ピティナ調査・研究

20.拡大編曲 (2)

20.拡大編曲(2)
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲 Op.1第3番ハ短調の弦楽五重奏編曲 Op.104(3)

さて、ベートーヴェンはカウフマンの編曲を「3声の五重奏曲」とかなり皮肉に評していますが、上に見たようにカウフマン自身も個々の声部がより自立的に動くよう、少なからず工夫を凝らしていました。 それではベートーヴェンはどうしているの? といいますと、作曲家本人はカウフマンがオリジナルの音形をほぼ変えずに写したところを、もっと大きく変える「赤入れ」をしています。 まずカウフマンも多少は行っていた、各声部の動きをより活発にする変更について、先に示した第2楽章を比べてみましょう。カウフマン稿では8分音符で一貫していたヴィオラを、ベートーヴェンはより特徴的でリズミックな音形に変えています。【譜例7, 8(譜例番号は前回から継続しています)】

譜例7
Op.1第3番 第2楽章 冒頭
Op.104
譜例8
Op.104第2楽章第1変奏(最後の2小節のファースト・ヴィオラを前回の下記譜例と比較してみてください)
カウフマン稿

他にも休符だった声部が参入するところではアウフタクトを加えるなど、声部進行がより滑らかで上声の対旋律的な動きへ変わっているところも多数、見受けられます 。注釈1【譜例9】

譜例9
Op.104 第3楽章 トリオ(下記譜例のカウフマン稿と比較してみてください。赤字はベートーヴェンによる修正。)
Op.104 カウフマン稿

さらにそうしたアウフタクトに既存動機を用いるというさりげない方法で、部分間を関連づけているのも面白いものです。【譜例10】

譜例10
Op.1第3番第1楽章 第18小節〜 Op.104(赤はベートーヴェンによる)

カウフマンがオリジナルそのままの声部進行を転写して、ある特定の声部ばかりが優位になっているところにベートーヴェンが手を加え、他の声部が単調な伴奏に陥らないようにしているところは他にも多数あります(譜例3に1つ例をあげましたが、他の譜例でも探してみてください)。結果として聴衆の耳はより多くの声部の動きを追うようになるでしょう。このようにしてベートーヴェンは、カウフマン稿以上に声部間の主従関係を緩やかにし、より平等な関係を作り出しているのです。
Op. 104はカウフマンに由来すると思われる変更にしろ、Grasnik11に書き込まれたベートーヴェンの修正にしろ、オリジナルからの変更が非常に多く、ここで紹介するにはとてもスペースが足りません。ピアノ三重奏曲と五重奏曲の細かい比較は皆様ご自身の楽しみにとっておくとして、そろそろまとめに入ります。

編曲に求める「そのジャンルらしさ」

オリジナルを「再現」するようなフンメルによるピアノ四重奏編曲とは異なり、カウフマン、そしてベートーヴェンの編曲では、オリジナルにかなり手が入れられています。もしフンメルの編曲が「オリジナルの交響曲を再現的に伝える」ことを目的にしていたとすれば、Op. 104で目指されていたことは何でしょうか。
ベートーヴェンの揶揄はともあれ、彼が手を入れる前のカウフマンの編曲ではすでに、動機の追加や元々の旋律の分割などによって、一つの声部が支配的になるのではなく、5声部が多少なり自立性を持ち、平等な関係に近付くようにされていました。そしてベートーヴェンによる修正の結果は、「見せかけの5声部から真の5声部へ」という本人の言葉通り、各声部をより生き生きと、より独立させるものでした。
ここから言えるのは、そもそもカウフマンの姿勢も、オリジナルの忠実な再現よりも5声の室内楽にふさわしい姿を作り出す方に重点を置き、そのためにはオリジナルを変えることも厭わない、ということです。そしてベートーヴェンはさらにその方向性を進めました。これはベートーヴェンが、カウフマンがオリジナルの音形をそのまま転写したところにも赤を入れていることから明らかです。
思い切って言ってしまうと、二人が目指したのは「オリジナルのピアノ三重奏曲を、編曲先の弦楽五重奏曲というジャンルに変えること」。このように思われます。
受容者側に立ってみれば、編曲の楽譜を手に入れるのは「その編成で演奏したいから」という理由が大きいと想像できます。弦楽五重奏曲で楽しみたいと思って編曲を演奏してみたら、まったく弦楽五重奏曲らしくなかった…これではちょっと興醒めですね。それを考えると、カウフマンやベートーヴェンが凝らした工夫は、編曲を受容する人々にとって実に歓迎されるものだったのではないでしょうか。編曲を編曲先のジャンルらしく仕立てる編曲者の手法は、編曲者の美的理念の実現と同時に、受容者のためにもなったと考えられます。

おまけコラム:編曲は「編曲」と思われていなかったかもしれない?

以上に述べた「編曲先のジャンルに適した」編曲手法との関連で、編曲の出版方法にも興味深い事実があります。
前回論じたフンメルの編曲版では、表紙にしっかりとベートーヴェンの交響曲の編曲であることが明記されています。Op. 104の方も、アルタリア初版では「ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンの2挺のヴァイオリン、2挺のヴィオラ、ヴィオロンチェロのための五重奏曲。彼の美しいピアノ・フォルテのためのトリオに基づき、彼自身により自由に編曲され、新たにしつらえられた」とあります注釈2。しかし注目されるのは他社の後続版です。
フランスのジャネ・エ・コテル社が出版したベートーヴェンの弦楽器のための作品集Collection des Quatuors, Quintettes et Trios por le violon […]注釈3 はベートーヴェンの弦楽三重奏曲、四重奏曲、五重奏曲合計26曲から成ります。しかしこのうち6曲は編曲で、ここにOp. 104も含まれます。パリのフランス国立図書館には、曲集全体がまとまった形で保管されており注釈4 、ヴァイオリン声部のパート譜に目次がついていますが、Op. 104を含む6つの編曲にはどこにも編曲であるとの記述は見当たりません。また中にはヴァイオリン・ソナタOp. 24と、オーボエとイングリッシュ・ホルンのための三重奏曲Op. 87の弦楽三重奏曲編曲も含まれますが、こちらにはそれぞれオリジナルとは異なる作品番号が付けられています。
オリジナルへの言及なしに編曲が出版されるのはこれが唯一の例ではありません注釈5。これは作品普及において大きな問題でしょう。想像してみてください。公衆が必ずしもベートーヴェンの作品を全て知っているとは限りません。例えばオリジナルを知らない人がこうしたオリジナルの情報のない編曲を見たら、まさかそれが編曲とは分からずオリジナルだと思って買っていくでしょう(楽譜店や誰かが説明してくれれば別ですが)。昔のことですから想像をたくましくさせるしかないのですが、以上のような編曲出版譜の存在から、19世紀当時、一部の人々に編曲の方が「オリジナル」だと思われて普及した可能性も考えられます。
もしこの推測が正しいとすると、昔の人々が語っている作品論、作曲家論が、一体どこまでオリジナルに基づいているのか、ひょっとすると部分的には編曲に基づく論もあるのではないか、と思われてきます。もし編曲に基づく部分がある程度の割合を占めたとしたら…。これは音楽受容を考察する上で配慮すべきことなのかもしれません。

  • ただし同様の変更はカウフマンも多少は行っています。
  • Beethoven Werkverzeichnis, vol. 1, 654f.
  • 作品目録によれば各曲には番号が付されており、Op.104は第19番です。出版告知は1827年末のRevue musicaleにあるものの、作品集の一部がそれ以前に出版されていたかは不明です。
  • 資料番号VMA-3902 (1-16)
  • もう一例あげれば、アウクスブルクのゴムバルトGombartから出版されたピアノ三重奏曲Op. 1第2番の弦楽五重奏編曲版にも、五重奏曲が編曲だとは書いてありません。
    ※第19回、第20回のOp. 1第3番の譜例は
    Ludwig van Beethoven, Trios für Klavier, Violine und Violoncello, Bd. 1, nach dem Originalausgaben hrsg. v. Günter Raphael, München: G. Henle, 1964 (HN9024)に基づく。

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