ピティナ調査・研究

9.転用・改作─その利点、意味(1)

9.転用・改作─その利点、意味(1)

前回の記事では、編曲の範囲を広げてある作品を作り変え、別の機会に用いる「転用」や、作品ないしは楽章をほぼ丸ごと書き換える「改作」が、18-19世紀当時、慣習的に行われていたことを紹介しました。今回は、作曲家がなぜ新作を書かなかったのか、またはなぜ第三者である編曲者が既存の作品を利用したのか、推測を巡らせてみようと思います。

1. 作品に新たな存在意義を

例えば、 荒井由実さんの「ルージュの伝言」をCDなどで聴く時、リリース当時から馴染んでいる方は「ユーミンの曲だ」と認識すると思いますが、映画の主題歌で初めて聴いた方は「ユーミンの曲だ」の前に「『魔女の宅急便』の主題歌だ」と、箒に乗った少女とクロネコを連想するでしょう。同じように、ヘンデルのオラトリオ《マカベウスのユダ》第三幕の音楽を聞いた時、多くの人は「ヘンデルのオラトリオ」の前に「運動会の表彰式の音楽」を思い浮かべるのではないでしょうか。

こうした連想は、芸術作品の置かれるコンテクスト(作品を取り巻く特定の状況)が変わると、その作品が私たち受容者(受け取る側)に対して持つ意味が一変することを端的に示しています。作品を作り変え、作品を別のコンテクストに置く転用の際にも、同じことが起こります。例えば、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品26「葬送」は、ピアノに向かって弾いている時には「ピアノ・ソナタの楽章」ですが、それが舞台上で鳴らされた瞬間に、その意味が「舞台音楽」へと変わります。転用の第一の意味はまさしく、オリジナルの存在意義を転換する点にあると言えます。

もう少し一般化して、この問題を考えてみましょう。そもそも、すべての芸術作品は、それが置かれるコンテクストが作品の本質に深く関わっています。例えば祭壇画を考えてみましょう。カラヴァッジョやファン・エイクなどは光の効果を計算し、教会のどこに置かれるかを配慮しながら作画していたといいます。音楽でも同様に、作品の存在意義の転換は、演奏される場所(教会、コンサートホール、室内等々)に応じて行われるオーケストレーションや微細な響きの変更など、作品内実の変更にまで影響力を及ぼす可能性があります。

2. 作曲家自身のお気に入り(?)

編曲は、ある楽曲の全体または部分を別の媒体で鳴らして、その音楽の新しい姿を試みる行為です 。転用や改作は通常の編曲以上に、その音楽の新しいあり方を探求する側面が強いように思われます。再三例に出しているベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ》作品49-2のメヌエットが《管楽七重奏曲》作品20に転用されたことや、シューベルトの《ロザムンデ》の旋律が《弦楽四重奏曲》D804に用いられたのは、このケースなのではないでしょうか。ちょうど、版画が 、様々な色の組み合わせで刷られ、実に多様なヴァージョンが制作されるのと同じように、楽曲には編曲というフィルター を通すことで様々に発展していく可能性があります。そうだとすれば、作曲家が自分のお気に入りの音楽が生きる場を、一つの媒体、単一の機会のみに限定してしまうのが惜しいと思うのは自然に見えます。すべての転用や改作の理由を、その音楽が作曲家の「お気に入りだったから」と判断することはできませんが、一般的に人間心理を考えると、転用、改作の理由が「お気に入りの素材だったから、作曲の別の可能性を試してみたかった」というのは十分ありえることでしょう。

今回は、転用、改作の利点や意義として、どちらかと言えば音楽そのものの美的価値に関わる可能性を二つ挙げました。次回は作品本位の見方から少し離れて、もう少し実利的、実践的な理由を考えてみましょう。