の思うは」の主題に基づく10の変奏曲K. 455)。

チャイコフスキーが初版譜の序文に記した文を読むと、この編曲にあたって彼はモーツァルトの作品に何かしら不満があったというわけではないようです。というのもチャイコフスキーが編曲を作った理由というのが、あまり知られていないモーツァルトの作品がもっと演奏されるようにするためだというのですから注釈3(そう言う割には、K. 618のオリジナルではなくリスト編曲を元にしているあたりに矛盾も感じますが)。

同じく19世紀の作曲家がモーツァルトの鍵盤楽器のための作品を編曲したものの中には、面白い例があります。何が面白いかというと、チャイコフスキーのように編成を丸ごと書き換えるのではなく、追加声部を加える形での編曲なのです。編曲者は北欧の作曲家、エドヴァルド・グリーグ。彼は1876年から翌年にかけて、モーツァルトの4曲のピアノ作品に伴奏パートとしてのもう一つのピアノ・パートを加え、《追加で作曲した第二ピアノの伴奏付きピアノ・ソナタ》として出版しました(オリジナルはピアノ・ソナタ ヘ長調K. 533/494、幻想曲とソナタ ハ長調K. 474・K. 457、ピアノ・ソナタ ハ長調K. 545、ピアノ・ソナタ ト長調K. 283)。この編曲はつまり、オリジナルは手付かずのまま、伴奏パートを加えた二重奏にしたということです。グリーグは若い頃からモーツァルトの影響を受けていましたので注釈4、この編曲も先人に対する尊敬から作られたと考えられます。

20世紀の例も一つ取り上げましょう。18世紀末よりはるかにオーケストラが拡大したこの時代に、シェーンベルクがブラームスのピアノ四重奏曲op. 25をオーケストラのために編曲しています(1937年)。ブラームスに特徴的な作曲技法を「発展的変奏」と呼んだことに代表されるように、シェーンベルクがブラームスを高く評価していたのは有名です。このピアノ四重奏曲を編曲したきっかけそのものは指揮者のオットー・クレンペラーからの刺激ですが、編曲を実行したのには先のチャイコフスキーと似た理由がありました。シェーンベルクが編曲の動機を語ったところによれば、「1. その作品[ブラームスのop. 25]が好きである、2. それ[作品]が演奏されるのは稀である、3. その作品の演奏はどれも大変よろしくない。というのもピアニストが良ければ良いほど大きな音で演奏してしまい、弦楽器が何も聞こえないからだ。私は全てを一度に聴きたいと思った。そして私はそれを成し遂げたのだ」とのこと注釈5。この発言を聞くと、作曲家が作品を愛していたからこそ、そしてその作品の真価を世に伝えたかったからこそ編曲したということが伝わってきます。

これらの例から分かるように、編曲が生まれたのには「オリジナルの別の響き方を聞いてみたい」「オリジナルの姿を変えたら別の楽しみが得られる」という欲求よりもむしろ、オリジナル作品そのものを世に伝えたい、という望みが理由になることもありました。自身が崇敬する作曲家をより多くの人々へ広めるにあたり、オリジナルではなく編曲の形を選ぶというのは、録音にすっかり慣れた現代の私達からすると意外かもしれません(シェーンベルクの時代にはもう録音がありましたが!)。しかしミュラーが指摘するように注釈6、作曲家たちは過去の音楽のリバイバルにあたって、自分たちの時代の音楽様式に合うよう手を加えていました(メンデルスゾーンが1829年にバッハの《マタイ受難曲》を復活上演した時も、メンデルスゾーンは編成を拡大し、楽曲を部分的に省略して演奏したと言います)。こうした変更には、19世紀の歴史主義が「自分たちの時代に合わせて対象を調節することによって『時代を超えた価値』というものを明らかにしようとした」という思想的背景が絡んでいます注釈7
オリジナルが好きだからこそ編曲する——この行為をみると、作品の価値を捉え、それをどのように伝え、またどのように理解すべきなのかという問題には、各時代、各個人それぞれに独自の考え方があるのだ、と再確認されます。

  • 西川尚生『モーツァルト』東京:音楽之友社、2005年、171–172.
  • 過去の作曲家やその作品に対する尊敬・関心から作られた編曲には、その作曲家の技法を会得するために行う学習の性格が濃い編曲もあります。例えばモーツァルトもヘンデルやバッハ作品の編曲を通して両者の作曲法を吸収しようとしていました(西川 2005, 138)。ただし今回は、この種の学習を主目的にした編曲は議論に入れません。
  • 《モーツァルティアーナ》については、チャイコフスキーの研究者グループによるウェブページ“Tchaikovsky Research,” www.tchaikovsky-research.net, “Suite No. 4”, http://en.tchaikovsky-research.net/pages/Suite_No._4を参照(Accessed 14 August 2020)。
  • グリーグのモーツァルト受容や編曲については以下を参照。John Horton, and Nils Grinde. "Grieg, Edvard." Grove Music Online. 2001; Accessed 14 Aug. 2020. https://www-oxfordmusiconline-com.; Harald Herresthal, Heinrich W. Schwab, Finn Benestad, “Grieg, Edvard Hagerup”, MGG Online, edited by Laurenz Lütteken, Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016ff., article published November 2018, sccessed August 14, 2020, https://www-1mgg-2online-1com
  • Terese Muxeneder, “Johannes Brahms: Klavierquartett g-Moll, Op. 25 für grosses Orchester gesetzt (1937)”, Arnord Schoenberg Center, last updated 4. Juli 2018, Accessed 14 Aug. 2020, https://www.schoenberg.at/index.php/de/faq/johannes-brahms-klavierquartett-op-25.
  • Antje Müller, "Die Wiederentdeckung alter Musik. Bearbeitung als Aneignung und Auseinandersetzung mit Tradition“, in Musikalische Metamorphosen: Formen und Geschichte der Bearbeitung, edited by Silke Leopold, 2nd ed., Bärenreiter-Studienbücher Musik 2 (Kassel: Bärenreiter, 2000), 149.
  • Ibid.
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