ピティナ調査・研究

13.編曲から見るヒット・チャート?

13. 編曲から見るヒット・チャート?

本連載の中で、18-19世紀の楽譜市場における編曲需要の高さや、音楽家にとって編曲が利益拡大のために有効であったことを、モーツァルトやベートーヴェンの手紙を例に説明しました。
編曲のこうした経済的役割を考えると、編曲の出版状況は当時の音楽受容の実態を探る上でたいへん役立つ、魅力的な切り口に見えます。

ベートーヴェン作品の編曲版

例として、ベートーヴェンの器楽作品の編曲出版を考えてみましょう。記録されている1830年までに出版されたベートーヴェン作品の編曲全てを列挙し、整理してみると注釈1、作品やジャンル、作品のタイプによって編曲出版の数に傾向があることに気づきます。
まず、編曲出版が特に多いのは《七重奏曲》Op. 20です。この作品にはどちらかというと娯楽的な楽種である「ディヴェルティメント」の特徴が指摘されています。これ以外でベートーヴェン全作品の中で実に様々な編成に編曲されているのは《セレナーデ》Op. 8で、やはりソナタなどと比べると、どちらかといえば軽いジャンルに属するものです。
一方、舞曲やある特定の性格(葬送行進曲等)を有する楽曲も多くの編曲版が作られる傾向があるようです。これは単一楽章の作品にも、複数楽章の作品のうち一部の楽章だけが抜き出されて出版される場合にも、いずれにも当てはまります注釈2

注釈1:ベートーヴェンの最新の作品目録には1830年までの編曲版が網羅的に記録されています。ここでは編曲の「出版」調査ですから、作られた編曲の数ではなく、あくまで出版数を調べていますので、同じ編曲が別の土地、別の出版社で出版された場合もそれぞれ別の編曲版として考えています。

注釈2:編曲には、作品全体が編曲・出版されるのに加えて、一つの楽章だけが抜粋編曲されることも珍しくありませんでした。

「売れる」=人気のある作品を出版する

どうしてこのような編曲の偏りが起こるのでしょうか。この疑問を紐解くために、「出版」に関わる一般論を考えてみましょう。
出版社にとって楽譜を出版する最大の目的の一つは、売上による利益です。ですから当然、「売れる」楽譜を出版したいと思うはずです。オリジナル作品の出版の場合、その作品が楽譜市場で売れるかどうかは、実際に出版してみないと分かりません。ある程度は作曲家の人気や知名度から予測がつくでしょう。しかしそうは言っても、新作のオリジナル作品の場合は、どの程度、音楽受容層に受け入れられるのか、その都度「賭け」になるはずです。
それに対して編曲の出版はどうでしょうか。こちらは大概、オリジナル作品は先に出版・演奏されています。つまり編曲はオリジナル作品への反響がある程度わかっている時点で出版されることも多いはずです注釈3
当時はレコーディング・メディアのない時代です。ある音楽作品をもう一度聞きたいと思ったら、演奏会で聴くか、自分達で演奏するしかありません。大編成の管弦楽作品は家庭ではなかなか演奏できないでしょう。小編成の作品でも、それぞれ得手とする楽器は人によって異なります。ピアノは弾けるけどヴァイオリンは弾けない、ヴァイオリンは演奏できるけどクラリネットは吹けない......これは今も昔も同じことです。つまり、オリジナル作品をオリジナルの編成そのままで聴こうと思っても、なかなか難しいわけです。
ですから、ある作品をもう一度聞きたいと思ったら、自分や家族など近しい人が演奏できる楽器のための編曲の形で聞くのが、手っ取り早い方法ということになります。
こうした時代背景と、編曲から得られる利潤を考えますと、出版社は人気のある作品を積極的に編曲版で出版しようと思うのが自然です。
以上の前提を踏まえて、編曲の出版状況を考察する意味を考えてみます。

注釈3:オリジナルへの反応がわからないくらい早い場合もあります。オリジナルと編曲が同時に出版されるケースなどがそれに当たります。

編曲出版の数から人気がわかる?

人気のある作品ほどよく売れる、そして編曲出版の目的が楽譜の売り上げ向上、という推測が正しいとすれば、出版社は音楽大衆が求めそうな作品の編曲をたくさん出版しようとするでしょう。それなら編曲出版の過多は、音楽を嗜む大衆の間で、その作品がそれだけ人気を誇っていたという事実を、ある程度反映するとみなして良いのではないでしょうか。
初めに述べたベートーヴェン作品の編曲出版において、いわば「軽めの」音楽や(ベートーヴェン本人がどう思っていたかは別として)、ある種のトピック性のあるもの、特定の性格を持つものに編曲版が目立ちました。これらの音楽を一括りにしてしまえば、表面的には解りやすい音楽と言って差し支えないでしょう。注釈4
ここから当時の音楽層の好みが見えてくるように思います。すなわち当時、大多数の音楽大衆は、難解・高尚な音楽よりも、「軽くて解りやすい」音楽の方を好み、それらに大きな需要があったのではないか、ということです。
これを裏付けるのが、ベートーヴェンのオリジナル作品の創作年代と編曲版の数の推移です。ベートーヴェンの創作様式に関してはよく後期作品の難解さが指摘されますが、ベートーヴェンの作品は概して、初期作品と比べて後期作品の方が編曲版の数が減っています。(注4)これを考えると、後期作品の編曲版の減少は、音楽市場では分かり易く軽めの作品の方が人気を得ていたことを、違った方向から証拠づけると考えられます。

注釈4:「表面的」と述べたのは、音楽が単純などというつもりはないからです。実際には非常に手の込んだ内容であっても、葬送行進曲や舞曲など、一般的に共通理解が存在する楽曲ならば、大衆も何を表しているのか一応わかる、とっつきやすい、という意味です。

確かに、編曲せずともオリジナル自体が一般大衆の演奏しやすい編成だった、ということなど(次の記事を参照)、編曲版の数には他の理由も考えられるでしょう。しかし編成が同じオリジナル作品の中でどの作品に編曲版が多いか、または複数楽章からどの楽章が抜き出されて編曲版になっているのか、この二点は少なくともオリジナルの編成などと編曲の数とは関係ありません。こうした観点から見れば、どの作品・楽曲ジャンルに多くの編曲版が出版されているか調べることによって、当時の大衆の音楽的好みを知るヒントが得られると思われます。
パブリック・ニーズという点では、当時の大衆がどんな編成の楽譜を特に求めていたかも、編曲出版から見えてきそうです。次回はこの点を考えてみましょう。

注釈1:ベートーヴェンの最新の作品目録には1830年までの編曲版が網羅的に記録されています。ここでは編曲の「出版」調査ですから、作られた編曲の数ではなく、あくまで出版数を調べていますので、同じ編曲が別の土地、別の出版社で出版された場合もそれぞれ別の編曲版として考えています。

注釈2:編曲には、作品全体が編曲・出版されるのに加えて、一つの楽章だけが抜粋編曲されることも珍しくありませんでした。

注釈3:オリジナルへの反応がわからないくらい早い場合もあります。オリジナルと編曲が同時に出版されるケースなどがそれに当たります。

注釈4:「表面的」と述べたのは、音楽が単純などというつもりはないからです。実際には非常に手の込んだ内容であっても、葬送行進曲や舞曲など、一般的に共通理解が存在する楽曲ならば、大衆も何を表しているのか一応わかる、とっつきやすい、という意味です。

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