22. 創造的編曲(2)
前回に引き続いてベートーヴェンの自作編曲を見ていきましょう。具体例としてピアノ・ソナタ作品14第1番から弦楽四重奏曲への編曲を取り上げることにしましたが、その理由は変更箇所が多いことでした。
編曲の際には、楽器独自の奏法上の特性、すなわち楽器語法に配慮して音形が書き換えられるのは当然といえます。そうした楽器語法に起因すると思われる変更の在り方は概してパターン化しますので、重要視しすぎるのは危険です(例えばピアノの分散和音伴奏を弦楽器では複数の楽器の和音にするなど)。
しかしピアノ・ソナタ作品14第1番から弦楽四重奏曲への編曲には、そうした語法上の問題にはとどまらない変更で、楽曲全体の多くに共通して見られる手法があるのです。それらは次のようにまとめられます。
- 反復の回避
- 音楽の切迫と高揚の強化(特に形式的な区分の終わりに向けて勢いを増す)
- 楽曲の部分間の関連の強化
- 移行の円滑化と、その結果としてのより大きな形式的まとまり
これらの手法は必ずしも個別的に起こるのではありません。むしろ多くの変更が複数の機能を果たす形で、オリジナルの楽曲構造が「作り変えられて」います。
とはいえ、上に挙げた言葉だけではあまりに抽象的です。そこで、編曲全体でも特に劇的に変更されているように見える(「見える」と書いた理由は後述します)第3楽章の展開部を例に取ります。というのもこの展開部には、上に挙げた点を筆頭に、この作品でベートーヴェンが取った編曲手法の特徴が凝集しているからです。
- 小節番号
- 構成
- ①47–55
- (2+2)+(2+2)
- DT進行(G→a)
- ②54–58
- 2+2 (?)
- TSDTカデンツの繰返し
- ③58–65
- 2+2+2+2
- 2小節毎の和音交替
- ④66–70
- 2+2
- ①の移調反復
- ⑤70–75
- 3+3
- ④の発展形
- ⑥76–79
- 2+2
- 1小節毎の和音交替
- ⑦80–83
- 4
- ドミナント上の上行音階
- 小節番号はアウフタクトも含みます
- 構成の欄の数字は、形式を構成する楽句の長さ(小節数)を表します。
T:トニック、D:ドミナント、S:サブドミナント
さて編曲はどうなっているかといえば、旋律を担う第1ヴァイオリンをみると、まるで原曲をまるっきり書き換えてしまったかのようで、二つのヴァージョンは比較に値しないのでは、とすら思われるかもしれません。しかしそうでしょうか? 注意深く旋律を辿ってみると、ヴァイオリンはしっかりと原曲の旋律の骨格音を辿っていることがわかります。
(譜例では、対応する音のうち主なものを赤で色付けしています)
このように両者の旋律の骨子が等しく、比較が妥当とわかったところで上の特徴を詳しく確認していきましょう。
オリジナルでは大抵、各部分を成す短い楽句同士は反復の関係にあるか(表の①, ④, ⑥)、互いにによく似た書法が取られていました(②, ⑤)ところが編曲では、そうした反復や類似書法が少なくなっています。またオリジナルではどちらかといえば書法の変化に乏しい部分(③, ⑦)は、編曲において内部にコントラストが生まれています。ここで展開部全体の譜例を載せることは出来ませんから、一部のみ示しましょう(ピンクの色掛けが反復(変化反復)部分です)。
オリジナル
編曲の各部分にベートーヴェンが新たに生み出した音楽のコントラストはどういった類のものでしょうか。この点に、もう一つの特徴が現れています。各部を構成する楽句を前後で比べてみると、編曲ではそのほとんどで初めの楽句よりも後の楽句の方が伴奏パートのリズムが律動的になっていますし、後の楽句に跳躍や音域の拡大が目立ちます(先ほどの譜例の②を参照)注釈2。また一つの楽句の内部では、音価の短縮や音域の拡大、跳躍の多用は後半部分に目立ち、楽句の後ろに向けて勢いが高まるという音楽の流れが出来ています(譜例の③、⑦参照)
ベートーヴェンの音楽の大きな特徴といえば、動機操作ないし主題操作を用いた楽曲内部の精巧な網の目構造です。代表例として交響曲第5番「運命」では、冒頭の同音反復のいわゆる「運命動機」が楽章内部どころか4楽章通して、ある時はそのままの形で、ある時は姿を変えて現れ、作品全体を統一しています。作品14第1番の編曲でも、オリジナルからの変更の中には、そうした関連の網の目を密にしているものが多くあります。
第3楽章展開部でまず目につくのは、楽章のロンド主題の動機が新たに入り込んでいることです。すなわち第47-55小節の第2ヴァイオリンとヴィオラ、第58-65小節のチェロに主題第5小節目の旋律のリズム動機が加わっています。その結果、オリジナルでは提示部・再現部との関連が薄かった展開部が、両者と明確な繋がりを得ているのです。(譜例2と3を参照)
関連はもう少し狭い範囲でも作られており、例えば編曲で新たに作られた各部分内部のコントラストがその関連の種になっています。すなわち第56-58小節の伴奏の三連符のリズムは次の第58-65小節を構成する各2小節目の伴奏リズムを先取りしていますし(譜例2参照)、第69小節には続く第70-75小節の内声のリズムが入り込んでいます。このように、新たに作られたコントラストないしは「勢い」は、単に音楽の推進力を増すだけではなく、音楽の流れの中にオリジナル以上に明確な繋がりを作り出しているのです。
さて、オリジナルから劇的に変化した展開部の旋律は、反復を特徴とするオリジナルのそれとは違ってどこかで区切るのは容易ではなく、むしろロング・スパンな旋律線を描いていると言って良いでしょう。すなわち、より広い範囲での音楽のまとまりが作られている、ということです。これに関連して、ベートーヴェンは編曲の実に多くのところで、ある形式区分から次の部分への滑らかな移行が果たされるようになる変更を施しています。
引き続き第3楽章展開部からひと目でわかる例を取れば、第58-65小節のチェロに与えられたロンド主題旋律動機の最終音が次の2小節に喰い入り、前後の2小節を分かち難く結びつけています(譜例3のロンド主題旋律と譜例2のチェロを比べてみてください)。このほか、オリジナルでは各部分を構成する楽句の小節冒頭に多く見られた休符が、編曲では直前の小節から続く音形の最終音によって埋められています(譜例2にご注目ください)。書き換えられた主題旋律が直前の小節から次の小説の頭への導音進行を成し、不協和音と解決という和声的な連結感をも作り出すものもあるのです(例えば譜例1の編曲の48-49小節などに注目)。また、先に取り上げた後続部分のリズムの先取も繋がりを強めるファクターの一つと捉えられるでしょう。
このように前後の部分の移行を滑らかにするということはすなわち、形式内部に存在する「区切り」を和らげるとも言い換えられるでしょう(秩序ある楽曲構造を保つために、けして「区切り」が無くなるわけではありません!)。これは俯瞰的に見れば、楽曲内部にある細分化可能な構成単位同士を一連の流れとして結びつけ、より大きなまとまりを築き上げていると解釈できます。
以上に分類した手法は編曲の全体を通して実に多くのところに現れます。その結果として、編曲では楽曲内の統一性が高まり、コントラストや推進力が増し、オリジナルにはなかった筋道通った劇的な音楽の運びが実現されているのです。
さて、以上に説明した特徴・機能を持つ変更の中には、実にベートーヴェンらしい手法もあります。次回はそれを数例取り上げて、全体のまとめに入りましょう。
- 譜例は前回と同じくヘンレ社の校訂楽譜を加工・引用。譜例1はヘンレ社の楽譜を元に作成。
- 反復の回避と形式区分の後半での勢いの増大は、第1楽章副主題群(第38-46小節、第129-137小節)にも当てはまります。