ピティナ調査・研究

18.オリジナルに「忠実に」より、その「ジャンルらしく」

18.オリジナルに「忠実に」より、その「ジャンルらしく」—拡大編曲を例に

前回見たフンメルによるベートーヴェンの交響曲のピアノ四重奏版(厳密にはピアノ・ソロまたはピアノ四重奏版)は、オリジナルの内容を大きく変えることはなく、むしろ原曲を再現するようなものでした。その上で彼の編曲は、和声などオリジナルの音楽の核となる点を強調したり、演奏法の一解釈を提供したりしている、ということも指摘しました。 このフンメルの編曲は数ある編曲の1ケース。編曲にはもっと色々なタイプがあります。さて、皆さんはどんな編曲がお好みですか? 
ちょうどフンメルが編曲を作った19世紀前半には、編曲の良し悪しに関して興味深い見解が出されています。それによれば良い編曲というのは、オリジナルのテクスチュアや音色を表現すること注釈1。現代の私達は録音技術のおかげでオリジナルの音楽はいつでも聞くことができます。しかし時は蓄音機が生まれるずっと前です。ちょっと想像してみてください。

「パパ・ハイドンが《天地創造》という大規模なオラトリオを作ったって!」
「モーツァルトが最後に書いたという交響曲はフーガを使った素晴らしいフィナーレだったよ」

演奏会に訪れた人々からそんな感動の言葉を聞いたとしても、じゃあストリーミング・サービスで聞いてみよう、CDを買おう、というわけにはいかないわけです。
生演奏でしか音楽を聞くことができない人々にとって、気になる作品を知るにはどうするか。その便利な手段が編曲でした。そうなると、オリジナルに忠実な編曲を良質と考える上の意見は、当時の状況をよく表していると思います。作品を大編成の管弦楽で楽しめない代わりに編曲で楽しもうという、いわば「縮小」編曲の場合、確かに人々は原曲の雰囲気が味わえることを優先しそうです。その点で言えば、フンメルの編曲はまさに当時の人が言う「良い編曲」に合致するでしょう。

それでは現代はどうでしょうか。こんにち街中に溢れている編曲、もしくはより一般的に耳にする言葉で言えば、「アレンジ」というと、いわゆるクラシックをポップ・アレンジしたもの、映画音楽を注釈2ピアノ・ソロのイージー・リスニング風にしたものなどが思い浮かびます。それらを聴いていると、元々のリズムを変えたり、和音をいじったりなどはごく一般的に思われます。ここには、オリジナルに忠実な編曲というより、何かしら編曲者独自の創意が凝らされた編曲を面白いと思う感性が働いているのではないでしょうか注釈3

編曲も「オリジナル」らしく——編曲の際のジャンル意識

編曲に対する先の意見は一つのものの見方。18世紀、19世紀にも様々な見解があったと考えられます。オリジナルをなぞるような編曲がある一方で、新しい動機を与えるなど、多かれ少なかれオリジナルに大きく手を入れた編曲もあります。ベートーヴェンの自作編曲などはそうした自由な変更が豊かなのが特徴です注釈4。ベートーヴェンの編曲手法は編曲ごとにその特徴に差があり、一概に言うのは難しいのですが、彼が折々に述べている自身の「編曲論」やいくつかの自作編曲を見ますと、彼は往々にして、オリジナルを編曲した結果、音楽が編曲先のジャンルに適したものになることを重要視していた節があります。先のフンメルの編曲とは逆に、オリジナル編成を「拡大」した編曲を例に詳しく見てみましょう。

ベートーヴェンは弟子のチェルニーやリースなどが彼の作品の編曲を手掛けた場合、しばしば作られた編曲をチェックしていました注釈5。 1817年、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲Op. 1第3番ハ短調をカウフマンなる人物が弦楽五重奏曲に編曲したときもベートーヴェンによるチェックが入りました。結果は……残念。カウフマンの編曲はベートーヴェンのGoサインを得られませんでした。それだけではなく、ベートーヴェンはわざわざ自分で編曲をやり直し、出来上がった編曲の表紙に次のように書き綴っています注釈6

善意氏により3声の五重奏曲に編曲された三重奏で、好意氏により見せかけの5声部から真の5声になって日の元にもたらされ、またひどい悲惨さから結構な見栄えに高められた。1817年8月14日。注:元々の3声の五重奏曲の総譜は儀式の燔祭として冥府の神に捧げられた。

この文面からは自身の編曲の出来を満足げに自慢するベートーヴェンの様子が想像されます。では実際、カウフマンの編曲とベートーヴェンが編曲し直した後の五重奏曲には、それぞれどのような特徴があるのでしょうか。次回はオリジナルのピアノ三重奏曲と編曲の弦楽五重奏曲の比較分析を通してこの点を考えます。

  • Nancy November, “Performing, Arranging, and Rearranging the Eroica: Then and Now.” The Cambridge Companion to the Eroica Symphony (2020, Jun.) 所収予定の原稿を著者から拝受。
  • その他の例として、ミュージカルのソロ・ナンバーなども挙げられます。こちらはオペラ・アレンジに似ているようにも思えますね。
  • ただし、オーケストラによる映画音楽などを家庭で楽しめるようにするヴォーカル・スコアなどは、オリジナルに対する忠実さが優先される場合もあるでしょう。優先事項は編曲の用途によって異なるはずです。
  • ベートーヴェンの自作編曲手法に関しては、すでに1世紀ほど前からFriedrich Munter, “Beethovens Bearbeitung eigener Werke”, in Neues Beethoven-Jahrbuch 6 (1935), 159-173など多くの研究者が指摘してきました。日本語でベートーヴェンの自作編曲について概観した論説には、土田英三郎「いっそうの普及と名声のために—編曲家としてのベートーヴェン—」『国立音楽大学音楽研究所年報』14(2000):75-95があります。ベートーヴェンの自作編曲に関しては本連載でも後に改めて扱います。
  • 第三者による自作の編曲結果を確認するのはベートーヴェンに限ったことではなさそうです。ヨーゼフ・ハイドンの作品にも弟子による編曲がありますが、例えばハイドンは晩年のオラトリオの編曲を誰に任せようかというとき、次のように述べています。すなわち「《四季》の弦楽四重奏編曲と弦楽五重奏編曲に関しては、ロプコヴィツ侯爵のところの【アントン・】ヴラニツキ氏の方が優先されるべきだと私は思います。その理由は彼による《天地創造》の素晴らしい編曲だけではなくて、利己的にそれを使い回す危険はないと、私は完全に安心しているからです。」(1801年10月1日付のゲオルグ・アウグスト・グリージンガー宛の手紙。Joseph Haydn, Gesammelte Briefe Und Aufzeichnungen, ed. by Howard Chandler Robbins Landon and Dénes Bartha, Kassel et al.: Bärenreiter, 1965, p. 380)ここでハイドンはアントン・ヴラニツキの編曲の腕前を称賛しており、ハイドンが他人による自作の編曲を見直していたことが解ります。なおアントン・ヴラニツキー(チェコ名アントニン・ヴラニツキーAntonin Vranický)(1761~1820)はチェコ生まれの音楽家で、手紙にもあるようにロプコヴィツ侯爵(ベートーヴェンの主要パトロンの一人)の宮廷楽長を努めました。アントンの兄のパウルPaulも優れた音楽家で、ヴィーン官営の劇場二つの音楽監督を歴任しています。
  • Kurt Dorfmüller, Norbert Gertsch and Julia Ronge ed. by, Ludwig van Beethoven: thematisch-bibliographisches Werkverzeichnis, in co-operation with Gertraut Haberkamp and Beethoven-Haus Bonn, Munch: G. Henle, 2014, p. 654. なおこのカウフマン氏は当時楽友協会のヴァイオリニストだったヨーゼフ・カウフマンだと考えられています(Ibid., p. 652)。